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ウォーターループレイス(Waterloo Place)内に建つ エドワード7世の騎馬ブロンズ像(その1) |
1841年11月9日に出生した後、同年12月4日にウェールズ公(Prince of Wales)の称号を得たアルバート・エドワード(Albert Edward)の忍従の時は、約59年間続いたが、1901年1月22日、彼の母親で、ハノーヴァー朝(House of Hanover)の第6代女王で、かつ、初代インド女帝であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年 → 2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)が崩御。
これに伴い、アルバート・エドワードは、59歳で英国王として即位。
母親であるヴィクトリア女王の在位期間が長期にわたったため、ウィンザー朝(House of Windsor)第5代国王として即位したチャールズ3世(King Charles III:1948年ー 在位期間:2022年ー)に次いで、現状、2番目に長く、ウェールズ公の立場にあったことになる。
彼は王名を「エドワード7世(Edward VII)」に定め、王朝名を「サクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝(House of Saxe-Coburg and Gotha)」に変更。
翌年の1902年8月9日に、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)において、戴冠式を挙行。
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ウォーターループレイス内に建つ エドワード7世の騎馬ブロンズ像(その2) |
エドワード7世の在位期間は、1901年1月22日から1910年5月6日までの10年間強ではあったが、彼の治世は、「エドワード朝(Edwardian era)」と呼ばれており、彼の在位中、1905年までは、保守党(*1)が、その後は、自由党(*2)が政権を担当した。
*1:
第3代ソールズベリー侯爵ロバート・アーサー・タルボット・ガスコイン=セシル(Robert Arthur Talbot Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of Salisbury:1830年ー1903年 首相在任期間:1895年6月28日ー1902年7月11日)
初代バルフォア伯爵アーサー・ジェイムズ・ベルフォア(Arthur James Balfour, 1st Earl of Balfour:1848年ー1930年 首相在任期間:1902年7月12日ー1905年12月4日)
*2:
サー・ヘンリー・キャンベル=バナマン(Sir Henry Campbell-Bannerman:1836年ー1908年 首相在任期間:1905年12月5日ー1908年4月5日)
初代オックスフォード=アスキス伯爵ハーバート・ヘンリー・アスキス(Herbert Henry Asquith, 1st Earl of Oxford and Asquith:1852年ー1928年 首相在任期間:1908年4月5日ー1916年12月5日)
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ウォーターループレイス内に建つ エドワード7世の騎馬ブロンズ像(その3) |
外交面において、第二次ボーア戦争(Second Anglo-Boer War:1899年10月12日ー1902年5月31日)が集結し、南アフリカを併合。
シャーロック・ホームズシリーズの作者であるアーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)は、当時、既に40歳を超えていたため、英国陸軍の兵役検査をパスできず、従軍を諦めたが、その代わりに、戦地の南アフリカへ派遣される医療医師団に参加することに決め、現地入りしている。詳細については、2022年8月8日付ブログを御参照願います。
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アーサー・コナン・ドイルは、 既に40歳を超えていたため、英国陸軍の兵役検査をパスできず、 従軍を諦めたが、その代わりに、戦地の南アフリカへ派遣される医療医師団に 参加することに決め、現地入りした。 (Dorling Kindersley Limited から発行されている 「The Sherlock Holmes Book」から抜粋) |
また、極東では、中国分割をめぐり、満州占領・北中国の勢力圏化を推し進めるロシアを警戒して、1902年に日本との間で軍事同盟(日英同盟)を締結、日露戦争(1904年ー1905年)の勃発後、日本を支援。
フランスとも友好関係を深め、世界各地で発生していた英仏の植民地争奪戦を互譲的に解決して、英仏協商関係を構築。
更に、日露戦争の終結後、ロシアとの友好関係も深め、中央アジアにおける英露の植民地争奪戦を互譲的に解決して、英露協商関係を構築。
こうして、日英同盟、英仏協商、そして、英露協商が締結され、英国と日本 / フランス / ロシアの関係が強化されたため、エドワード7世は、「ピースメーカー(Peace Maker)」と呼ばれた。
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ウォーターループレイス内に建つ エドワード7世の騎馬ブロンズ像(その4) |
その一方で、英国とドイツの関係は悪化の一途を辿り、エドワード7世の崩御から4年後の1914年に、第一次世界大戦(1914年ー1918年)が勃発することになるのである。
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ウォーターループレイス内に建つ エドワード7世の騎馬ブロンズ像(その5) |
エドワード7世は、内政面において、自由党と保守等の対立と言う問題を、また、外交面において、英国とドイツの関係悪化と言う問題を抱える中、過労で気管支炎を悪化させて、1910年5月6日に崩御した。

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