2025年1月29日水曜日

横溝正史作「八つ墓村」(The Village of Eight Graves by Seishi Yokomizo)- その3

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2021年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「八つ墓村」の内表紙
(Cover design by Anna Morrison)

日本の推理作家である横溝正史(Seishi Yokomizo:1902年ー1981年)による長編推理小説で、金田一耕助(Kosuke Kindaichi)シリーズの長編第4作目に該る「八つ墓村(The Village of Eight Graves)」(1949年ー1951年)の場合、鳥取県(Tottori Prefecture)と岡山県(Okayama Prefecture)の県境にある人里離れた山間に所在するある村が「八つ墓村(village of Eight Graves)」と呼ばれるようになった経緯(戦国大名の一人である尼子氏の家臣だった8人の落ち武者達を、毛利元就(Motonari Mori)からの褒賞金に目が眩んだ村人達が惨殺 → 彼らの祟りを恐れた村人達が、彼らを村の守り神として奉る)、そして、1923年(大正12年)4月に、8人の落ち武者達を皆殺しにした際の村の首謀者である田治見庄左衛門(Shozaemon Tajimi)の子孫で、田治見家の当主となった田治見要蔵(Yozo Tajimi)が、日本刀と猟銃で武装し、合計で32人の村人達を次々に殺戮して、山奥へと姿を消した事件が語られた後、物語が本格的に始まる。

ここからは、主人公となる寺田辰弥(Tatsuya Terada)による回想手記の形式で進行していく。


自分と子供の身の危険を感じ、生後半年程の辰弥を連れて、田治見要蔵の元を逃げ出し、姫路市(Himeji City)に住む親戚の家に身を寄せていた井川鶴子(Tsuruko Ikawa)は、その後、造船所の親方である寺田虎造(Torazo Terada)と結婚して、神戸市(Kobe City)で暮らしていたが、辰弥が7歳のときに、母鶴子が亡くなる。

母鶴子亡き後、義父である寺田虎造と再婚した義母は、辰弥によくしてくれたが、彼女の実子である弟妹が生まれたため、距離ができてしまった。

そして、商業学校を卒業した年に、義父虎造と喧嘩して、家を飛び出した辰弥は、友人の所に転がり込んだが、兵隊に召集され、南方へ送られた。

太平洋戦争(1941年ー1945年)の翌年(1946年)、辰弥は日本に復員したが、神戸市一帯が空襲で焼かれており、義父虎造は造船所で死亡し、また、義父虎造の再婚相手と弟妹の所在は判らなくなっていたため、天涯孤独の身となる。

やむを得ず、辰弥は、学校時代の友人の世話により、化粧品会社に勤務し、友人夫婦宅に寄宿していた。


それから2年後の1948年(昭和23年)5月25日、辰弥は、ラジオで彼の行方を探していた諏訪法律事務所(Suwa Legal Practice)を訪れた。

諏訪弁護士(Mr. Suwa)は、辰弥に対して、「君の身寄りが、君を探している。」と告げる。


その数日後、辰弥の元に、「八つ墓村に帰って来てはならぬ。お前が村に帰って来たら、26年前の大惨事が再び繰り返され、八つ墓村は血の海へと化すであろう。(You must never set foot in the village of Eight Graves again. Nothing good will come of it. The gods here are angry. If ever you come back, there will be blood ! The carnage that took place twenty-six years ago will repeat itself, and the village will once again become a sea of blood.)」と告げる匿名の手紙が届いた。


その後、諏訪法律事務所において、辰弥は、彼の身寄りである田治見家の使者で、母方の祖父である井川丑松(Ushimatsu Ikawa)に引き合わされるが、その会見の場で、祖父丑松が突然血を吐いて亡くなってしまう。

検死の結果、何者かが祖父丑松の喘息薬のカプセルに毒を混入したことが判明。


そんな最中、辰弥の大伯母から依頼を受けた森美也子(Miyako Mori)が、辰弥を迎えに現れる。

森美也子から、辰弥は、


*田治見家には、辰弥の異母兄姉に該る久弥(Hisaya Tajimi)と春代(Haruyo Tajimi)が居るものの、2人とも病弱であること

*久弥と春代には、里村慎太郎(Shintaro Satomura)と典子(Noriko Satomura)と言う従兄妹が居て、久弥と春代が亡くなった場合、慎太郎が田治見家を継ぐことになること

*辰弥の大伯母に該る双子の小竹(Totake Tajimi)と小梅(Come Tajimi)は、辰弥が田治見家の跡取りになるのを望んでいること

*森美也子は、田治見家と並ぶ資産家である野村家の当主である壮吉(Shokichi Nomura)の義妹で、未亡人であること


等の説明を受けた。


こうして、辰弥は、田治見家の跡取りとして、八つ墓村に呼び戻されるが、匿名の手紙が告げた通り、そこで連続殺人事件に巻き込まれることになるのであった。


2025年1月27日月曜日

横溝正史作「八つ墓村」(The Village of Eight Graves by Seishi Yokomizo)- その2

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2021年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「八つ墓村」の裏表紙
(Cover design by Anna Morrison)


