2024年2月11日日曜日

S・S・ヴァン・ダイン作「僧正殺人事件」(The Bishop Murder Case by S. S. Van Dine)- その2

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2024年に刊行されている
Pushkin Vertigo シリーズの一つである

S・S・ヴァン・ダイン作「僧正殺人事件」に挿入されている
物理学者であるバートランド・ディラード教授の邸宅の周辺地図


米国の推理作家である S・S・ヴァン・ダイン(S. S. Van Dine)こと、美術評論家のウィラード・ハンティントン・ライト(Willard Huntington Wright:1888年ー1939年)が1929年に発表した長編推理小説で、素人探偵であるファイロ・ヴァンス(Philo Vance)シリーズ12長編のうち、第4作目に該る「僧正殺人事件(The Bishop Murder Case)」は、「グリーン家殺人事件(The Greene Murder Case)」(1928年)が解決した12月から約4ヶ月が経過した翌年の4月2日(土)から始まる。


クリスマスが終わると、ファイロ・ヴァンスは、ウインタースポートをするために、スイスへと出かけ、翌年の2月末に、ニューヨークへと戻って来た。その後、彼は、自分の趣味に興じていた。

ファイロ・ヴァンスの友人で、かつ、彼の法律面のアドバイザーを務めているS・S・ヴァン・ダインが、4月2日の昼頃に、イースト38番ストリート(East 38th Street)にある彼の自宅を訪れると、遅く起きた彼は、まだ朝食を食べているところだった。


そんな最中、ファイロ・ヴァンスの友人で、かつ、ニューヨーク州(New York County)の地方検事(District Attorney)を務めているジョン・F・X・マーカム(John F.-X. Markham)が彼に電話を掛けてきた上で、彼の自宅へとやって来た。

また、ジョン・F・X・マーカムの手に余る厄介な事件が、また発生したのである。


ファイロ・ヴァンスの自宅を訪れたジョン・F・X・マーカム地方検事によると、ウェスト75番ストリート(West 75th Street)とウェスト76番ストリート(West 76th Street)に挟まれたエリアに、高名な物理学者(physicist)であるバートランド・ディラード教授(Professor Bertrand Dillard)の邸宅があるが、その邸宅の横にあるアーチェリー練習場において、教授の姪であるベル・ディラード(Belle Dillard)に思いを寄せていたアーチェリー選手であるジョーゼフ・コクレーン・ロビン(Joseph Cochrane Robin)が、心臓に矢が突き刺さったまま、死亡しているのが発見されたのである。

更に、ジョーゼフ・コクレーン・ロビンの恋敵で、彼の死の直前まで一緒に居たレイモンド・スパーリング(Raymond Sperling)が、姿を消していた。

そのため、教授の姪ベル・ディラードを争うレイモンド・スパーリングが、恋敵のジョーゼフ・コクレーン・ロビンを矢で射殺したものと思われた。


弓と矢で射抜かれたジョーゼフ・コクレーン・ロビン。

(ジョーゼフ・)コクレーン・ロビンとクック・ロビン(駒鳥(コマドリ))。

また、(レイモンド・)スパーリングは、ドイツ語で、「雀(スズメ)」を意味した。


このように、状況は、マザーグース(Mother Goose - 英国において、古くから口誦によって伝承されて来た童謡の総称)の「駒鳥の死と葬い(The Death and Burial of Cock Robin)」の内容と、不気味なまでに合致した。


Who killed Cock Robin?(誰が駒鳥を殺したの?)

‘I’, said the sparrow,(それは私、と雀が言った。)

‘With my bow and arrow,(私の弓と矢で)

I killed Cock Robin.’’(私が駒鳥を殺したの。)


更に、ジョーゼフ・コクレーン・ロビンの殺害現場であるバートランド・ディラード教授の邸宅の郵便受けには、今回の事件を示唆する内容の書き付けが入れられていた。その書き付けには、「僧正(The Bishop)」と言う署名が為されていた。


こうして、4月2日(土)、恐るべき「僧正殺人事件」の火蓋が切って落とされたのだった。


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