2024年12月12日木曜日

ケンブリッジ大学創立800周年記念 / ドロシー・ガロッド(800th Anniversary of the University of Cambridge / Dorothy Garrod)

ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた
旧石器時代を専門とした英国の考古学者である
ドロシー・ガロッド(右側の人物)の絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>


2009年にケンブリッジ大学(University of Cambridge)が創立800周年を迎えたことを記念して、英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイク(Quentin Blake:1932年ー)が、ケンブリッジ大学に関係する人物を描いて、寄贈した。


ケンブリッジ大学の創立800周年を記念して、クェンティン・ブレイクが描いた人物達について、(1)アイザック・ニュートン(Issac Newton:1642年―1727年 → 2024年5月26日 / 5月30日付ブログで紹介済)、(2)チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin:1809年ー1882年 → 2024年6月9日 / 6月13日付ブログで紹介済)、(3)ヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)、(4)ジョン・ディー(John Dee:1527年ー1608年、または、1609年 → 2024年7月30日付ブログで紹介済)、(5)オリヴァー・クロムウェル(Oliver Cromwell:1599年ー1658年 → 2024年8月4日付ブログで紹介済)、(6)ジョン・ミルトン(John Milton:1608年ー1674年 → 2024年8月17日付ブログで紹介済)、(7)ウィリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce:1759年ー1833年 → 2024年8月21日付ブログで紹介済)、(8)第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年 → 2021年5月9日+2024年8月24日 / 8月30日付ブログで紹介済)、(9)ヘンリー・ド・ウィントン + ジョン・チャールズ・シリング(Henry de Winton + John Charles Thring → 2024年9月16日付ブログで紹介済)、(10)ジェイムズ・クラーク・マクスウェル(James Clark Maxwell → 2024年11月30日 / 12月3日付ブログで紹介済)や(11)フランク・ウィットル(Frank Whittle → 2024年12月7日付ブログで紹介済)に続き、順番に紹介していきたい。


12番目に紹介するのは、ドロシー・ガロッド(Dorothy Garrod)である。


(12)ドロシー・ガロッド(1892年ー1968年)


ドロシー・ガロッドは、英国の考古学者(archaeologist)で、特に旧石器時代(Palaeolithic Age)を専門としている。


ドロシー・ガロッドは、1892年5月5日、内科医である父サー・アーチボルド・ガロッド(Sir Archibald Garrod:1857年ー1936年)と母ローラ・エリザベス・スミス(Laura Elizabeth Smith - 外科医である初代準男爵サー・トーマス・スミス(Sir Thomas Smith, 1st Baronet(1833年ー1909年)の娘)の下、ロンドンに出生。

彼女は、家で教育を受け、英国の教育者であるイザベル・フライ(Isabel Fry:1869年ー1958年)等が家庭教師を務めた。


長じたドロシー・ガロッドは、1913年にケンブリッジ大学(University of Cambridge)のニューナムカレッジ(Newnham College)に入学し、1916年に卒業。

第一次世界大戦(1914年ー1918年)中、彼女は、3人の兄弟を戦争で亡くしている。また、婚約者も亡くしたと言われている。


家族と一緒に、オックスフォード(Oxford)に落ち着いたドロシー・ガロッドは、考古学(archaeology)と文化人類学(anthropology)に興味を抱く。

彼女は、英国において、英国の文化人類学者であるロバート・ラヌルフ・マレット(Robert Ranulph Marett:1866年ー1943年)に、また、フランスにおいては、彼からの紹介を経て、フランスの考古学者 / 文化人類学者であるアンリ・エデュアルド・プロスパー・ブレイユ(Henri Edouard Prosper Breuil:1877年ー1961年)から、教えを受ける。アンリ・エデュアルド・プロスパー・ブレイユは、旧石器時代の壁画研究で知られており、その結果、彼女は、旧石器時代の考古学に魅せられていく。


ドロシー・ガロッドは、1926年に最初の論文「The Upper Paleolithic of Britain」を発表して、オックスフォード大学(University of Oxford)から賞を受ける。

その後、様々な発掘に参加した彼女は、1937年に論文「The Stone Age of Mount Carmel」を発表し、1939年にケンブリッジ大学の Disney Professor of Archaeology に就いた。オックスフォード大学とケンブリッジ大学において、教授職に就任した女性は、彼女が初めてで、1952年まで務めた。


1952年にケンブリッジ大学の教授職を退任したドロシー・ガロッドは、フランスに住み、調査と発掘を進めた。

1968年の夏、ケンブリッジの親戚を訪れた際、彼女は脳卒中になり、同年12月18日、同地において亡くなった。76歳だった。


           

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