2015年11月7日土曜日

ロンドン ホワイトホールテラス(Whitehall Terrace)

画面右手の通りがホワイトホールプレイスで、
画面左手の通りがホワイトホールコート

サー・アーサー・コナン・ドイル作「第二のしみ(The Secon Stain)」では、秋のある火曜日の朝、英国首相であるベリンガー卿(Lord Bellinger)と欧州問題担当大臣(Secretary for European Affairs)のトレローニー・ホープ(Trelawney Hope)が、ある極秘の用件で、ベイカーストリート221B(221B Baker Street  → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪ねて来る。
彼らの説明によると、ある非常に重要な手紙が入った封筒が盗まれたと言う。問題の封筒は、欧州問題担当大臣の自宅寝室の鏡台に置いてある鍵のかかった書類箱内に保管されていたのだが、今朝、それが無くなっていたのである。首相曰く、この手紙を無事に取り戻せるかどうかによって、欧州全体の平和が大きく左右される、とのことだった。
首相の話を受けて、欧州問題担当大臣が説明を始める。



「ホームズさん、本件は非常に簡単に説明できます。問題の手紙は、ーそれは、ある外国の君主から送られた手紙なのですが、ー6日前に受け取りました。非常に重要な手紙でしたので、私のオフィスの金庫内には置いておけませんでした。そこで、私はホワイトホールテラスにある自宅にその手紙を毎晩持ち帰って、寝室の鍵付き書類箱の中に保管していたのです。昨夜、手紙はその書類箱の中にありました。それは間違いありません。私が夕食のために着替えをしていた際、実際に書類箱を開けて、手紙が中にあることを確認しました。ところが、今朝、それが無くなっていたのです。書類箱は、一晩中、私の鏡台の鏡の側に置いてありました。私は眠りが浅い方ですし、私の妻も同じです。私達は二人とも、夜の間、誰も私達の寝室に入る事ができなかったと断言できます。それにもかかわらず、繰り返しになりますが、手紙は無くなったのです。」
「夕食は何時にとられましたか?」
「7時半です。」
「寝室へ行かれるまでに、どの位の時間がありましたか?」
「妻が劇場に出かけていましたので、私は彼女の帰りを待って起きていました。私が休んだのは、11時半です。」
「ということは、書類箱は、4時間、誰も見ていなかったということですね。」

ノーサンバーランドアヴェニュー側から
ホワイトホールプレイスを見たところ

'That can be done in a very few words, Mr Holmes. The letter - for it was a letter from a foreign potentate - was received six days ago. It was of such importance that I have never left it in my safe, but I have taken it across each evening to my house in whitehall Terrace, and kept it in my bedroom in a locked despatch-box. It was there last night. Of that I am certain. I actually opened the box while I was dressing for dinner, and saw the document inside. This morning it was gone. The despatch-box had stood beside the glass upon my dressing-table all night. I am a light sleeper, and so is my wife. We are both prepared to swear that no one could have entered the room during the night. And yet I repeat that the paper is gone.'
'what time did you dine?'
'Half-past seven.'
'How long was it before you went to bed?'
'My wife had gone to the theatre. I waited up for her. It was half-past eleven before we went to our room.'
'Then for four hours the despatch-box had lain unguarded?'

ホワイトホールプレイスとホワイトホールコートが交わる角に建つ
Old War Office Building

Old War Office Building の足下に置かれている戦没者慰霊碑

欧州問題担当大臣のトレローニー・ホープが住んでいたホワイトホールテラス(Whitehall Terrace)は、現在の住所表記上、残念ながら、存在しておらず、架空の住所である。その代わりに、ホワイトホールプレイス(Whitehall Place)とホワイトホールコート(Whitehall Court)の2つが存在している。
ホワイトホールプイレスとホワイトホールコートは、(1)地下鉄エンバンクメント駅(Embankment Tube Station)からトラファルガースクエア(Trafalgar Square)へ向かって延びるノーサンバーランドアヴェニュー(Northumberland Avenue → 2015年3月28日付ブログで紹介済)と(2)パーラメントスクエア(Parliament Square)から同じくトラファルガースクエアへ向かって延びるホワイトホール通り(Whitehall)の2本の幹線道路に挟まれたエリア内に位置している。

