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| ケンジントンガーデンズの北西の入口近くにある看板 <筆者撮影> |
米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が、カーター・ディクスン(Carter Dickson)という別名義で1944年に発表した推理小説で、ヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)シリーズの長編第14作目に該る「爬虫類館の殺人(He Wouldn’t Kill Patience → 2025年11月17日 / 11月19日付ブログで紹介済)」の舞台は、第2次世界大戦(1939年-1945年)下の首都ロンドンである。
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| 東京創元社が発行する創元推理文庫「爬虫類館の殺人」の表紙 カバーイラスト:ヤマモト マサアキ カバーデザイン:折原 若緒 カバーフォーマット:本山 木犀 |
ケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)内にあるロイヤルアルバート動物園(Royal Albert Zoological Gardens)は、園長であるエドワード・ベントン(Edward Benton)によって運営されていた。ロイヤルアルバート動物園の中でも、世界の蛇、蜥蜴や毒蜘蛛等を集めた爬虫類館は、その名物で、人気を集めていた。
そんなロイヤルアルバート動物園であったが、ドイツ軍の爆撃による空襲の脅威下、閉園の危機を迎える。ドイツ軍の爆撃による空襲により、毒蛇、毒蜥蜴や毒蜘蛛、更に、毒のある昆虫等が逃げ出して、サウスケンジントン中を這い回るリスクを抱えていたからである。
1940年9月6日(金)の午後、爬虫類館内において、長年にわたって反目している奇術師の両家に属するケアリー・クイント(Carey Quint - 奇術師の青年)とマッジ・パリサー(Madge Palliser - 奇術師の女性)の2人は、飼育員のマイク・パーソンズと一騒動を起こして、保管用のガラスケースを壊してしまい、大蜥蜴(ジャイアントグリーンアミーバ)とアメリカドクトカゲが逃げ出す要因をつくってしまった。そして、そこに偶々居合わせた陸軍省の御意見番であるヘンリー・メリヴェール卿は、危うく2匹の蜥蜴に噛まれるところだった。
こうして、「爬虫類館の殺人」の物語は始まる。
設定上、エドワード・ベントンが園長として運営するロイヤルアルバート動物園は、ケンジントンガーデンズ内にあることになっているが、あくまでも、これは架空の話であり、ロイヤルアルバート動物園がケンジントンガーデンズ内に存在したことはない。
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| 1911年からある樹木の幹が保存されている。 <筆者撮影> |
彼らのロマンス - ロマンスと呼べればの話だが - が始まったのは、ロイヤル・アルバート動物園の爬虫類館でのことだった。年老いたマイク・パーソンズはその始まりを見て仰天した。ケンジントン・ガーデンズにあるロイヤル・アルバート動物園の長い歴史でも、こんな騒ぎが起こったのは、一九〇四年の秋にジェゼベルが檻から脱走しかけたとき以来だ。
(白須 清美訳)
新たな空襲警報は、その夜八時二十分に鳴り響いた。ちょうどケアリ・クイントが、ピカデリーのセント・トマス・ホールを出たところだった。
(中略)
ケアリはタクシーに手を上げた。一九四〇年の九月初めのことだったので、うまくつかまえることができた。シートに深く座り、人生の複雑さに思いを馳せると、マッジ・パリサーの姿が、まるで目の前に座っているかのように鮮やかに思い出された。その姿が自分をにらみ返しているようにさえ、ケアリには感じられた。
(中略)
その問題を悲観し、現実離れした解決法を考えているうちに、タクシーはベイズウォーター・ロードの端で彼を降ろした。
(白須 清美訳)
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| ケンジントンガーデンズの北西の角の入口を公園内から見たところ - この辺りに、ロイヤルアルバート動物園はあったものと思われる。 <筆者撮影> |
上記の記述から、ロイヤルアルバート動物園は、ケンジントンガーデンズの北西の角に所在していることが判る。
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| ケンジントンガーデンズの北西の角の入口を ベイズウォーターロード(Bayswater Road → 2026年1月30日付ブログで紹介済)側から見たところ - 画面奥の辺りに、ロイヤルアルバート動物園はあったものと思われる。 <筆者撮影> |
ケンジントンガーデンズは、ハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月14日付ブログで紹介済)の西側に隣接する王立公園である。
