ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、 英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた ターボジェットエンジンの実用化に大きく寄与した英国の空軍士官 / 技術者である フランク・ウィットル(左側の人物)の絵葉書 <筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum → 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入> |
2009年にケンブリッジ大学(University of Cambridge)が創立800周年を迎えたことを記念して、英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイク(Quentin Blake:1932年ー)が、ケンブリッジ大学に関係する人物を描いて、寄贈した。
その際、フランク・ウィットルは、英国空軍技術将校のアラン・アーノルド・グリフィスが主張する「軸流式ターボプロップエンジン」ではなく、構造が簡素な「遠心式ターボジェットエンジン」の方が早期の戦力化に適するとした論文をまとめ、1929年に軍需省に上申した後、自費で特許出願した。
軍需省の指示を受けたアラン・アーノルド・グリフィスがフランク・ウィットルの論文を査読した結果、計算間違いが発見された上に、「遠心式ターボジェットエンジン」では発展性に欠けるため、航空機には不適と判断されてしまった。
王立航空研究所(Royal Aircraft Establishment)において、「軸流式ターボプロップエンジン」の基礎研究を進める上司のアラン・アーノルド・グリフィス達に対抗して、フランク・ウィットルは、銀行家からの出資を取り付けると、1936年、英国空軍を退役した元同僚2人と一緒に、パワージェット社(Power Jets Ltd.)を設立。そして、蒸気タービン大手のブリティッシュ・トムスン・ヒューストン社(British Thomson-Houston)工場の一角を借りて、「遠心式ターボジェットエンジン」の試作に取り掛かり、1937年4月に試作機を完成。
第二次世界大戦(1939年ー1945年)の勃発により、「遠心式ターボジェットエンジン」の部品調達の優先順位が下げられてしまった上に、エンジンの暴走 / 過熱 / 振動 / 共鳴 / バックファイアー等の問題が次々に発生。また、フランク・ウィットルは、自信家で偏狭な性格だったため、各方面において、様々な軋轢を生んだ。
弱小で生産設備を有しないパワージェット社は、残念ながら、1944年末に王立航空研究所の一部門として吸収されてしまった。
資金繰りの難しさににより体調を崩したことに加えて、長年の苦労による神経衰弱に陥ったフランク・ウィットルは、1946年に英国空軍を除隊。
1948年には、ナイトの称号(knighthood)を受けた。
その後、フランク・ウィットルは、BOAC / Shell / Bristol Aero Engines の顧問等の閑職を経て、米国海軍士官学校(United States Naval Academy)の招聘で、1976年に米国へ移住。
そして、彼は、1996年8月8日、メリーランド州(Maryland)コロンビア(Columbia)において、肺癌のため、死去した。
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