ホワイトホールコートの東側に建つ建物

上記の建物に入っている Royal Horseguards Hotel

上記の建物に入っている National Liberal Club

ホワイトホールコートは、英国の実業家で、かつ、自由党の政治家でもあったジェーベス・スペンサー・バルフォア(Jabez Spencer Balfour:1843年ー1916年)の資金援助を受けて、1880年代に開発され、ロイヤルホースガーズホテル(Royal Horseguards Hotel)、ナショナルリベラルクラブ(National Liberal Club)やファーマーズクラブ(Farmers Club)等、ホテルや紳士用クラブ等が入居している。

テムズ河(River Thames)に沿って走るヴィクトリアエンバンクメント通り(Victoria Embankment)にある
ホワイトホールガーデンズ(Whitehall Gardens)―
画面奥にはホワイトホールコート沿いに建つ建物が見える

ホワイトホールコートに住んでいた有名人には、

(1)アイルランド出身の劇作家/脚本家で、1925年にノーベル文学書を受賞したジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw:1856年ー1950年)
(2)英国の小説家で、「タイムマシン(The Time Machine)」(1896年)、「モロー博士の島(The Island of Dr. Moreau)」(1896年)、「透明人間(The Invisible Man)」(1897年)や「宇宙戦争(The War of the Worlds)」(1898年)等で知られるハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells:1866年ー1946年)

等が居る。

2015年11月1日日曜日

ロンドン セントジェイムズスクエア16番地(16 James's Square)

真ん中に見える建物が、ITV1で放映された「Agatha Christie's Poirot」の「安いフラットの冒険」において、
イタリア大使館として撮影に使用されたセントジェイムズスクエア16番地
(現在、東インドクラブが入居中)

アガサ・クリスティー作「安いフラットの冒険(The Adventure of the Cheap Flat)」(1924年ー「ポワロ登場(Poirot Investigates)」に収録)では、物語の冒頭、友人の家で行われたパーティーでの席上、アーサー・ヘイスティングス大尉はロビンソン夫人(Mrs Robinson)と知り合いになる。彼女によると、ロビンソン夫妻はナイツブリッジ(Knightsbridge)にある高級フラットを格安の家賃で借りることができたと言う。ヘイスティングス大尉から話を聞いたエルキュール・ポワロはこの奇妙な話に興味を示して、調査を始める。ポワロがその高級フラットのポーターにロビンソン夫妻の話題を向けると、ポーター曰く、ロビンソン夫妻はこのフラットに既に6ヶ月間住んでいると言う。しかし、ヘイスティングス大尉によれば、ロビンソン夫妻はこのフラットを借りたばかりのはずだった。話の食い違いに疑問を感じたポワロは早速同じフラット内に部屋を借りるのであった。

一方で、ポワロはスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Japp)から国際的なスパイの話を聞きつける。米国海軍の非常に重要な設計図がイタリア人ルイジ・ヴァルダーノ(Luigi Valdarno)によって盗み出され、国際的なスパイであるエルサ・ハート(Elsa Hardt)の手に渡ったと言う。しかも、エルサ・ハートの人物像が、例の高級フラットのポーターがポワロに話したロビンソン夫人の人となりに非常に似通っていたのだ。
一見、関連性が全くなさそうに思える二つの話はどのように繋がっているのか?ポワロの灰色の脳細胞が事件の真相を突き止める。

セントジェイムズスクエアガーデンズ越しに
セントジェイムズスクエア16番地の建物(画面真ん中)を望む

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「安いフラットの冒険」(1990年)の回では、米国海軍オフィスから盗み出された潜水艦の設計図は、アガサ・クリスティーの原作とは異なり、エルサ・ハートによって、ロンドンのイタリア大使館に売却されようとしていた。そのため、米国FBI捜査官バート(FBI Agent Burt)とスコットランドヤードのジャップ主任警部は、エルサ・ハートがイタリア大使館に接触する現場を押さえるべく、同大使館の前に駐めた業者に偽装した車の中に張り込んでいた。

