2026年1月15日木曜日

ロンドン セントバーソロミュー・ザ・レス教会(The Hospital Church of St. Bartholomew the Less)- その2

セントバーソロミュー・ザ・レス教会内部の礼拝堂(その1)
<筆者撮影>


ロンドンのスミスフィールド(Smithfield)に所在する病院で、ヨーロッパで最も古い歴史を有するセントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital / 正式名:王立セントバーソロミュー病院(The Royal Hospital of St. Bartholomew)/ 略称:バーツ(Barts))の起源は、以下の通り。


セントバーソロミュー病院博物館(St. Bartholomew's Hospital Museum)内にある
病院の歴史に関する説明資料 -
左側が 
セントバーソロミュー修道院(病院)を設立したラヒアで、
右側が彼の夢の中に現れた聖人セントバーソロミュー。
<筆者撮影>


12世紀のイングランド王であるヘンリー1世碩学王(Henry I Beauclerc:1068年頃ー1135年 在位期間:1100年ー1135年)の寵臣ラヒア(Rahere:?ー1144年)は、ローマ巡礼中に、重い病に倒れたが、彼の神への強い祈りが届いたかのように、奇跡的に病から回復し、彼の夢の中に現れたイエス・キリストの使徒の一人である聖人セントバーソロミュー(Saint Bartholomew)のお告げに従って、イングランドに戻った後、1123年、スミスフィールドの地にセントバーソロミュー修道院(Priory of St. Bartholomew - 現在のセントバーソロミュー・ザ・グレイト教会(The Priory Church of St. Bartholomew the Great)とセントバーソロミュー病院の両方を含む)を設立。


セントバーソロミュー・ザ・レス教会の入口
<筆者撮影>


その際、現在のセントバーソロミュー・ザ・レス教会(The Hospital Church of St. Bartholomew the Less)も、同年に建てられている。なお、建設当時、The Chapel of the Holy Cross と呼ばれていた。


ケンブリッジ大学(University of Cambridge)創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイク
(Quentin Blake:1932年ー)が描いた
ヘンリー8世とキングスカレッジ合唱団の絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>


テューダー朝(House of Tudor)の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)は、男の世継ぎ(嫡子)が生まれていない王妃キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon:1487年ー1536年)との離婚とキャサリン王妃の侍女メアリー・ブーリン(Mary Boleyn:1499年 / 1500年頃ー1543年)の妹(諸説あり)であるアン・ブーリン(Anne Boleyn:1501年頃ー1536年)との結婚を画策して、ローマのカトリック教会と対立し、1534年に国王至上法(首長令)を発布の上、自らを英国国教会(Church of England)の長とするとともに、カトリック教会から英国国教会の分離を行う。


ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)で販売されている
アン・ブーリンの肖像画の葉書
(Unknown artist / 1535 - 1536年頃 / Oil on panel
543 mm x 416 mm) 


ヘンリー8世が宗教改革の一環として実施した修道院解散(Dissolution of the monasteries:1536年ー1539年)政策に基づき、イングランド国内にあった多くの修道院が解散、そして、財産没収の憂き目に遭った。セントバーソロミュー修道院も例外ではなく、同修道院から分離したセントバーソロミュー病院は、貧民救済病院として生き残る。


ヘンリー8世による修道院解散政策に基づき、セントバーソロミュー修道院の敷地は、英国国教会の小教区として再編されて、セントバーソロミュー病院の敷地内にあったセントバーソロミュー・ザ・レス教会が教区教会(parish church)となった。


セントバーソロミュー・ザ・レス教会の塔と西側の外壁は、15世紀に建てられたもので、今も現存する。


セントバーソロミュー・ザ・レス教会の塔を見上げたところ
<筆者撮影>

1793年に、英国の建築家であるジョージ・ダンス(子)(George Dance the Younger:1741年ー1825年)が八角形の天井を有する礼拝堂を建物内部に建設。



ジョージ・ダンス(子)が住んでいた
ガワーストリート91番地(91 Gower Street)
<筆者撮影>


ガワーストリート91番地の建物外壁には、
ジョージ・ダンス(子)がここに住んでいたことを示すブループラークが掛けられている。
<筆者撮影>


この礼拝堂は木製だったため、直ぐに腐蝕が始まったので、英国の建築家であるトマス・ハードウィック(Thomas Hardwick:1752年ー1829年)が石造りの内装に置き換えた。


セントバーソロミュー・ザ・レス教会内部の礼拝堂(その2)
<筆者撮影>


セントバーソロミュー・ザ・レス教会は、第二次世界大戦(1939年ー1945年)中のロンドン大空襲(The Blitz:1940年ー1941年)により被害を蒙ったが、修復工事を経て、1951年に再オープンを迎えた。

同教会は、再オープン前の1950年1月4日に、グレード II(Grde II listed building)の指定を受けている。


セントバーソロミュー・ザ・レス教会内部の礼拝堂(その3)
<筆者撮影>


2015年6月1日に、セントバーソロミュー・ザ・レス教会は、セントバーソロミュー・ザ・グレイト教会と統合して、セントバーソロミュー・ザ・グレイト教会が教区教会となった。その結果、セントバーソロミュー・ザ・レス教会は、現在、教区教会内の Chapel of Ease と言う位置付けになっている。


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