ケンジントンガーデンズの大部分は、ロンドンの中心部であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内にあるが、西側の一部がケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)内に属している。
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| 画面奥に左右に植えられている生垣が、 ケンジントンガーデンズの西端と高級住宅街との境界線に該る。 <筆者撮影> |
そして、時代は、テューダー朝(House of Tudor)の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)による統治時まで下る。
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| ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)で販売されている アン・ブーリンの肖像画の葉書 (Unknown artist / 1535 - 1536年頃 / Oil on panel 543 mm x 416 mm) |
ヘンリー8世は、男の世継ぎ(嫡子)が生まれていない王妃キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon:1487年ー1536年)との離婚とキャサリン王妃の侍女メアリー・ブーリン(Mary Boleyn:1499年 / 1500年頃ー1543年)の妹(諸説あり)であるアン・ブーリン(Anne Boleyn:1501年頃ー1536年)との結婚を画策して、ローマのカトリック教会と対立し、1534年に国王至上法(首長令)を発布の上、自らを英国国教会(Church of England)の長とするとともに、カトリック教会から英国国教会の分離を行った。
ヘンリー8世が宗教改革の一環として実施した修道院解散(Dissolution of the monasteries:1536年ー1539年)政策に基づき、ウェストミンスター修道院の土地を召し上げた以降、英国王家の狩猟場として使用された。
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| ナショナルポートレートギャラリーで販売されている チャールズ1世の肖像画の葉書 (Daniel Mytens / 1631年 / Oil on canvas 2159 mm x 1346 mm) |
公園として一般に開放されるようになったのは、ステュアート朝(House of Stuart)のチャールズ1世(Charles Ⅰ:1600年ー1649年 → 2017年4月29日付ブログで紹介済)治世の1637年のことである。隣接するケンジントンガーデンズは、当時はまだハイドパークの一部であった。
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| ナショナルポートレートギャラリーで所蔵 / 展示されているアン女王の肖像画 (By Michael Dahl / Oil on canvas / 1702年) <筆者撮影> |
ステュアート朝の第6代国王であるアン(Anne Stuart:1665年-1714年 在位期間:1702年ー1714年)による指示に基づき、英国の造園家であるヘンリー・ワイズ(Henry Wise:1653年ー1738年)とチャールズ・ブリッジマン(1690年ー1738年)が、ハイドパークの造園化を進めた。この時に、ラウンド池(Round Pond)が設けられた。
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| ラウンド池を西側から眺めたところ <筆者撮影> |
ハノーヴァー朝(House of Hanover)のジョージ2世(George Ⅱ:1683年ー1760年)の妃のキャロライン王妃(Queen Caroline:1683年ー1737年)は、国情に疎く、思慮にも欠けると言われた国王の助言役となり、当時の首相ロバート・ウォルポール(Robert Walpole:1676年ー1745年)と連携して、国王に代わり、安定した統治を行ったことで知られている。
彼女は、学問や芸術に加えて、造園にも造詣が深く、彼女の指示で公園内にサーペンタイン湖(The Serpentine)が設けられた。サーペンタイン湖が完成したのは、1733年である。
| 北側からサーペンタイン湖を見たところ <筆者撮影> |
サーペンタイン湖が設けられたことに伴い、公園の東側はハイドパークに、そして、公園の西側はケンジントンガーデンズとして、正式に分けられることとなった。また、1826年に湖の途中に橋が架けられたことに伴い、北側の湖をザ・ロング・ウォーター(The Long Water)に、そして、南側の湖をサーペンタイン湖として分けて呼ばれるようになった。
| イタリアンガーデンズの南側にあるザ・ロング・ウォーター <筆者撮影 |