セントジェイムズスクエア16番地(画面右手)前の
セントジェイムズスクエアガーデンズを囲む通り

イタリア大使館として、セントジェイムズスクエア16番地(16 James's Square)の建物が撮影に使用された。
セントジェイムズスクエア(St. James's Square)は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James's)内にある広場で、北側はピカデリー通り(Piccadilly)、東側はウォーターループレイス/リージェントストリート(Waterloo Place / Regent Street)、南側はパル・マル通り(Pall Mall)、そして、西側はセントジェイムズストリート(St. James's Street)に囲まれた一帯内に位置している。
セントジェイムズスクエア16番地は、セントジェイムズスクエアを囲む建物の一つで、英国の建築家チャールズ・リー(Charles Lee)によって設計され、1865年に建設された。

セントジェイムズスクエア16番地の建物には、建設当初より「東インドクラブ(East India Club)」が入居している。
「東インドクラブ」は、19世紀中頃に設立され、東インド会社(East India Company)、英国陸軍や英国海軍等の関係者が入会したのが始まりである。
現在、建物の前を通っても、外からは何が入居しているかは判らないが、外から見える内装や絵画等から、かなりの費用がかかっているように見える。

セントジェイムズスクエア16番地の建物近くには、以下の建物がある。

 (1)セントジェイムズスクエア10番地


画面右手から2番目の建物(焦げ茶色)がセントジェイムズスクエア10番地

セントジェイムズスクエア10番地の建物外壁には、
ウィリアム大ピットがここに住んでいたことを示すプラークが掛けられている

ホイッグ党(Whig Party)の政治家で、英国首相(1766年ー1768年)を務めた初代チャタム伯爵ウィリアム・ピット(William Pitt, 1st Earl of Chatam:1708年ー1778年)が以前ここに住んでいた。彼は、同じ英国首相を務めた次男のウィリアム・ピットと区別するため、ウィリアム大ピット(William Pitt the Elder)と呼ばれ、次男はウィリアム小ピット(William Pitt the Younger)と呼ばれている。

(2)セントジェイムズスクエア12番地

画面左手の建物がセントジェイムズスクエア12番地

セントジェイムズスクエア12番地の建物外壁に
ラブリース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キングが
ここに住んでいたことを示すブループラークが掛けられている

ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キング(Augusta Ada King, Countess of Lovelace:1815年ー1852年)が以前ここに住んでいた。彼女は、詩人でもあった第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年)の一人娘で、初期の汎用計算機である解析機関に関する著作で知られている。彼女がここに住んでいたことを示すブループラーク(イングリッシュヘリテージ(English Heritage)が管理)が建物の外壁に掛けられている。

ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キングの肖像画の葉書
(Margaret Sarah Carpenter
 / 1836年 / Oil on canvas
2160 mm x 1370 mm) 

ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの肖像画の葉書
(Richard Westall
 / 1813年 / Oil on canvas
914 mm x 711 mm) 

(3)セントジェイムズスクエア14番地

画面真ん中の建物がセントジェイムズスクエア14番地

セントジェイムズスクエア14番地の建物には、
現在、ロンドン図書館が入居している

→ ロンドン図書館(London Library)が1845年から入居している。サー・アーサー・コナン・ドイル作「高名な依頼人(The Illsutrious Client)」において、リージェントストリート(Regent Street)沿いにあるカフェロワイヤル(Cafe Royal)の前で、アデルバート・グルーナー男爵(Baron Adelbert Gruner)が放った暴漢に襲われて重傷を負ったシャーロック・ホームズの代わりに、ジョン・ワトスンがここを調査に訪れている。

2015年10月31日土曜日

ロンドン ユーストン駅(Euston Station)

