2024年2月19日月曜日

S・S・ヴァン・ダイン作「僧正殺人事件」(The Bishop Murder Case by S. S. Van Dine)- その4

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2024年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

S・S・ヴァン・ダイン作「僧正殺人事件」の裏表紙
(Cover design by Jo Walker)


ニューヨークにおいて、「僧正(The Bishop)」を名乗る人物により、マザーグースに見立てた殺人事件が続いていた。


<第1の殺人事件>

ウェスト75番ストリート(West 75th Street)とウェスト76番ストリート(West 76th Street)に挟まれたエリアに、高名な物理学者(physicist)であるバートランド・ディラード教授(Professor Bertrand Dillard)の邸宅があるが、4月2日(土)の昼頃、その邸宅の横にあるアーチェリー練習場において、教授の姪であるベル・ディラード(Belle Dillard)に思いを寄せていたアーチェリー選手であるジョーゼフ・コクレーン・ロビン(Joseph Cochrane Robin)が、心臓に矢が突き刺さったまま、死亡しているのが発見された。

更に、ジョーゼフ・コクレーン・ロビンの恋敵で、彼の死の直前まで一緒に居たレイモンド・スパーリング(Raymond Sperling)が、姿を消していた。


<第2の殺人事件>

バートランド・ディラード教授の養子で、コロンビア大学(Columbia University)の数学の准教授であるジガード・アーネッスン(Sigurd Arnesson)の教え子の大学生であるジョン・E・スプリッグ(John E. Sprigg)が、4月11日(月)の朝、大学へ行く前の散歩中、ウェスト84番ストリート(West 84th Street)の近くにあるリヴァーサイドパーク(Riverside Park)において、32口径のピストルで頭を撃たれて、亡くなっているのが発見された。

そして、凶器のピストルは、ディラード家が保管しているもので、ジョン・E・スプリッグの死体が発見された時点では、紛失しており、後に元の場所に戻されていた。また、旋条痕が一致したため、これが、凶器のピストルであることが確定。


<第3の殺人事件>

バートランド・ディラード教授の邸宅が面しているウェスト75番ストリートの反対側のウェスト76番ストリートに面した邸宅に住む科学者であるアドルフ・ドラッカー(Adolph Drukker)が、4月16日(土)の朝、リヴァーサイドパークの高い塀から突き落とされて、首の骨を折り、亡くなっているのが発見された。

アドルフ・ドラッカーは、赤ん坊の時、レディー・メイ(Lady Mae)こと、母親のオットー・ドラッカー夫人(Mrs. Otto Drukker)が誤って地面に落としてしまったため、脊椎が彎曲異常しており、子供達から「ハンプティー・ダンプティー(Humpty Dumpty)」と呼ばれていたのである。

検死結果によると、アドルフ・ドラッカーの死亡時刻は、前夜、つまり、4月15日(金)の午後10時頃と判った。


素人探偵であるファイロ・ヴァンス(Philo Vance)彼の友人で、かつ、彼の法律面のアドバイザーを務めているS・S・ヴァン・ダイン、S. S. Van Dine)、彼の友人で、かつ、ニューヨーク州(New York County)の地方検事(District Attorney)を務めているジョン・F・X・マーカム(John F.-X. Markham)、そして、アーネスト・ヒース部長刑事(Sergeant Ernest Heath)が、アドルフ・ドラッカーのことを伝えるために、オットー・ドラッカー夫人の部屋へ向かったが、彼女のベッドには、寝た形跡がなかった。

次に、彼らがアドルフ・ドラッカーの書斎に行ったところ、その部屋の床の上で、オットー・ドラッカー夫人は、心臓麻痺のため、亡くなっていた。彼女の死亡時刻は、息子のアドルフ・ドラッカーと同じく、4月15日(金)の深夜であり、どうやら、彼の書斎に、「僧正」がやって来てようである。


<第4の殺人事件>

4月17日(日)の朝、バートランド・ディラード教授の執事であるパイン(Pyne)が、地下のアーチェリールームにおいて、数学者で、チェスの名手でもあるジョン・パーディー(John Pardee)が死んでいるのを発見した。椅子に腰掛けて、拳銃で頭を撃っており、自殺のように見受けられた。

ジョン・パーディーの前にあるテーブルの上には、トランプの家(The House of Cards)が建てられており、マザーグースの「ジャックが建てた家」の見立てだと思われた。そのため、ファイロ・ヴァンスは、ジョン・パーディーの死を「自殺」ではなく、「殺人」だと考えた。


<第5の事件>

4月26日(火)、アドルフ・ドラッカーの知り合いで、彼の葬式の際、花を手向けた少女であるマドレーヌ・モッファット(Madeleine Moffat - 5歳)が、公園で遊んでいた際、「僧正」と思われる人物によって誘拐される。

これも、マザーグースの「マフェットお嬢ちゃん(Little Miss Muffet)」の見立てだと思われた。


ファイロ・ヴァンスは、彼独自の心理分析によって、それぞれの殺人の犯行状況から、犯人像を絞り込んで、新たなる凶行(マドレーヌ・モッファットの殺害)を防ぎ、「僧正」と直接対決をするのであった。


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