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左側から、リンカーンズ・イン・フィールズ12番地 / 13番地 / 14番地 (サー・ジョン・ソーンズ博物館)、 リンカーンズ・イン・フィールズ15番地(メルスン教授の宿泊先)、そして、 リンカーンズ・イン・フィールズ16番地(時計師であるジョハナス・カーヴァーの住居)。 |
その日の午後、メルスン教授は、フォイルズ書店(Foyles → 2025年5月7日 / 5月9日付ブログで紹介済)において、中世ラテン語の写本辞書を見つけており、これは正真正銘の掘り出し物のため、ギディオン・フェル博士は、メルスン教授の宿でそれを見せてもらおうと考えていたのである。
彼らはリンカンズ・イン・フィールズの北側へ出た。広場そのものは、昼間見るよりも広大に見える。家々の正面はひっそりと静まり返り、とざされたカーテンの奥から明りがちらほら洩れているだけで、木立ちにしても、整然とした森のようであった。かすんだ月が空にかかり、街灯のように青ざめている。
「右へ曲がるんです」メイスンが言った。「あれがソーン博物館です。この二軒むこうが……」のっぺりした家々を見上げながら、地下勝手口の湿った鉄柵に手を走らせ、「わたしの泊まっている家です。隣がジョハナスの家です。なんにもならないんじゃないでしょうか、つっ立ってあの家を見ていても……」
「はっきりしたことはわからんのだが」フェル博士が言った。「玄関のドアがあいている……」
二人とも足をとめた。博士の言葉に、メルスンははっとした。十六番地の家には、少しも明りが見えなかったからだ。月と街灯の光にぼんやりと照らし出され、ぼやけた絵のように見えたーほとんど黒のように見える赤煉瓦造りの、重苦しくて高い、幅の狭い家で、角枠が白く浮き出て、玄関前の石段を上がったところに、石造の円柱が、時計の天蓋ほどの小さなポーチの屋根を支えている。その大きなドアが開けはなたれている。それが軋ったようにメルスンには思えた。「何でしょうー?」と、メルスンは言った。自分にのささやき声が思わず高くなっているのに気づいた。
(吉田 誠一訳)
更に、メルスン教授は、家の真ん前の木の下に、ひときわ黒い影を見てとった。問題の家から呻き叫ぶ声が聞こえると、木の下の人影がその場を離れると、家の玄関前の石段を上がって行った。その人物の頭に、警官のヘルメットが黒く浮かび上がるのを見て、メルスン教授は思わずホッとした。
ギディオン・フェル博士が、その警官に追い付くと、彼は、スコットランドヤードのディヴィッド・ハドリー主任警部(Chief Inspector David Hadley)の部下であるピアスだった。
ギディオン・フェル博士、メルスン教授とピアス警官の3人が、有名な時計師(clockmaker)であるジョハナス・カーヴァー(Johannus Carver)の家の玄関ホールに入ると、奥に一続きの階段があり、2階から射している明かりが階段下まで届いていた。3人が階段を上がり、2階の奥にある両開きのドアへと向かった。
その部屋では、2人の人間が入口の敷居を見つめており、もう一人は椅子に座って両手で頭をかかえていた。更に。その敷居のところには、一人の男が右脇をやや下にして仰向けに倒れていた。
最初の2人は、ジョハナス・カーヴァーの養女であるエリナー・カーヴァー(Eleanor Carver)とカーヴァー家の同居人であるカルヴィン・ボスコーム(Calvin Boscombe)で、カルヴィン・ボスコームは手にピストルを持っていた。
椅子に座って両手で頭をかかえていたのは、カルヴィン・ボスコームの友人で、スコットランドヤード犯罪捜査部(CID)の元主任警部(former Chief Inspector)であるピーター・E・スタンリー(Peter E. Stanley)だった。
そして、敷居のところに倒れていた男は、ピストルで撃たれた訳ではなく、背後から喉を貫き、胸の中へ突き刺されて殺されていた。被害者の体から突き出ている凶器を見たギディオン・フェル博士は、ジョハナス・カーヴァーがある貴族のために製作していた大時計から盗まれた長針だと推測する。
更に、驚くことに、後に判明した被害者の身元は、なんと、ガムリッジデパートの貴金属宝石売場において発生した事件を担当していたジョージ・フィンリー・エイムズ警部(Detecive-Inspector George Finley Ames)だったのである。
非常に不可思議な事件だと言えた。
リンカーンズ・イン・フィールズ内の広場 |
リンカーンズ・イン・フィールズとは、ロンドンの特別区の一つであるロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のホルボーン地区(Holborn → 2016年9月24日 / 2025年4月22日付ブログで紹介済)内にある広場とその周辺地域を指している。
