ケンジントンスクエアの中央にある ケンジントンスクエアガーデン(Kensington Square Garden)- その1 |
アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1920年に発表した「スタイルズ荘の怪事件(The Mysterious Affairs at Styles → 2023年12月3日 / 12月xx日付ブログで紹介済)」は、彼女の商業デビュー作であり、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編第1作目、かつ、ポワロの初登場作品に該る。
なお、本作品は、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中の1916年に執筆され、米国の John Lane 社から、1920年(10月)に発表されている。英国本国の場合、John Lane 社の英国会社である The Bodley Head 社から、1921年(1月)に出版された。
ケンジントンスクエアの中央にある ケンジントンスクエアガーデン - その2 |
第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings - 30歳)は、英国に帰還する。旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish - 45歳)の招きで、エセックス州(Essex)にあるスタイルズ荘(Styles Court)を訪れたヘイスティングス大尉であったが、到着早々、事件に巻き込まれるのであった。
ジョン・キャヴェンディッシュの義母で、スタイルズ荘の持ち主である老婦人エミリー・イングルソープ(Emily Inglethrop - 70歳を超えている)は、20歳も年下のアルフレッド・イングルソープ(Alfred Inglethrop)と再婚して、屋敷で暮らしていたが、7月18日(水)の朝、ストリキニーネで毒殺されているのが発見された。
キャンプデンヒルロード(北側)- その1 |
キャンプデンヒルロード(北側)- その2 |
当初、エミリー・イングルソープの死により、最も大きな利益を得ることになる夫のアルフレッド・イングルソープが、まず容疑者として疑われ、スコットランドヤードのジェイムズ・ジャップ警部(Inspector James Japp)が、彼を逮捕しようとするが、エルキュール・ポワロは、ストリキニーネ購入時における薬局の記録上の署名が彼の筆跡ではないことを証明して、アルフレッド・イングルソープの逮捕を思いとどまらせた。
キャンプデンヒルロード(真ん中辺り)- その1 |
キャンプデンヒルロード(真ん中辺り)- その2 |
そのため、ジャップ警部が、アルフレッド・イングルソープの次に疑ったのは、エミリー・イングルソープの死により利益を得る上に、事件当夜のアリバイがないジョン・キャヴェンディッシュであった。
ストリキニーネ購入時における薬局の記録上の署名が彼の筆跡に酷似していること、また、アルフレッド・イングルソープとよく似た付け髭と鼻眼鏡が発見されたことが決め手となり、ジョン・キャヴェンディッシュは逮捕されてしまう。
ピットストリート沿いには、現代的な住宅地も存在している - その1 |
ジョン・キャヴェンディッシュの裁判が、同じ年の9月、ロンドンの中央刑事裁判所(Central Criminal Cout → 2016年1月17日付ブログで紹介済)において行われるため、ジョン・キャヴェンディッシュの妻であるメアリー・キャヴェンディッシュ(Mary Cavendish)は、ケンジントン地区(Kensington)に家を借りた。ポワロも、同じ家に滞在することになった。(September found us all in London. Mary took a house in Kensington, Poirot being included in the family party.)
ピットストリート沿いには、現代的な住宅地も存在している - その2 |
ケンジントン地区は、ロンドンの中心部に所在するロンドン特別区の一つのケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)に属する地区である。
なお、「スタイルズ荘の怪事件」が発生した時点では、1965年の行政区域改正前であるので、ケンジントン首都区(Metropolitan Borough of Kensington)を形成していた。
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