画面中央が、英国のロマン主義の画家である ジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが生まれた場所の メイデンレーン21番地の建物である。 |
一般的には、「J・M・W・ターナー(J. M. W. Turner)」として知られているジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner:1775年ー1851年 → 2018年7月1日 / 7月8日 / 7月15日付ブログで紹介済)は、英国のロマン主義の画家である。
テイト・ブリテン美術館(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)内に展示されている ジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーによる「自画像」(1799年) |
J・M・W・ターナーは、1775年4月23日、ロンドンの劇場街コヴェントガーデン(Covent Garden)に近いメイデンレーン21番地(21 Maiden Lane)に出生し、同年5月14日に洗礼を受けている。
1770年頃、デヴォン州(Devon)からロンドンに出て来た彼の父親ウィリアム・ターナー(William Turner:1745年ー1829年)は、同じ場所で床屋を営んでおり、母親メアリー・マーシャル(Mary Marshall)は肉屋の出であった。
彼は、曽祖父、祖父と父の名前を全て足して、ジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーと名付けられた。
彼の妹メアリー・アン(Mary Ann)は、3年後の1778年9月に生まれたが、1783年8月に幼くして亡くなってしまったため、1785年に母親が精神疾患を発症した。
父親は仕事で忙しく、彼の世話を十分にすることができなかった。そこで、彼は母方の叔父であるジョーゼフ・マロード・ウィリアム・マーシャル(Joseph Mallord William Marshall)に引き取られ、その後も親戚の住まいを転々とする。
なお、母親のメアリーは、1799年に精神病院に入院し、1800年に転院、そして、1804年にその病院で亡くなっている。
温かな家庭とは縁遠い生活を送ることになったJ・M・W・ターナーは、その寂しさを紛らわせるためか、絵に興味を持ち、本格的に絵描きになることを考え始めた。
メイデンレーン21番地は、現在のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内に所在している。
テムズ河(River Thames)に沿って、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)とシティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)を結ぶストランド通り(Strand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)が東西に延びているが、ストランド通りの北側、また、コヴェントガーデンマーケット(Covent Garden Market → 2016年1月9日付ブログで紹介済)の南側に、メイデンレーン(Maiden Lane)が、ストランド通りに並行して、東西に延びている。
メイデンレーンの一番西に近いエクスチェンジコート(Exchange Court)と言う脇道に接する角地に、メイデンレーン21番地は建っている。
画面右側の通りが、 メイデンレーンからの脇道に該るエクスチェンジコート。 |
メイデンレーン21番地の建物の1階には、現在、パブが入居しているが、2階を含む上階はフラットで、入居者は、エクスチェンジコートに面した玄関から出入りしている。
メイデンレーン21番地の建物の外壁には、「ジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775年ー1851年)が、この場所で生まれた」旨を記すシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のプラークが架けられている。
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