厳密に言うと、リンカーンズ・イン・フィールズ内の広場、東側、北側および西側の建物はロンドン・カムデン区に属しているが、南側の建物はシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)に属している。また、リンカーンズ・イン・フィールズは、ロンドン・カムデン区最古の広場で、かつ、ロンドン最大の面積を誇っている。
メルスン教授が言う「ソーン博物館」とは、「サー・ジョン・ソーンズ博物館(Sir John Soane’s Museum → 2025年5月22日 / 5月30日 / 6月3日 / 6月13日付ブログで紹介済)」のことで、英国の古典主義を代表する建築家で、1788年にロバート・テイラー(Robert Taylor:1714年ー1788年)の後を継いで、イングランド銀行(Bank of England → 2015年6月21日 / 6月28日付ブログで紹介済)の建築家に就任し、その後、1833年まで45年間にわたり、その任を務めたサー・ジョン・ソーン(Sir John Soane:1753年ー1837年)の邸宅兼スタジオを使用しており、彼が手掛けた建築に関する素描、図面や建築模型、更に、彼が収集した絵画や骨董品等を所蔵している。
なお、サー・ジョン・ソーンズ博物館は、現在、リンカーンズ・イン・フィールズ12番地 / 13番地 / 14番地(12, 13, 14 Lincoln’s Inn Fields)の3棟を占めているが、サー・ジョン・ソーンの死に際して、国家に寄贈されたのは、リンカーンズ・イン・フィールズ12番地 / 13番地の建物のみ。寄贈の際、同12番地の賃貸収入が博物館の運営資金となることを、彼が意図していたのである。
19世紀の終わり頃までに、リンカーンズ・イン・フィールズ12番地の後方の部屋と同13番地の博物館を繋げる作業が実施され、1969年からは、同12番地も、学術図書館 / オフィスとして運営される。
1997年に文化遺産宝くじ基金(National Lottery Heritage Fund)による援助を受けて、リンカーンズ・イン・フィールズ14番地の残りの大部分が購入され、現在に至っている。
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左側の建物が、サー・ジョン・ソーンズ博物館の一部であるリンカーンズ・イン・フィールズ14番地、 中央の建物が、メルスン教授が泊まっているリンカーンズ・イン・フィールズ15番地で、 右側の建物が、有名な時計師であるジョハナス・カーヴァーが住む リンカーンズ・イン・フィールズ16番地。 |
従って、ジョン・ディクスン・カーが1935年に「死時計」を発表した時点では、リンカーンズ・イン・フィールズに面した表側の建物のうち、博物館として機能していたのは、リンカーンズ・イン・フィールズ13番地だけである。
それ故に、メルスン教授は、ギディオン・フェル博士に対して、自分が泊まっている家(リンカーンズ・イン・フィールズ15番地)を指し示す際、「あれがソーン博物館です。この二軒むこうが、わたしの泊まっている家です。」と発言している訳だと言える。
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日本の出版社である東京創元社から創元推理文庫として出版された ジョン・ディクスン・カー作「死時計」の裏表紙 カバーイラスト:山田 雅史 現在のリンカーンズ・イン・フィールズ16番地の建物には、 ジョン・ディクスン・カー作「死時計」の裏表紙に描かれたような 地面から家の玄関までの長めの石段は存在していない。 |
そして、メルスン教授が「隣がジョハナスの家です。」と述べているように、彼が泊まっていたリンカーンズ・イン・フィールズ15番地の隣りの建物であるリンカーンズ・イン・フィールズ16番地(16 Lincoln’s Inn Fields)が、有名な時計師ジョハナス・カーヴァーが住み、ガムリッジデパートの貴金属宝石売場において発生した事件を担当していたジョージ・フィンリー・エイムズ警部が殺害されると言う不可思議な事件が発生した場所である。
ジョン・ディクスン・カーの原作によると、リンカーンズ・イン・フィールズ16番地の場合、地面から家の玄関まで長めの石段があるように記されているが、現在の建物には、そのように長い石段はない。
また、外観から判断する限り、現在、普通の住居として使用されている模様。

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