ユーストン駅の駅舎正面

サー・アーサー・コナン・ドイル作「プライオリー学校(The Priory School)」では、私立プライオリー学校 (The Priory School)の創立者で、校長でもあるソーニークロフト・ハックスタブル博士(Thorneycroft Huxtable)がベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を突然訪れるが、居間に入って来た途端、疲労困憊のあまり、床に足を滑らせて気を失ってしまう。ホームズが急いで頭にクッションを当てて、ジョン・ワトスンが口にブランデーをふくませると、気を取り直した博士は、ホームズとワトスンに対して、彼の学校の寄宿舎から、ホールダーネス公爵(Duke of Holdernesse)の一人息子であるソルタイア卿(Lord Saltire)が誘拐されたと告げるのであった。ソルタイア卿に加えて、人付き合いの悪いドイツ人教師ハイデッガー(Heidegger)も寄宿舎から姿を消しており、彼の自転車もなくなっていた。
北イングランドのマックルトン(Mackleton)にある私立プライオリー学校へ向かう前に、事件の詳細を知ろうとするホームズはハックスタブル博士に対して、ここ最近ソルタイア卿に手紙が来ていないかどうかを尋ねると、博士は「手紙は父君であるホールダーネス公爵からしか来ていない。」と答えるのであった。

ユーストン駅の構内―
天井がコンクリートの打ちっぱなしのままで味気ない

「成る程。ところで、公爵が出された最後の手紙ですが、ソルタイア卿の失踪後、部屋に残っていましたか?」
「いいえ、ソルタイア卿がお持ちになって行かれたようです。ホームズさん、そろそろユーストン駅へ出かける時間だと思いますが。」
「僕の方で四輪馬車を呼びましょう。15分程お待ちいただければ、出発できますよ。ハックスタブルさん、もし御宅の方に電報をお打ちになられるのであれば、関係者には、捜査は未だにリヴァプールか、あるいは、彼らの注意を逸らせられそうな場所で行われていると思わせておく方が良いでしょう。その間に、私はあなたの学校内で内密に捜査します。おそらく、事件の臭跡はまだそれ程薄れていないでしょうから、ワトスンと僕のような老練な猟犬であれば、嗅ぎ出せると思います。」

ユーストンロード沿いに残るエントランスロッジ(西側

'I see, By the way, that last letter of the Duke's - was it found in the boy's room after he was gone?'
'No, he had taken it with him. I think, Mr Holmes, it is time that we were leaving for Euston!'
'I will order a four-wheeler. In a quarter of an hour we shall be at your service. If you are telegraphing home, Mr Huxtable, it would be well to allow the people in your neighborhood to imagine that the enquiry is still going on in Liverpool, or wherever else that red herring led your pack. In the meantime I will do a little quite work at your own doors, and perhaps the scent is not so cold but that two old hounds like Watson and myself may get a sniff on it!'

ユーストンロード沿いに残るエントランスロッジ(東側)

ホームズ、ワトスンとハックスタブル博士の3人が私立プライオリー学校があるマックルトンへ向かうために利用しようとしていたユーストン駅(Euston Station)は、ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)内にある主要な鉄道駅の一つである。現在、ユーストン駅は、ロンドンからウェストミッドランズ、北西イングランド、北ウェールズおよびスコットランドへ向かうウェストコースト本線(West Coast Main Line)の玄関口であり、それらからの南の終着駅となっている。

ユーストン駅前にある戦争記念碑

駅を建設する場所は、1830年代初め頃、ロンドン&バーミンガム鉄道(London and Birmingham Railway)の技師であるジョージ・スティーヴンスン(George Stephenson:1781年ー1848年)と彼の息子のロバート・スティーヴンスン(Robert Stephenson:1803年ー1859年)によって選定された。そして、建築家のフィリップ・ハードウィック(Philip Hardwick:1792年ー1870年→駅舎担当)と技師のサー・チャールズ・フォックス(Sir Charles Fox:1810年ー1874年 → プラットフォーム担当)の設計を経て、建設業者/不動産開発業者であるサー・ウィリアム・キュビット(Sir William Cubitt:1785年ー1861年)によって建設された。

シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の
ピムリコ地区(Pimlico)内の Denbigh Street 沿いに設置されている
トマス・キュービット像


駅を建設した土地を所有していたグラフトン公爵(Duke of Grafton)の本宅があるサフォーク州(Suffolk)のユーストンホール(Euston Hall)に因んで、ユーストン駅と命名され、1837年7月20日に開業した。開業当初、駅には出発用と到着用の2本のプラットフォームしかなかった。

エントランスロッジの外壁には、
ユーストン駅から向かう場所の名前が彫られている

列車発着の増加に伴い、駅の大規模な拡張が急務となり、フィリップ・ハードウィックの息子である建築家フィリップ・チャールズ・ハードウィック(Philip Charles Hardwick:1822年ー1892年)の設計により、「グレイトホール(Great Hall)」と呼ばれるコンコースが1849年にオープンした。また、彫刻家ジョン・トマス(John Thomas:1813年ー1862年)によって、ロンドン、リヴァプールやマンチェスター等、鉄道で結ばれる都市を表現した8つの彫像が設置された。ただし、ユーストンロード(Euston Road)に面して建つ、ポートランドストーンでできたエントランスロッジ(Entrance Lodge)、戦争記念碑と駅舎正面に設置されているロバート・スティーヴンスンのブロンズ像を除くと、当時の駅の面影は、現在、ほとんど残っていない。
1870年代と1890年代にも駅の拡張が行われ、プラットフォームの数は最終的には15まで増やされている。
ホームズ、ワトスンとハックスタブル博士がユーストン駅から私立プライオリー学校があるマックルトンへ旅立ったのは、この頃である。

ユーストン駅の駅舎前に設置されている
ロバート・スティーヴンスンのブロンズ像

(1)老朽化に伴い、時代遅れになってきたこと、また、(2)更なる拡張を行うには手狭かつ硬直化したレイアウトであること等から、1960年初頭に駅舎の建替えが決定され、1961年から1962年にかけて、旧駅舎が取り壊され、ウェストコースト本線の電化と同機をとって、1968年に新駅舎が開業した。「電気の時代」の到来を象徴するものであった。プラットフォームの数も18へと増設されている。
ところが、完成した新駅舎の評判は極めて悪く、「ロンドンにおける最も醜悪なコンクリートの固まりの一つ(one of the nastiest concrete boxes in London)」とまで酷評されている。

評判が良くないユーストン駅の駅舎

ロンドン&バーミンガム鉄道(1837年ー1845年)を皮切りに、駅の所有者は、ロンドン&ノースウェスタン鉄道(London & North Western Railway:1846年ー1922年)、ロンドン・ミッドランド&スコティッシュ鉄道(London Midland and Scottish Railway:1923年ー1947年)、英国国鉄(British Railway:1948年ー1994年)、そして、レールトラック(Railtrack:1994年ー2001年)へと移り変わり、現在はネットワークレール(Network Rail:2001年ー)が経営している。
2007年4月5日、英国不動産開発会社大手の一つであるブリティッシュランド(British Land)が、完成後50年近くが経過した現在の駅舎を取り壊して、新しい駅舎を建設する計画を発表され、今年(2015年)になって、やっと新駅舎のイメージ図が公開された。計画によると、駅を開業したままの建替えとなるため、2017年に着工し、そこから16年を要するようである

2015年10月25日日曜日

ロンドン セントジェイムズスクエアガーデンズ(St. James's Square Gardens)

セントジェイムズスクエアガーデンズを東側から見たところ

アガサ・クリスティー作「安いフラットの冒険(The Adventure of the Cheap Flat)」(1924年ー「ポワロ登場(Poirot Investigates)」に収録)では、物語の冒頭、友人の家で行われたパーティーでの席上、アーサー・ヘイスティングス大尉はロビンソン夫人(Mrs Robinson)と知り合いになる。彼女によると、ロビンソン夫妻はナイツブリッジ(Knightsbridge)にある高級フラットを格安の家賃で借りることができたと言う。


