画面中央下に建つ女性(水色の服を着て、茶色の煉瓦のの家の前に立つ女性)が、 チャールズ・ディケンズの晩年、彼と不倫関係にあった 舞台女優のエレン・ターナンである。 |
英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、2021年に発売されたジグソーパズル「チャールズ・ディケンズの世界(The World of Charles Dickens)」のイラスト内には、ヴィクトリア朝を代表する英国の小説家であるチャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens:1812年ー1870年)や彼が生きた時代の人物、そして、彼の作品に登場するキャラクター等が散りばめられているので、次回以降、順番に紹介していきたい。
Alma Books Ltd. から Alma Classics シリーズの一つとして2018年に出版されている ウィルキー・コリンズ作「フローズンディープ」の表紙 (Cover design by nathanburtondesign.com) |
今回紹介するのは、英国の舞台女優であるエレン・ターナン(Ellen Ternan:1839年ー1914年)で、チャールズ・ディケンズと不倫関係にあった人物である。
1834年に「モーニングクロニクル(Morning Chronicle)」紙の報道記者となったチャールズ・ディケンズは、ジャーナリストとして、本格的に活動していく。
1835年1月、モーニングクロニクル紙は、朝刊に加えて、夕刊の発行を始め、同紙の音楽関係の評論家であるジョージ・ホガース(George Hogarth:1783年ー1870年)を夕刊紙の編集長に据えた。ジョージ・ホガースは、チャールズ・ディケンズに対して、夕刊紙への寄稿を依頼したことで、2人は友人となり、チャールズ・ディケンズは、フラム(Fulham)にあるジョージ・ホガースの自宅を訪れるようになった。そこで、チャールズ・ディケンズは、フラム(Fulham)にあるジョージ・ホガースの長女で、当時19歳のキャサリン・ホガース(Catherine Hogarth:1815年ー1879年)に出会う。
同年、チャールズ・ディケンズとキャサリン・ホガースは婚約し、1年後の1836年4月2日、2人は結婚した。
ナショナルポートレートギャラリーで販売されている チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズの肖像画の葉書 (by Daniel Maclise / 1839年 / Oil on canvas / 914 mm x 714 mm) |
チャールズ・ディケンズとキャサリン・ホガースは、10人の子供を儲けたが、お互いの性格の不一致のため、2人の結婚生活は、あまりうまくいかなかった。
実は、チャールズ・ディケンズは、キャサリン・ホガースよりも、彼女の妹であるメアリー・ホガース(Mary Hogarth)の方を愛していたが、メアリーはキャサリンよりも2歳年下だったこともあって、最終的には、キャサリンと結婚したのである。
チャールズ・ディケンズの結婚後も、メアリーは、ディケンズ夫妻の住まいに同居していたが、翌年の1837年、彼女は、病気のため、急死してしまう。その結果、チャールズ・ディケンズは、暫くの間、執筆活動を中断せざるを得なくなる程の精神的な打撃を受けた。
「フローズンディープ」は、 元々、ヴィクトリア朝時代を代表する英国の小説家である チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ (Charles John Huffam Dickens:1812年ー1870年)による指導の下、 ウィルキー・コリンズが1857年に執筆した劇で、 後に、小説として、 「The Frozen Deep and Other Tales」(1874年)に収録された。 |
チャールズ・ディケンズによる指導の下、ヴィクトリア朝時代(1837年-1901年)に活躍した英国の小説家 / 推理作家 / 劇作家で、推理小説「月長石(The Monnstone → 2022年9月30日 / 10月13日付ブログで紹介済)」(1868年)の作者であるウィリアム・ウィルキー・コリンズ(William Wilkie Collins:1824年ー1889年 → 2022年9月2日 / 9月4日付ブログで紹介済)が1857年に執筆した劇「フローズンディープ(Frozen Deep)」の上演のために、同年9月、チャールズ・ディケンズは、舞台女優のエレン・ターナンを抜擢した。
これを契機にして、チャールズ・ディケンズとエレン・ターナンの不倫関係が始まったが、この時点で、チャールズ・ディケンズは45歳である一方、エレン・ターナンはまだ18歳で、チャールズ・ディケンズの一番下の娘より、6ヶ月だけ年上と言う若さだった。
1858年に、チャールズ・ディケンズは、妻キャサリンと別居するが、既にヴィクトリア朝を代表する小説家になっていた彼としては、スキャンダルを避ける上で、離婚と言う選択肢はなかった。
従って、チャールズ・ディケンズとエレン・ターナンの不倫関係は、彼の死後まで、公的には、秘密とされた。
1870年にチャールズ・ディケンズが亡くなった後の1876年、エレン・ターナンは、オックスフォード大学(Oxford University → 2015年11月21日付ブログで紹介済)の卒業生で、自分よりも12歳年下のジョージ・ワートン・ロビンスン(George Wharton Robinson)と結婚して、一男一女を儲けている。
夫婦で、マーゲート(Margate)において、男子校を経営。
1910年に夫が死去した後、エレン・ターナンは、1914年4月25日、フラムにおいて、癌で亡くなっている。そして、彼女は、不倫関係になったチャールズ・ディケンズの出生地であるポーツマス(Portsmouth → 2016年9月17日付ブログで紹介済)の墓地に埋葬された。
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