2024年12月7日土曜日

ケンブリッジ大学創立800周年記念 / フランク・ウィットル(800th Anniversary of the University of Cambridge / Frank Whittle)

ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた
ターボジェットエンジンの実用化に大きく寄与した英国の空軍士官 / 技術者である
フランク・ウィットル(左側の人物)の絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>

 2009年にケンブリッジ大学(University of Cambridge)が創立800周年を迎えたことを記念して、英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイク(Quentin Blake:1932年ー)が、ケンブリッジ大学に関係する人物を描いて、寄贈した。

ケンブリッジ大学の創立800周年を記念して、クェンティン・ブレイクが描いた人物達について、(1)アイザック・ニュートン(Issac Newton:1642年―1727年 → 2024年5月26日 / 5月30日付ブログで紹介済)、(2)チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin:1809年ー1882年 → 2024年6月9日 / 6月13日付ブログで紹介済)、(3)ヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)、(4)ジョン・ディー(John Dee:1527年ー1608年、または、1609年 → 2024年7月30日付ブログで紹介済)、(5)オリヴァー・クロムウェル(Oliver Cromwell:1599年ー1658年 → 2024年8月4日付ブログで紹介済)、(6)ジョン・ミルトン(John Milton:1608年ー1674年 → 2024年8月17日付ブログで紹介済)、(7)ウィリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce:1759年ー1833年 → 2024年8月21日付ブログで紹介済)、(8)第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年 → 2021年5月9日+2024年8月24日 / 8月30日付ブログで紹介済)、(9)ヘンリー・ド・ウィントン + ジョン・チャールズ・シリング(Henry de Winton + John Charles Thring → 2024年9月16日付ブログで紹介済)や(10)ジェイムズ・クラーク・マクスウェル(James Clark Maxwell → 2024年11月30日 / 12月3日付ブログで紹介済)に続き、順番に紹介していきたい。

11番目に紹介するのは、フランク・ウィットル(Frank Whittle)である。

(11)フランク・ウィットル(1907年ー1996年)

フランク・ウィットルは、英国の空軍士官 / 技術者で、ターボジェットエンジン(turbojet engine)の実用化に大きく寄与した人物として見做されている。

1907年6月1日に英国コヴェントリー(Coventry)の自動車整備工の息子として生まれたフランク・ウィットルは、パイロットに憧れ、英国空軍(Royal Air Force)幼年学校(体格が劣っていたため、一度不合格になっている)を経て、1926年に空軍士官学校に進んだ。そこで、彼は、技術将校のアラン・アーノルド・グリフィス(Alan Arnold Griffith:1893年ー1963年)から薫陶を受け、航空機エンジンの理論を学ぶ。

1928年に空軍士官学校を優秀な成績で卒業したフランク・ウィットルは、ケンブリッジ大学のピーターハウスカレッジ(Peterhouse College)工学部へと派遣され、教授のサー・ベネット・メルヴィル・ジョーンズ(Sir Bennett Melvill Jones:1887年ー1975年)に師事し、首席で卒業。

その際、フランク・ウィットルは、英国空軍技術将校のアラン・アーノルド・グリフィスが主張する「軸流式ターボプロップエンジン」ではなく、構造が簡素な「遠心式ターボジェットエンジン」の方が早期の戦力化に適するとした論文をまとめ、1929年に軍需省に上申した後、自費で特許出願した。

軍需省の指示を受けたアラン・アーノルド・グリフィスがフランク・ウィットルの論文を査読した結果、計算間違いが発見された上に、「遠心式ターボジェットエンジン」では発展性に欠けるため、航空機には不適と判断されてしまった。


王立航空研究所(Royal Aircraft Establishment)において、「軸流式ターボプロップエンジン」の基礎研究を進める上司のアラン・アーノルド・グリフィス達に対抗して、フランク・ウィットルは、銀行家からの出資を取り付けると、1936年、英国空軍を退役した元同僚2人と一緒に、パワージェット社(Power Jets Ltd.)を設立。そして、蒸気タービン大手のブリティッシュ・トムスン・ヒューストン社(British Thomson-Houston)工場の一角を借りて、「遠心式ターボジェットエンジン」の試作に取り掛かり、1937年4月に試作機を完成。


第二次世界大戦(1939年ー1945年)の勃発により、「遠心式ターボジェットエンジン」の部品調達の優先順位が下げられてしまった上に、エンジンの暴走 / 過熱 / 振動 / 共鳴 / バックファイアー等の問題が次々に発生。また、フランク・ウィットルは、自信家で偏狭な性格だったため、各方面において、様々な軋轢を生んだ。

弱小で生産設備を有しないパワージェット社は、残念ながら、1944年末に王立航空研究所の一部門として吸収されてしまった。


資金繰りの難しさににより体調を崩したことに加えて、長年の苦労による神経衰弱に陥ったフランク・ウィットルは、1946年に英国空軍を除隊。

1948年には、ナイトの称号(knighthood)を受けた。

その後、フランク・ウィットルは、BOAC / Shell / Bristol Aero Engines の顧問等の閑職を経て、米国海軍士官学校(United States Naval Academy)の招聘で、1976年に米国へ移住。

そして、彼は、1996年8月8日、メリーランド州(Maryland)コロンビア(Columbia)において、肺癌のため、死去した。


           

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