日本の推理作家である横溝正史(Seishi Yokomizo:1902年ー1981年)による長編推理小説で、金田一耕助(Kosuke Kindaichi)シリーズの長編第4作目に該る「八つ墓村(The Village of Eight Graves)」(1949年ー1951年)の場合、鳥取県(Tottori Prefecture)と岡山県(Okayama Prefecture)の県境にある人里離れた山間に所在する八つ墓村(village of Eight Graves)の成り立ちにかかる説明から始まる。


1566年(永禄9年)7月6日、戦国大名の一人である尼子氏の家臣だった8人の落ち武者達が、炭作り(charcoal-making)と牛の放牧(cattle-rearing)位しか、主だった産業がないとある山中の寒村へと、財宝を携えて逃げ延びて来る。彼らの主君である尼子氏が、中国地方(山陽道 / 山陰道)の戦国大名である毛利元就(Motonari Mori)に敗北したからである。

村人達は、一旦、8人の落ち武者達を匿うものの、毛利元就による捜索が厳しくなるに伴い、彼らが村にとって災いの種になることを恐れ始めた。また、8人の落ち武者達が携えていた財宝と毛利元就からの褒賞金に目が眩んだ村人達は、彼らを皆殺しにしてしまう。落ち武者達の大将は、その死に際に、「七生まで、この村を祟ってみせる。」と呪詛の言葉を残すと、息絶えた。

8人の落ち武者達を惨殺して、彼らが携えていた財宝と毛利元就からの褒賞金を手に入れた村人達であったが、その後、村人が次々と変死し、最後には、名主が狂死するに至る。

8人の落ち武者達による祟りを恐れた村人達は、犬猫の死骸同然に埋めてあった彼らの遺体を手厚く葬るとともに、彼らを村の守り神として奉った。

村の守り神となった8人の落ち武者達は、「八つ墓村明神」となり、いつの頃からか、村は「八つ墓村」と呼ばれるようにんっていった。


時代は、戦国時代から大正時代へと下る。


8人の落ち武者達を皆殺しにした際の村の首謀者である田治見庄左衛門(Shozaemon Tajimi)の子孫で、田治見家の当主となった田治見要蔵(Yozo Tajimi)は、粗暴かつ残虐性を秘めた男で、それが、八つ墓村の村人達にとって、非常に恐ろしい結果を後にもたらすことになる。

田治見要蔵は、妻子がある身でありながら、八つ墓村の住人である井川鶴子(Tsuruko Ikawa)に言いよると、暴力で彼女を犯し、自宅の土蔵に閉じ込めて、情欲の限りを尽くした。

1922年(大正11年)9月6日、井川鶴子は、辰弥(Tatsuya)と言う男児を出産した。ただ、彼女には、昔から結婚を約束していた学校教師の亀井陽一(Yoichi Kamei)と言う男性が居て、田治見要蔵の目を盗み、逢い引きをしていた。

辰弥が誕生してから半年程した1923年(大正12年)4月、「井川鶴子が生んだ辰弥は、田治見要蔵の子供ではなく、亀井陽一の子供だ。」と言う噂を耳にした田治見要蔵は、烈火の如く怒ると、井川鶴子を虐待した。更に、彼は、辰弥の身体のあちこちに、焼け火箸を押し当てたりする等、

暴虐の限りを尽くしたのである。

自分と子供の身の危険を感じた井川鶴子は、辰弥を連れて、姫路市(Himeji City)に住む親戚の家に身を寄せる。待てど暮らせど、自分の元へと帰って来ない井川鶴子のことを恨む田治見要蔵は、遂に狂気を爆発させた。同年4月の終わり頃のある晩、日本刀と猟銃で武装した田治見要蔵は、八つ墓村の中を駆け巡り、合計で32人の村人達を次々に殺戮すると、山の奥へと姿を消したのであった。


そして、26年の時が経ち、太平洋戦争(1941年ー1945年)が終結した後の八つ墓村を、新たな悲劇が襲いかかろうとしていた。


2025年1月26日日曜日

コナン・ドイル作「青いガーネット」<英国 TV ドラマ版>(The Blue Carbuncle by Conan Doyle )- その4

英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年1月号に掲載された挿絵(その7) -

ホテルコスモポリタンに宿泊していたモーカー伯爵夫人の宝石箱から

「青いガーネット(Blue Carbuncle)」を盗んだ犯人である

同ホテルの客室係ジェイムズ・ライダーは、

シャーロック・ホームズに対して、

自分を見逃してくれるよう、懇願するのであった。

画面左側から、シャーロック。ホームズ、ジェイムズ・ライダー、

そして、ジョン・H・ワトスンが描かれている。

挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「青いガーネット(The Blue Carbuncle → 2025年1月1日 / 1月2日 / 1月3日 / 1月4日付ブログで紹介済)」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、7番目に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1892年1月号に掲載された。


