2026年1月17日土曜日

ウィリアム・ホガース(William Hogarth)- その1

ナショナルギャラリー(National Gallery)において所蔵 / 展示されている
ウィリアム・ホガース作「自画像」(1745年) 
(Portrait of the Painter and his Pug)
<筆者撮影>

英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第20話(第2シリーズ)かつアガサ・クリスティー生誕100周年記念スペシャルとして、1990年9月16日に放映されたアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スタイルズ荘の怪事件The Mysterious Affair at Styles → 2023年12月3日 / 12月6日付ブログで紹介済)」(1920年)の TV ドラマ版において、物語の冒頭、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス中尉(Lieutenant Arthur Hastings - アガサ・クリスティーの原作では、大尉(Captain)となっている)が彼の旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish)と再会する場面が、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の北翼(North Wing → 2025年12月15日 / 12月19日 / 12月21日 / 12月22日付ブログで紹介済)にある「ホガースの階段(Hogarth Staircase → 2025年12月15日付ブログで紹介済)」と呼ばれる吹き抜け階段において撮影されている。


下から「ホガースの階段」と呼ばれる吹き抜け階段を見上げたところ -
アーサー・ヘイスティングス中尉と旧友のジョン・キャヴェンティッシュの2人が
上から降りて来る場面が、この角度で撮影されている。
<筆者撮影>


(1)右側の壁:「善きサマリア人(The Good Samaritan)」(1737年)

サマリア人善意で救命行為を行なっている場面が描かれている。


吹き抜け階段の上から見たウィリアム・ホガース作「善きサマリア人」
<筆者撮影>


(2)左側の壁:「ベテスダの池(The Pool of Bethesda)」(1736年)

万病を治す聖なる池において、病人が傷を癒している場面が描かれている。


吹き抜け階段の上から見たウィリアム・ホガース作「ベテスダの池」
<筆者撮影>


これらの壁画を描いたのは、18世紀の英国画壇を代表する国民的画家のウィリアム・ホガース(William Hogarth:1697年ー1764年)である。


ウィリアム・ホガースは、1697年11月10日、ラテン語学校の教師であるリチャード・ホガース(Richard Hogarth)と母アン・ギボンズ(Anne Gibbons)の長男として、ロンドンのセントバーソロミュー病院の直ぐ近くのバーソロミュークローズ(Bartholomew Close)に出生。

彼の下には、1699年生まれのメアリー(Mary)と1701年生まれのアン(Ann)の妹2人が 居る。


ナショナルギャラリーにおいて所蔵 / 展示されている
ウィリアム・ホガース作「エビ売りの少女 (The Shrimp Girl)
」(1740年ー1745年頃) と
「自画像」(1745年)
<筆者撮影>

成長したウィリアム・ホガースは、当初、レスターフィールズ(Leicester Fields)の銀細工師(engraver)を営むエリス・ガンブル(Ellis Gamble)の弟子として働き始めたが、ロンドン市内の通りにおける人々の生活に興味を持ち、その世相のスケッチも続けた。

同じ頃、父親のリチャード・ホガースは、セントジョンズゲイト(St. John’s Gate)にコーヒーハウス(coffee house)をオープンしたが、経営がうまくいかず、多額の借金を背負った末に、5年間投獄される。これを恥じた息子のウィリアム・ホガースは、父親の投獄のことを決して口ににしなかった。

その後、父親のリチャード・ホガースは1718年に亡くなるが、その前後に、ウィリアム・ホガースは、版画家となる。


ウィリアム・ホガースは、1720年にピーターコート(Peter Court)にあった絵画学校セントマーティンズレーンアカデミー(St. Martin’s Lane Academy)に入学し、1725年にはコヴェントガーデン(Covent Garden)にある別の絵画学校に入り、絵画を学ぶ。


なお、コヴェントガーデンの絵画学校は、英国の画家であるサー・ジェイムズ・ソーンヒル(Sir James Thornhill:1675年ー1734年)が1724年に開いたもので、ジェイムズ・ソーンヒルは、1718年に宮廷画家に選ばれ、1720年にはハノーヴァー朝(House of Hanover)の初代国王であるジョージ1世(George I:1660年-1727年 在位期間:1714年-1727年)からサーの称号を受けている。

サー・ジェイムズ・ソーンヒルが開いた絵画学校に1725年に入学してきたウィリアム・ホガースは、彼の娘であるジェーン・ソーンヒル(Jane Thornhill:1709年頃ー1789年)と駆け落ちをして、サー・ジェイムズ・ソーンヒルの反対にもかかわらず、1729年3月23日に正式に結婚すると言うことが起きている。


その後、ウィリアム・ホガースは、芸術家、美術品コレクターや美術品鑑定家のクラブであるローズ&クラウンクラブ(Rose and Crown Club)のメンバーとなった。


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