2015年11月1日日曜日

ロンドン セントジェイムズスクエア16番地(16 James's Square)

真ん中に見える建物が、ITV1で放映された「Agatha Christie's Poirot」の「安いフラットの冒険」において、
イタリア大使館として撮影に使用されたセントジェイムズスクエア16番地
(現在、東インドクラブが入居中)

アガサ・クリスティー作「安いフラットの冒険(The Adventure of the Cheap Flat)」(1924年ー「ポワロ登場(Poirot Investigates)」に収録)では、物語の冒頭、友人の家で行われたパーティーでの席上、アーサー・ヘイスティングス大尉はロビンソン夫人(Mrs Robinson)と知り合いになる。彼女によると、ロビンソン夫妻はナイツブリッジ(Knightsbridge)にある高級フラットを格安の家賃で借りることができたと言う。ヘイスティングス大尉から話を聞いたエルキュール・ポワロはこの奇妙な話に興味を示して、調査を始める。ポワロがその高級フラットのポーターにロビンソン夫妻の話題を向けると、ポーター曰く、ロビンソン夫妻はこのフラットに既に6ヶ月間住んでいると言う。しかし、ヘイスティングス大尉によれば、ロビンソン夫妻はこのフラットを借りたばかりのはずだった。話の食い違いに疑問を感じたポワロは早速同じフラット内に部屋を借りるのであった。

一方で、ポワロはスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Japp)から国際的なスパイの話を聞きつける。米国海軍の非常に重要な設計図がイタリア人ルイジ・ヴァルダーノ(Luigi Valdarno)によって盗み出され、国際的なスパイであるエルサ・ハート(Elsa Hardt)の手に渡ったと言う。しかも、エルサ・ハートの人物像が、例の高級フラットのポーターがポワロに話したロビンソン夫人の人となりに非常に似通っていたのだ。
一見、関連性が全くなさそうに思える二つの話はどのように繋がっているのか?ポワロの灰色の脳細胞が事件の真相を突き止める。

セントジェイムズスクエアガーデンズ越しに
セントジェイムズスクエア16番地の建物(画面真ん中)を望む

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「安いフラットの冒険」(1990年)の回では、米国海軍オフィスから盗み出された潜水艦の設計図は、アガサ・クリスティーの原作とは異なり、エルサ・ハートによって、ロンドンのイタリア大使館に売却されようとしていた。そのため、米国FBI捜査官バート(FBI Agent Burt)とスコットランドヤードのジャップ主任警部は、エルサ・ハートがイタリア大使館に接触する現場を押さえるべく、同大使館の前に駐めた業者に偽装した車の中に張り込んでいた。

セントジェイムズスクエア16番地(画面右手)前の
セントジェイムズスクエアガーデンズを囲む通り

イタリア大使館として、セントジェイムズスクエア16番地(16 James's Square)の建物が撮影に使用された。
セントジェイムズスクエア(St. James's Square)は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James's)内にある広場で、北側はピカデリー通り(Piccadilly)、東側はウォーターループレイス/リージェントストリート(Waterloo Place / Regent Street)、南側はパル・マル通り(Pall Mall)、そして、西側はセントジェイムズストリート(St. James's Street)に囲まれた一帯内に位置している。
セントジェイムズスクエア16番地は、セントジェイムズスクエアを囲む建物の一つで、英国の建築家チャールズ・リー(Charles Lee)によって設計され、1865年に建設された。

セントジェイムズスクエア16番地の建物には、建設当初より「東インドクラブ(East India Club)」が入居している。
「東インドクラブ」は、19世紀中頃に設立され、東インド会社(East India Company)、英国陸軍や英国海軍等の関係者が入会したのが始まりである。
現在、建物の前を通っても、外からは何が入居しているかは判らないが、外から見える内装や絵画等から、かなりの費用がかかっているように見える。

セントジェイムズスクエア16番地の建物近くには、以下の建物がある。

 (1)セントジェイムズスクエア10番地


画面右手から2番目の建物(焦げ茶色)がセントジェイムズスクエア10番地

セントジェイムズスクエア10番地の建物外壁には、
ウィリアム大ピットがここに住んでいたことを示すプラークが架けられている

ホイッグ党(Whig Party)の政治家で、英国首相(1766年ー1768年)を務めた初代チャタム伯爵ウィリアム・ピット(William Pitt, 1st Earl of Chatam:1708年ー1778年)が以前ここに住んでいた。彼は、同じ英国首相を務めた次男のウィリアム・ピットと区別するため、ウィリアム大ピット(William Pitt the Elder)と呼ばれ、次男はウィリアム小ピット(William Pitt the Younger)と呼ばれている。

(2)セントジェイムズスクエア12番地

画面左手の建物がセントジェイムズスクエア12番地

セントジェイムズスクエア12番地の建物外壁に
ラブリース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キングが
ここに住んでいたことを示すブループラークが架けられている

ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キング(Augusta Ada King, Countess of Lovelace:1815年ー1852年)が以前ここに住んでいた。彼女は、詩人でもあった第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年)の一人娘で、初期の汎用計算機である解析機関に関する著作で知られている。彼女がここに住んでいたことを示すブループラーク(イングリッシュヘリテージ(English Heritage)が管理)が建物の外壁に架けられている。

ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キングの肖像画の葉書
(Margaret Sarah Carpenter
 / 1836年 / Oil on canvas
2160 mm x 1370 mm) 

ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの肖像画の葉書
(Richard Westall
 / 1813年 / Oil on canvas
914 mm x 711 mm) 

(3)セントジェイムズスクエア14番地

画面真ん中の建物がセントジェイムズスクエア14番地

セントジェイムズスクエア14番地の建物には、
現在、ロンドン図書館が入居している

→ ロンドン図書館(London Library)が1845年から入居している。サー・アーサー・コナン・ドイル作「高名な依頼人(The Illsutrious Client)」において、リージェントストリート(Regent Street)沿いにあるカフェロワイヤル(Cafe Royal)の前で、アデルバート・グルーナー男爵(Baron Adelbert Gruner)が放った暴漢に襲われて重傷を負ったシャーロック・ホームズの代わりに、ジョン・ワトスンがここを調査に訪れている。

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