ヘイスティングス大尉から話を聞いたエルキュール・ポワロはこの奇妙な話に興味を示して、調査を始める。ポワロがその高級フラットのポーターにロビンソン夫妻の話題を向けると、ポーター曰く、ロビンソン夫妻はこのフラットに既に6ヶ月間住んでいると言う。しかし、ヘイスティングス大尉によれば、ロビンソン夫妻はこのフラットを借りたばかりのはずだった。話の食い違いに疑問を感じたポワロは早速同じフラット内に部屋を借りるのであった。



一方で、ポワロはスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Japp)から国際的なスパイの話を聞きつける。米国海軍の非常に重要な設計図がイタリア人ルイジ・ヴァルダーノ(Luigi Valdarno)によって盗み出され、国際的なスパイであるエルサ・ハート(Elsa Hardt)の手に渡ったと言う。しかも、エルサ・ハートの人物像が、例の高級フラットのポーターがポワロに話したロビンソン夫人の人となりに非常に似通っていたのだ。

一見、関連性が全くなさそうに思える二つの話はどのように繋がっているのか?ポワロの灰色の脳細胞が事件の真相を突き止める。




英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「安いフラットの冒険」(1990年)の回では、ヘイスティングス大尉が友人のテディー・パーカー(Teddy Parker)と一緒に広場内を歩きながら、友人にロビンソン夫妻の経歴等を尋ねる。また、ロビンソン夫妻が格安の家賃で部屋を借りたフラット「キャンプデンヒルゲート(Campden Hill Gate)」内に同じように部屋を借りたポワロとヘイスティングス大尉が一緒に広場内を散策しながら、スコットランドヤードのジャップ主任警部と米国FBI捜査官バート(FBI Agent Burt)が取り組んでいる米国海軍の潜水艦設計図盗難事件を話題にする。これら2つのシーンは、セントジェイムズスクエアガーデンズ(St. James's Square Gardens)で撮影されている。




セントジェイムズスクエア(St. James's Square)は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James's)内にある広場で、北側はピカデリー通り(Piccadilly)、東側はウォーターループレイス/リージェントストリート(Waterloo Place / Regent Street)、南側はパル・マル通り(Pall Mall)、そして、西側はセントジェイムズストリート(St. James's Street)に囲まれた一帯内に位置している。




セントジェイムズスクエアガーデンズは、セントジェイムズスクエア内にあるプライベートガーデンで、セントジェイムズスクエアトラスト(St. James's Square Trust)によって管理されている。基本的には、当ガーデンはプラーベート用ではあるが、月曜日から金曜日までの平日、午前10時から午後4時半まで一般に開放されている。

セントジェイムズスクエアガーデンズ中央に設置されている
ウィリアム3世のブロンズ像

ガーデンの中央には、ステュアート朝のウィルアム3世(WilliamⅢ:1650年ー1702年 在位期間:1689年ー1702年)のブロンズ像が設置されている。ウィリアム3世のブロンズ像が設置されたのは、1808年とのこと。ウィリアム3世のブロンズ像の周囲には、オブジェや彫刻作品等が配置されている。

Aron Demetz 作 Burning Man(2010年)

Aron Demetz 作 Heimat(2010年)

ガーデン内には高い樹木が生い茂っていて、晴れて陽ざしが強い日でも、ガーデン内の多くの場所は樹々や葉等の影ぶ入っていて、涼しい位である。日中、スクエア近辺で働いているスタッフ、観光客や旅行者等は休憩している姿がよく見受けられる。



一般開放時間帯に営業している移動式販売車

また、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)やバッキンガム宮殿(Buckingham Palace)等の観光用名所が近辺にある上、いつでも交通渋滞が激しいリージェントストリートやピカデリー通り等に囲まれているが、そんな繁華街の中にあるガーデンとは思えない程、ガーデン内は静かな空間に包まれている。