チケットオフィスを抜けて、ローンストン城のキープへと向かう(その2) <筆者撮影> |
ローンストン城(Launceston Castle)が、歴史上、戦いの場所となるのは、レストーメル城(Restormel Castle → 2023年9月27日 / 10月1日付ブログで紹介済)と同様に、一度のみである。
1625年にステュアート朝(House of Stuart)の初代国王である父ジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年ー1625年)の死去に伴い、第2代国王(イングランド、スコットランドとアイルランドの王)となったチャールズ1世( Charles I:1600年ー1649年 在位期間:1625年-1649年 → 2017年4月29日付ブログで紹介済)は、父王と同様に「王権神授説」を信奉して、議会と対立。1628年に議会は「権利の請願(Petition of Right)」を提出し、課税には議会の承認を得ることを求めたが、チャールズ1世は1629年に議会を解散して、議会の指導者を投獄する等、専制政治を実行した。更に、彼は国教統一にも乗り出し、ピューリタン(Puritan)を弾圧したため、各地での反乱を引き起こす引き金となった。
1642年、チャールズ1世が反国王派の議員を逮捕しようとしたことに伴い、議会派と王党派の内戦が勃発。これが、ピューリタン革命(Puritan Revolution:1642年ー1649年)である。
1644年にレストーメル城が、そして、1645年に、トトネス城が、王党派軍によって占拠された。その後、王党派軍は、議会派を支持したダートマス(Dartmouth → 2023年月日付ブログを紹介ず)へと進軍して、1646年1月、ダートマス城を含むダートマスを攻撃し、1日で陥落させているが、ローンストン城も、王党派軍によって、占拠されている。
ピューリタン革命後、ローンストン城は、破壊されて、居住には適さなくなる。
チケットオフィスを抜けて、ローンストン城のキープへと向かう(その3) <筆者撮影> |
19世紀半ば頃、ローンストン城内の刑務所に収容されていた受刑者達は、ボドミン刑務所(Bodmin Gaol)へと移された結果、ローンストン城内の刑務所は閉鎖される。
チケットオフィスを抜けて、ローンストン城のキープへと向かう(その4) <筆者撮影> |
第二次世界大戦(1939年-1945年)中、ローンストン城は、米国陸軍兵士の宿営地として使用され、その後、英国空軍のオフィスとして使われた。
第二次世界大戦が終わり、1956年に英国空軍のオフィスが撤去されると、ローンストン城は、観光客に一般開放される。
チケットオフィスを抜けて、ローンストン城のキープへと向かう(その5) <筆者撮影> |
ローンストン城は、現在、コンウォール公爵(Duke of Cornwall)により所有されているが、イングリッシュヘリテージ(English Heritage)が管理して、一般に開放している。
ローンストン城のキープからチケットオフィスへと戻る途中 <筆者撮影> |
ローンストン城は、コンウォール州におけるノルマン様式で築かれた主要な4大城の一つで、他には、(1)レストーメル城、(2)ティンタジェル城(Tintagel Castle → 2022年7月23日付ブログで紹介済)と(3)トレメートン城(Trematon Castle)がある。
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