2015年11月7日土曜日

ロンドン ホワイトホールテラス(Whitehall Terrace)

画面右手の通りがホワイトホールプレイスで、
画面左手の通りがホワイトホールコート

サー・アーサー・コナン・ドイル作「第二のしみ(The Secon Stain)」では、秋のある火曜日の朝、英国首相であるベリンガー卿(Lord Bellinger)と欧州問題担当大臣(Secretary for European Affairs)のトレローニー・ホープ(Trelawney Hope)が、ある極秘の用件で、ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪ねて来る。
彼らの説明によると、ある非常に重要な手紙が入った封筒が盗まれたと言う。問題の封筒は、欧州問題担当大臣の自宅寝室の鏡台に置いてある鍵のかかった書類箱内に保管されていたのだが、今朝、それが無くなっていたのである。首相曰く、この手紙を無事に取り戻せるかどうかによって、欧州全体の平和が大きく左右される、とのことだった。
首相の話を受けて、欧州問題担当大臣が説明を始める。



「ホームズさん、本件は非常に簡単に説明できます。問題の手紙は、ーそれは、ある外国の君主から送られた手紙なのですが、ー6日前に受け取りました。非常に重要な手紙でしたので、私のオフィスの金庫内には置いておけませんでした。そこで、私はホワイトホールテラスにある自宅にその手紙を毎晩持ち帰って、寝室の鍵付き書類箱の中に保管していたのです。昨夜、手紙はその書類箱の中にありました。それは間違いありません。私が夕食のために着替えをしていた際、実際に書類箱を開けて、手紙が中にあることを確認しました。ところが、今朝、それが無くなっていたのです。書類箱は、一晩中、私の鏡台の鏡の側に置いてありました。私は眠りが浅い方ですし、私の妻も同じです。私達は二人とも、夜の間、誰も私達の寝室に入る事ができなかったと断言できます。それにもかかわらず、繰り返しになりますが、手紙は無くなったのです。」
「夕食は何時にとられましたか?」
「7時半です。」
「寝室へ行かれるまでに、どの位の時間がありましたか?」
「妻が劇場に出かけていましたので、私は彼女の帰りを待って起きていました。私が休んだのは、11時半です。」
「ということは、書類箱は、4時間、誰も見ていなかったということですね。」

ノーサンバーランドアベニュー側から
ホワイトホールプレイスを見たところ

'That can be done in a very few words, Mr Holmes. The letter - for it was a letter from a foreign potentate - was received six days ago. It was of such importance that I have never left it in my safe, but I have taken it across each evening to my house in whitehall Terrace, and kept it in my bedroom in a locked despatch-box. It was there last night. Of that I am certain. I actually opened the box while I was dressing for dinner, and saw the document inside. This morning it was gone. The despatch-box had stood beside the glass upon my dressing-table all night. I am a light sleeper, and so is my wife. We are both prepared to swear that no one could have entered the room during the night. And yet I repeat that the paper is gone.'
'what time did you dine?'
'Half-past seven.'
'How long was it before you went to bed?'
'My wife had gone to the theatre. I waited up for her. It was half-past eleven before we went to our room.'
'Then for four hours the despatch-box had lain unguarded?'

ホワイトホールプレイスとホワイトホールコートが交わる角に建つ
Old War Office Building
Old War Office Building の足下に置かれている戦没者慰霊碑

欧州問題担当大臣のトレローニー・ホープが住んでいたホワイトホールテラス(Whitehall Terrace)は、現在の住所表記上、残念ながら、存在しておらず、架空の住所である。その代わりに、ホワイトホールプレイス(Whitehall Place)とホワイトホールコート(Whitehall Court)の2つが存在している。
ホワイトホールプイレスとホワイトホールコートは、(1)地下鉄エンバンクメント駅(Embankment Tube Station)からトラファルガースクエア(Trafalgar Square)へ向かって延びるノーサンバーランドアベニュー(Northumberland Avenue)と(2)パーラメントスクエア(Parliament Square)から同じくトラファルガースクエアへ向かって延びるホワイトホール通り(Whitehall)の2本の幹線道路に挟まれたエリア内に位置している。

ホワイトホールコートの東側に建つ建物
上記の建物に入っている Royal Horseguards Hotel
上記の建物に入っている National Liberal Club

ホワイトホールコートは、英国の実業家で、かつ、自由党の政治家でもあったジェーベス・スペンサー・バルフォア(Jabez Spencer Balfour:1843年ー1916年)の資金援助を受けて、1880年代に開発され、ロイヤルホースガーズホテル(Royal Horseguards Hotel)、ナショナルリベラルクラブ(National Liberal Club)やファーマーズクラブ(Farmers Club)等、ホテルや紳士用クラブ等が入居している。

テムズ河(River Thames)に沿って走るヴィクトリアエンバンクメント通り(Victoria Embankment)にある
ホワイトホールガーデンズ(Whitehall Gardens)―
画面奥にはホワイトホールコート沿いに建つ建物が見える

ホワイトホールコートに住んでいた有名人には、

(1)アイルランド出身の劇作家/脚本家で、1925年にノーベル文学書を受賞したジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw:1856年ー1950年)
(2)英国の小説家で、「タイムマシン(The Time Machine)」(1896年)、「モロー博士の島(The Island of Dr. Moreau)」(1896年)、「透明人間(The Invisible Man)」(1897年)や「宇宙戦争(The War of the Worlds)」(1898年)等で知られるハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells:1866年ー1946年)

等が居る。

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