2025年5月10日土曜日

エドワード7世(Edward VII)- その1

サクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝の初代国王となるエドワード7世の王太子時を
店名にしたパブ「プリンス・エドワード(The Pribce Edward)」。

サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「緑柱石の宝冠(The Beryl Coronet)」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、11番目に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1892年5月号に掲載された。

同作品は、同年の1892年に発行されたホームズシリーズの第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」に収録されている。


「緑柱石の宝冠」の場合、アレクサンダー・ホールダー(Alexander Holder)と名乗る男性が、ベーカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れて、緊急の相談事にかかる説明を始める。


スレッドニードルストリート(Threadneedle Street → 2014年10月30日付ブログで紹介済)にあるホールダー&スティーヴンスン銀行(banking firm of Holder & Stevenson - シティー(City → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内では2番目に大きな民間銀行)の頭取を務めているアレクサンダー・ホールダーは、5万ポンドの融資の担保として、「世界中にその名前が知られていて、英国で最も上流で、高貴で、かつ身分の高い方の一人(it was a name which is a household word all over the earth - one of the highest, noblest, most exalted names in England)」から預かった貴重な緑柱石の宝冠を、銀行からテムズ河(River Thames)の南岸のストリーサム地区(Streatham → 2017年12月2日付ブログで紹介済)内の自宅へと持ち帰ると、自分の寝室の隣りにある衣装部屋(dressing-room)の書き物机(bureau)の中に宝冠を入れて、鍵をかけ、更に、家の戸締りの確認も、自分自身で行った。


その夜の午前2時頃、家の中で何かの物音がして、目を覚ましたアレクサンダー・ホールダーは、隣りの衣装部屋で足音がするのを聞いた。

彼がベッドからそっと抜け出して、衣装部屋を覗き込むと、そこには、シャツとズボンだけの格好で、靴も履いていない一人息子のアーサー・ホールダー(Arthur Holder)が、宝冠を両手に持って立っていたのである。アレクサンダー・ホールダーの目には、アーサーは、宝冠を捻るか、あるいは、曲げるかのような動作をしていた。

アレクサンダー・ホールダーが大声で咎めると、驚いたアーサーは、宝冠を手から取り落として、死人のように真っ青な顔で父親を振り返った。

アーサーが落とした宝冠を、アレクサンダー・ホールダーが急いで拾い上げ、確認したところ、緑柱石が3個付いていた金具ごと、折り取られていたのである。



エドワード7世の王太子時を店名にしたパブ「プリンス・エドワード」は、
シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のベイズウォーター地区(Bayswater)内の
プリンシズスクエア(Prince's Square)に面して建っている。


5万ポンドの融資の担保として、アレクサンダー・ホールダーに緑柱石の宝冠を預けた人物は、コナン・ドイルの原作上、「世界中にその名前が知られていて、英国で最も上流で、高貴で、かつ身分の高い方の一人」と言及されているものの、具体的な名前にかかる記述は為されていない。しかしながら、シャーロック・ホームズシリーズの研究者の間では、放蕩癖でよく知られている当時のウェールズ公(Prince of Wales)で、後のエドワード7世であるとの説が有力である。

エドワード7世(Edward VII:1841年ー1910年 在位期間:1901年ー1910年)は、サクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝(Saxe-Coburg and Gotha)の初代英国国王 / インド皇帝である。

エドワード7世は、1841年11月9日、ハノーヴァー朝(Hanover)の第6代女王で、かつ、初代インド女帝であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年 → 2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)の第2子(長男)として出生し、同年12月4日にウェールズ公の称号を得ている。


テムズ河(River Thames)に架かる
ブラックフライアーズ橋(Blackfriars Bridge
→ 2024年8月6日 / 8月11日付ブログで紹介済)の北岸に設置されている
ヴィクトリア女王のブロンズ像


母であるヴィクトリア女王の在位が長期間になったため、彼がエドワード7世として即位したのは、1901年1月22日で59歳の時だった。これは、ウィンザー朝(Windsor)第5代国王として即位したチャールズ3世(King Charles III:1948年ー 在位期間:2022年ー)に次いで、現状、2番目に長く、ウェールズ公の立場にあったことになる。


チャールズ3世がまだウェールズ公だった際、70歳の誕生日を記念して、
2018年に英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行された記念切手の1枚

なお、エドワード7世は、即位した際、王朝名をハノーヴァー朝からサクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝へと変更している。


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