2023年10月19日木曜日

シェイクスピアの世界<ジグソーパズル>(The World of Shakespeare )- その28

ロンドン塔(Tower of London → 2018年4月8日 / 4月15日付ブログで紹介済)の中庭
(ホワイトタワー(White Tower)の左側)に、
2組の双子の兄弟(「シラクサのアンティフォラス(兄)」と「エフェソスのアンティフォラス(弟)」 /
 「シラクサのドローミオ(兄)」と「エフェソスのドローミオ(弟)」)が描かれている。
多分、画面中央奥の2人が双子の兄弟で、
画面中央手前の2人が双子の召使いだと思われる。


英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、2020年に発売されたジグソーパズル「シェイクスピアの世界(The World of Shakespeare)」には、のイラスト内には、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)や彼が生きた時代の人物、彼の劇が上演されたグローブ座、そして、彼が発表した史劇、悲劇や喜劇に登場するキャラクター等が散りばめられているので、前回に続き、順番に紹介していきたい。


今回紹介するのは、ウィリアム・シェイクスピア作の喜劇「間違いの喜劇(The Comedy of Errors)」(1594年)で、全5幕で構成されているが、彼の劇の中でも、最も短いものである。

「間違いの喜劇」は、船が難破した結果、離れ離れになった双子の兄弟とその兄弟に仕える双子の召使いが騒動を巻き起こす物語となっている。


「間違いの喜劇」は、1594年12月28日に、ロンドンのグレイ法曹院(The Honourable Society of Gray’s Inn - ロンドンの中心部であるカムデン区(London Borough of Camden)のホルボーン(Holborn)地区内に所在する法曹院で、ロンドンに4つある法曹院の一つ)において上演されたが、これが、「間違いの喜劇」にかかる最古の上演記録である。

従って、ウィリアム・シェイクスピアがこの喜劇を書いたのは、1594年とする説があるが、戯曲中に当時の社会状況にかかる言及があるため、1591年から1593年頃とする説もある。


物語の舞台は、ギリシアのエフェソス(Ephesus)に設定されている。


シラクサ(Syracuse)の商人であるイージオン(Aegeon)には、妻エミリア(Emilia)、アンティフォラス(Antipholus)と言う双子とドローミオ(Dromio)と言う双子の召使いが居たが、航海中、船が難破して、妻、幼い双子の兄と召使いの兄の3人が行方不明になってしまう。


そして、時が経過し、シラクサにおいて成長した双子の弟である「シラクサのアンティフォラス(Antipholus of Syracuse)」は、召使いの弟である「シラクサのドローミオ(Dromio of Syracuse)」と一緒に、双方の兄探しの旅へと出発した。


父のイージオンは、2人の後を追ったが、その旅の途中で、エフェソスへの不法侵入の罪で逮捕されてしまい、1000マルクの罰金を支払うか、さもなければ、死刑の宣告を言い渡される。


船が難破した際、母のエミリアとは別れてしまったが、双子の兄であるアンティフォラスと召使いの兄であるドローミオは、エフェソスに定住して、そこで「エフェソスのアンティフォラス(Antipholus of Ephesus)」と「エフェソスのドローミオ(Dromio of Ephesus)」として名を成し、エフェソスのアンティフォラス」は、エイドリアーナ(Adriana)と言う女性を妻に迎えていた。


兄探しのため、エフェソスに到着した双子の弟である「シラクサのアンティフォラス」と召使いの弟である「シラクサのドローミオ」は、エイドリアーナに夫と間違えられたため、双子の兄である「エフェソスのアンティフォラス」と召使いの兄である「エフェソスのドローミオ」は、逆に、家から締め出されることになってしまう。

間違いが重なるもので、双子の兄である「エフェソスのアンティフォラス」は、逮捕されてしまった。


その後、1000マルクの罰金を用意できなかっらイージオンの処刑場において、2組の双子の兄弟(「シラクサのアンティフォラス(兄)」と「エフェソスのアンティフォラス(弟)」 / 「シラクサのドローミオ(兄)」と「エフェソスのドローミオ(弟)」)は、遂に再会を果たす。

更に、エフィソスの尼僧院長が、イージオンの妻で、双子のアンティフォラス兄弟の母であるエミリアであることが判明した。

幸いにして、イージオンも死刑執行を免れたため、運命に翻弄されながらも、生きて再会できた彼らは、再会を祝って、宴を開催するのであった。


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