| 下から「ホガースの階段」と呼ばれる吹き抜け階段を見上げたところ - アーサー・ヘイスティングス中尉と旧友のジョン・キャヴェンティッシュの2人が 上から降りて来る場面が、この角度で撮影されている。 <筆者撮影> |
(1)右側の壁:「善きサマリア人(The Good Samaritan)」(1737年)
サマリア人善意で救命行為を行なっている場面が描かれている。
| 吹き抜け階段の上から見たウィリアム・ホガース作「善きサマリア人」 <筆者撮影> |
(2)左側の壁:「ベテスダの池(The Pool of Bethesda)」(1736年)
万病を治す聖なる池において、病人が傷を癒している場面が描かれている。
| 吹き抜け階段の上から見たウィリアム・ホガース作「ベテスダの池」 <筆者撮影> |
これらの壁画を描いた18世紀の英国画壇を代表する国民的画家のウィリアム・ホガース(William Hogarth:1697年ー1764年)は、1697年11月10日、ラテン語学校の教師であるリチャード・ホガース(Richard Hogarth)と母アン・ギボンズ(Anne Gibbons)の長男として、ロンドンのセントバーソロミュー病院の直ぐ近くのバーソロミュークローズ(Bartholomew Close)に出生。
![]() |
| ナショナルギャラリーにおいて所蔵 / 展示されている ウィリアム・ホガース作「自画像」(1745年) (Portait of the Painter and his Pug) <筆者撮影> |
成長したウィリアム・ホガースは、当初、銀細工師(engraver)の弟子として働き始めたが、父リチャード・ホガースの破産、投獄、その後の死(1718年)を経て、版画家として生計を立てながら、絵画学校セントマーティンズレーンアカデミー(St. Martin’s Lane Academy)等で本格的に絵画を学ぶ。
ウィリアム・ホガースは、1725年からコヴェントガーデン(Covent Garden)の絵画学校で学んでいた際、同絵画学校を開いた英国の画家で、宮廷画家でもあったサー・ジェイムズ・ソーンヒル(Sir James Thornhill:1675年ー1734年)の娘であるジェーン・ソーンヒル(Jane Thornhill:1709年頃ー1789年)と駆け落ちをした後、サー・ジェイムズ・ソーンヒルの反対にもかかわらず、1729年3月23日に正式に結婚。
この頃から、彼は油彩画も手掛けるようになる。
![]() |
| ナショナルギャラリーの ウィリアム・ホガースの作品が展示されている室内(その1) <筆者撮影> |
ジェーン・ソーンヒルと結婚したウィリアム・ホガースは、
*「娼婦一代記」(1732年:銅版画)→ 油彩画は、1755年に焼失
*「放蕩者一代記(A Rake’s Progress)」(1732年ー1732年:8枚の連作油彩画 / 1735年:銅版画)→ 油彩画は、サー・ジョン・ソーンズ博物館(Sir John Soane’s Museum → 2025年5月22日 / 5月30日 / 6月3日 / 6月13日付ブログで紹介済)が所蔵。
![]() |
| リンカーンズ・イン・フィールズ12番地の建物 - サー・ジョン・ソーンズ博物館の一棟 <筆者撮影> |
![]() |
| リンカーンズ・イン・フィールズ13番地の建物 - サー・ジョン・ソーンズ博物館の一棟 <筆者撮影> |
![]() |
| リンカーンズ・イン・フィールズ14番地の建物 - サー・ジョン・ソーンズ博物館の一棟 <筆者撮影> |
*「当世風結婚(Marriage A-la-Mode)」(1743年ー1745年:6枚の連作油彩画/ 1745年:銅版画)→ 油彩画は、ナショナルギャラリー(National Gallery)が所蔵。
等の当時の世相を痛烈に風刺した作品を発表して、庶民に人気を博し、風刺画の父と呼ばれるようになった。
![]() |
| ナショナルギャラリーの ウィリアム・ホガースの作品が展示されている室内(その2) <筆者撮影> |
また、銅版画集の海賊版に悩まされたウィリアム・ホガースは、英国議会に対して、著作権の保護を訴え、「ホガース法」と呼ばれる著作権法の成立に尽力。
彼の尽力の結果、著作権法は1735年に施行され、画家の社会的地位の向上を促したのである。








0 件のコメント:
コメントを投稿