ケンサルグリーン墓地(Kensal Green Cemetery)は、ロンドンの特別区の一つであるケンジント&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)内のノースケンジントン地区(North Kensington)の北端ケンサルグリーン(Kensal Green)にある墓地である。
アルマプレイスにある西側の出入口(その1) |
アルマプレイスにある西側の出入口(その2) |
地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station)からだと、ベーカールーライン(Bakerloo Line)に乗車して、ケンサルグリーン駅(Kensal Green Station)で下車、また、ユーストン駅(Euston Station → 2015年10月31日付ブログで紹介済)からだと、オーバーグラウンド(Overground)に乗車し、上記と同じケンサルグリーン駅で下車すると、駅の前をハーロウロード(Harrow Road)が東西に延びており、その向こう側に、ケンサルグリーン墓地が所在している。
アルマプレイスにある西側の出入口(その3) |
アルマプレイスにある西側の出入口(その4) |
ケンサルグリーン墓地は、北側のハーロウロードと南側のグランドユニオンカナル(Grand Union Canal)と言う運河に挟まれたエリア内にある広大な墓地(約29ヘクタール)である。
驚くことに、これ一つで、一人用の墓となっている。 |
ケンサルグリーン墓地には、2つの出入口があり、東側は、ハーロウロードとラドブローク通り(Ladbroke)が交差する辺りから、また、西側は、ケンサルグリーン駅を出て、ハーロウロード沿いに少し西へ進んだところにあるアルマプレイス(Alma Place)から、墓地内へ入ることができる。
ケンサルグリーン墓地中央辺りの墓(その1) |
ケンサルグリーン墓地中央辺りの墓(その2) |
ケンサルグリーン墓地は、英国の弁護士、雑誌編集者で、実業家でもあったジョージ・フレデリック・カーデン(George Frederick Carden:1798年ー1874年)が出資者となり、1833年にオープンした。
ケンサルグリーン墓地中央辺りの墓(その3) |
ケンサルグリーン墓地は、ハイゲート墓地(Highgate Cemetery → 2018年11月4日 / 11月11日付ブログで紹介済)やブロンプトン墓地(Brompton Cemetery → 2015年9月6日付ブログで紹介済)と同じように、ロンドンの「7大墓地(Magnificent Seven)」の一つであるが、7大墓地の中で、一番最初に出来た墓地である。
ケンサルグリーン墓地周辺の墓(その1) |
ケンサルグリーン墓地周辺の墓(その2) |
ヴィクトリア朝を代表する英国の小説家であるチャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens:1812年ー1870年)と同時代に活躍した
(1)英国の小説家 / 推理作家 / 劇作家であるウィリアム・ウィルキー・コリンズ(William Wilkie Collins:1824年ー1889年 → 2022年9月2日 / 9月4日付と2023年11月18日付ブログで紹介済)
(2)英国の小説家であるウィリアム・メイクピース・サッカレー(William Makepeace Thackeray:1811年ー1863年 → 2023年12月4日付ブログで紹介済)
の墓も、ケンサルグリーン墓地内にあるが、
・非常に広大な墓地であること
・6万5千を超える墓があること
・ハイゲート墓地とは異なり、著名人の墓の位置を示すような地図が、ケンサルグリーン墓地内に設置されていないこと
等に加えて、訪問当日、雨が降った後で、墓地のあちこちに大きな水溜りや泥濘み等もあって、残念ながら、2つの墓を発見することは断念せざるを得なかった。
ケンサルグリーン墓地周辺の墓(その3) |
ケンサルグリーン墓地周辺の墓(その4) |
ケンサルグリーン墓地は、1987年に「一級建築文化財(Grade I listed buildings)」に指定されている。
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