2026年1月30日金曜日

ロンドン ベイズウォーターロード(Bayswater Road)

地下鉄ランカスターゲート駅近くのベイズウォーターロードと
その北側に建つフラット(その1)
<筆者撮影>

米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が、カーター・ディクスン(Carter Dickson)という別名義で1944年に発表した推理小説で、ヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)シリーズの長編第14作目に該る「爬虫類館の殺人He Wouldn’t Kill Patience → 2025年11月17日 / 11月19日付ブログで紹介済)」の舞台は、第2次世界大戦(1939年-1945年)下の首都ロンドンである。


京創元社が発行する創元推理文庫「爬虫類館の殺人」の表紙
    カバーイラスト:ヤマモト マサアキ
カバーデザイン:折原 若緒
  カバーフォーマット:本山 木犀


ケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)内にあるロイヤルアルバート動物園(Royal Albert Zoological Gardens)は、園長であるエドワード・ベントン(Edward Benton)によって運営されていた。ロイヤルアルバート動物園の中でも、世界の蛇、蜥蜴や毒蜘蛛等を集めた爬虫類館は、その名物で、人気を集めていた。



そんなロイヤルアルバート動物園であったが、ドイツ軍の爆撃による空襲の脅威下、閉園の危機を迎える。ドイツ軍の爆撃による空襲により、毒蛇、毒蜥蜴や毒蜘蛛、更に、毒のある昆虫等が逃げ出して、サウスケンジントン中を這い回るリスクを抱えていたからである。


地下鉄ランカスターゲート駅近くのベイズウォーターロードと
その北側に建つフラット(その2)
<筆者撮影>


1940年9月6日(金)の午後、爬虫類館内において、長年にわたって反目している奇術師の両家に属するケアリー・クイント(Carey Quint - 奇術師の青年)とマッジ・パリサー(Madge Palliser - 奇術師の女性)の2人は、飼育員のマイク・パーソンズと一騒動を起こして、保管用のガラスケースを壊してしまい、大蜥蜴(ジャイアントグリーンアミーバ)とアメリカドクトカゲが逃げ出す要因をつくってしまった。そして、そこに偶々居合わせた陸軍省の御意見番であるヘンリー・メリヴェール卿は、危うく2匹の蜥蜴に噛まれるところだった。

こうして、「爬虫類館の殺人」の物語は始まる。


地下鉄ランカスターゲート駅近くのベイズウォーターロードと
その北側に建つフラット(その3)
<筆者撮影>


設定上、エドワード・ベントンが園長として運営するロイヤルアルバート動物園は、ケンジントンガーデンズ内にあることになっているが、具体的な場所について、原作には、以下のような記述がある。



新たな空襲警報は、その夜八時二十分に鳴り響いた。ちょうどケアリ・クイントが、ピカデリーのセント・トマス・ホールを出たところだった。


(中略)


ケアリはタクシーに手を上げた。一九四〇年の九月初めのことだったので、うまくつかまえることができた。シートに深く座り、人生の複雑さに思いを馳せると、マッジ・パリサーの姿が、まるで目の前に座っているかのように鮮やかに思い出された。その姿が自分をにらみ返しているようにさえ、ケアリには感じられた。


(中略)


その問題を悲観し、現実離れした解決法を考えているうちに、タクシーはベイズウォーター・ロードの端で彼を降ろした。

(白須 清美訳)


地下鉄クイーンズウェイ駅近くのベイズウォーターロードと
その北側に建つフラット
<筆者撮影>


上記の記述から、ロイヤルアルバート動物園は、ケンジントンガーデンズの北西の角に所在していることが判る。


地下鉄クイーンズウェイ駅近くのベイズウォーターロードと
その北側に建つヒルトンホテル
<筆者撮影>


ベイズウォーターロード(Bayswater Road)は、ハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月14日付ブログで紹介済)と隣接するケンジントンガーデンズの北側を東西に延びる通りである。

ベイズウォーターロードの東側は、セントラルライン(Central Line)が停車する地下鉄マーブルアーチ駅(Marble Arch Tube Station)近くのマーブルアーチ(Marble Arch)から始まり、セントラルラインの線路と並行して、西へ延びて、地下鉄ランカスターゲート駅(Lancaster Gate Tube Station)と地下鉄クイーンズウェイ駅(Queensway Tube Station)の前を通り、セントラルライン、サークルライン(Circle Line)とディストリクトライン(District Line)の3線が停車する地下鉄ノッティングヒルゲート駅(Notting Hill Gate Tube Station)の手前で終わっている。

ベイズウォーターロードの大部分は、ロンドンの中心部であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内にあるが、西側の一部がケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)内に及んでいる。


ケンジントンガーデンズ内から見たヒルトンホテル
<筆者撮影>


ベイズウォーターロードの西端は、ケンジントンガーデンズの北側であるが、ベイズウォーターロードの東端は、ハイドパークの北側に該るため、ロイヤルアルバート動物園は、ケンジントンガーデンズの北西の角に所在していると考えた次第。


地下鉄クイーンズウェイ駅近くのベイズウォーターロードと
その北側に建つヒルトンホテルとフラット
<筆者撮影>


「ピーターパン(Peter Pan)」シリーズ等の作者として有名な劇作家/童話作家であるサー・ジェイムズ・マシュー・バリー(Sir James Matthew Barrie:1860年ー1937年)が、1902年から1909年にかけて、ベイズウォーターロード100番地(100 Bayswater Road → 2015年7月25日付ブログで紹介済)に住んでいた。


レンスターテラス(Leinster Terrace)の入口から見たベイズウォーターロード100番地
<筆者撮影>


サー・ジェイムズ・バリーがベイズウォーターロード100番地に住んでいたことを示すブループラーク
<筆者撮影>


cこのベイズウォーターロード100番地をベースにして、以下の有名な作品を執筆している。


*「小さな白い鳥(The Little White Bird)」(1902年)- 第13章から第18章にピーターパンが初めて登場。

*戯曲「ピーターパンー大人になりたがらない少年(Peter Pan, or The Boy Who Wouldn't Grow Up)」(1904年)

*「ケンジントン公園のピーターパン(Peter Pan in Kensington Gardens)」(1906年)

*「ピーターパンとウェンディー(Peter and Wendy)」(1911年)


イタリアンガーデンズの南側にあるザ・ロング・ウォーター
<筆者撮影>


ザ・ロング・ウォーターの西岸に建つピーターパンの像 -
ジェイムズ・バリーは、1912年5月に、
養子マイケル(Michael Davies:1900年ー1921年 /
彼の親友であるディヴィス夫妻の四男)をモデルにしたピーターパンの像を建てた。
英国の彫刻家サー・ジョージ・フランプトン(Sir George Frampton:1860年ー1928年)は、
実際には、別の子供をモデルにして、ピーターパンの像を制作したため、
ジェイムズ・バリーを大いに失望させた。
ジェイムズ・バリーによると、
「ピーターパンの中に悪魔が表現されていない。(It doesn't show the devil in Peter.)」とのこと。

<筆者撮影>


ケンジントンガーデンズ内イタリアンガーデンズ(Italian Gardens)の南側にある湖ザ・ロング・ウォーター(The Long Water)の西岸には、ピーターパンの像(Peter Pan Statue)が建っている。


         

0 件のコメント:

コメントを投稿