厳密に言うと、公園内を南北に延びるウェストキャリッジドライブ(West Carriage Drive → 2024年11月5日付ブログで紹介済 / The Ring とも呼ばれている)が、現在、ハイドパーク(公園の東側)とケンジントンガーデンズ(公園の西側)の境界線となっている。
| 手前にみえるのが、ハイドパークとケンジントガーデンズを東西に分けているウェストキャレッジドライブ。 <筆者撮影> |
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| ケンジントンガーデンズ内に設置されている案内板 - ウェストキャレッジドライブが、 ハイドパークとケンジントガーデンズを東西に分ける境界線となっている。 <筆者撮影> |
1841年になって、ケンジントンガーデンズは、一般に開放された。
ケンジントンガーデンズ内には、現在、
*ケンジントン宮殿(Kensington Place)
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| ケンジントン宮殿の入口から、同宮殿を見たところ <筆者撮影> |
*ヴィクトリア女王像(Queen Victoria Statue)
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| ヴィクトリア女王像は、東の方角を向いて設置されている。 <筆者撮影> |
*アルバート公記念碑(Albert Memorial → 2016年3月13日付ブログで紹介済)
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| アルバート公記念碑の全景 <筆者撮影> |
| 金色に輝くアルバート公像 <筆者撮影> |
*サーペンタインギャラリー(Serpentine Gallery)
*ラウンド池
*ザ・ロング・ウォーター
*イタリアンガーデンズ(Italian Gardens)
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| ケンジントンガーデンズ内にあるイタリアンガーデンズ(その1) <筆者撮影> |
| ケンジントンガーデンズ内にあるイタリアンガーデンズ(その2) <筆者撮影> |
*ピーターパン像(Peter Pan Statue)
等の見どころがある。
ケンジントンガーデンズへ北側からアクセスする場合、セントラルライン(Central Line)が停車する地下鉄ランカスターゲート駅(Lancaster Gate Tube Station)と地下鉄クイーンズウェイ駅(Queensway Tube Station)からが便利である。
また、南側からアクセスする場合は、サークルライン(Circle Line)とディストリクトライン(District Line)の2線が停車する地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station → 2016年6月25日付ブログで紹介済)からが近い。
| ケンジントンハイストリート(Kensington High Street)の北側から見た 地下鉄ハイストリートケンジントン駅 <筆者撮影> |
「ピーターパン(Peter Pan)」シリーズ等の作者として有名な劇作家/童話作家であるサー・ジェイムズ・マシュー・バリー(Sir James Matthew Barrie:1860年ー1937年)が、1902年から1909年にかけて、ケンジントンガーデンズの北側にあるベイズウォーターロード100番地(100 Bayswater Road → 2015年7月25日付ブログで紹介済)に住んでいた。
| レンスターテラス(Leinster Terrace)の入口から見たベイズウォーターロード100番地 <筆者撮影> |
| サー・ジェイムズ・バリーがベイズウォーターロード100番地に住んでいたことを示すブループラーク <筆者撮影> |
ジェイムズ・バリーは、このベイズウォーターロード100番地をベースにして、以下の有名な作品を執筆している。
*「小さな白い鳥(The Little White Bird)」(1902年)- 第13章から第18章にピーターパンが初めて登場。
*戯曲「ピーターパンー大人になりたがらない少年(Peter Pan, or The Boy Who Wouldn't Grow Up)」(1904年)
*「ケンジントン公園のピーターパン(Peter Pan in Kensington Gardens)」(1906年)
*「ピーターパンとウェンディー(Peter and Wendy)」(1911年)
上記の「ケンジントン公園のピーターパン」において、ケンジントンガーデンズが物語の舞台として使用されていて、ピーターパンがネヴァーランド(Neverland)へ冒険に行く前日譚が描かれている。






















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