英国のグラナダテレビ(Granada Television Limited)が制作した「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1984年ー1994年)において、TV ドラマとして映像化され、第1シリーズ(The Adventures of Sherlock Holmes)の第7エピソード(通算では第7話)として、英国では、1984年6月5日に放映された「青いガーネット」の場合、帽子とガチョウの持ち主であるヘンリー・ベイカー(Henry Baker)が、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れた以降も、コナン・ドイル作「青いガーネット」対比、以下の相違点がある。


(1)

<原作>

ベイカーストリート221B を訪れたヘンリー・ベイカーは、ホームズに対して、「昼間は、大英博物館で過ごしています。(we are to be found in the Museum itself during the day, you understand.)」と説明している。

<グラナダテレビ版>

ヘンリー・ベイカーは、ホームズに対して、「大英博物館で、他の人が調べものや探しものをするのを手伝って、お金を稼ぐことで、慎ましくとも、ちゃんとした生計を立てています。本については、結構詳しんです。(I made a humble and respectable living in the British Museum, helping others with their studies. I have a certain knowledge of books.)」と、原作よりもより踏み込んだ説明を行っている。


(2)

<原作>

ヘンリー・ベイカーからの話を聞いたホームズとジョン・H・ワトスンの2人は、大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済)の近くにあるパブ「アルファイン(Alpha Inn → 2015年12月19日付ブログで紹介済)」へと向かい、その経営者であるウィンディゲート(Windigate)から、問題のガチョウの仕入先が、コヴェントガーデンマーケット(Covent Garden Market → 2016年1月9日付ブログで紹介済)において、ガチョウの店を営んでいる「ブレッキンリッジ(Breckinridge)」だと言う情報を入手する。

<グラナダテレビ版>

「ブレッキンリッジ(Breckinridge)」の名前が、何故か、「ブレッケンリッジ(Breckenridge)」へと変更されている。


(3)

<グラナダテレビ版>

ホテルコスモポリタン(Hotel Cosmopolitan)に宿泊していたモーカー伯爵夫人(Countess of Morcar)の宝石箱から「青いガーネット(blue carbuncle)」を盗んだ犯人として逮捕された修理工であるジョン・ホーナー(John Horner:36歳)が居る留置場を、彼の妻であるジェニー・ホーナー(Jennie Horner)が、面会のため、訪れる場面が挿入される。

<原作>

原作上、ジョン・ホーナー(26歳)の妻は登場しないので、このような場面はない。


上記以降、コヴェントガーデンマーケット、そして、ベイカーストリート221B へと舞台を移して、ホテルコスモポリタンの客室係(hotel attendant)であるジェイムズ・ライダー(James Ryder)が、ホームズに対して、「青いガーネット」を盗んだことを白状した後、ホームズがジェイムズ・ライダーを追い出す場面までは、基本的に、原作 / グラナダテレビ版も、変わりはない。


(4)

<原作>

ホームズは、クレイパイプに手を伸ばしながら、言った。「ワトスン、結局のところ、僕は、警察の人員不足を補うために、雇われている訳じゃない。もしジョン・ホーナーが「青いガーネット」を盗んだ罪に問われるのであれば、話は違ってくるけどね。しかし、あの男(ジェイムズ・ライダー)が、ジョン・ホーナーの反対尋問のために、法廷に現れることはないだろうから、ジョン・ホーナーに対する公判は維持できないに違いない。僕は重罪を犯していると思うが、一方で、一つの魂を救ったとも言える。あいつは、もう二度と悪事には手を出さないだろう。何故ならば、心底から恐怖に怯えているからだ。ここで、あの男を監獄へ送れば、一生、監獄を行ったり来たりとなる。それに、今は丁度赦しの時期じゃないか。今回、偶然と言う依頼人が、非常に稀に見る風変わりな事件を、僕達に持ち込んでくれた訳だが、解決が僕達にとっての報酬と言える。ワトスン、そこのベルを鳴らして、ハドスン夫人に夕食を運んでくれるように頼んでくれないか。僕達も、別の調査に取り掛かろうじゃないか。こっちも、今回の事件と同様に、鳥が主役になるね。

‘After all, Watson,’ said Holmes, reaching up his hand for his clay pipe, ‘I am not rained by the police to supply their deficiencies. If Horner were in danger it would be another thing; but this fellow will not appear against him, and the case must collapse. I suppose that I am commuting a felony, but it is just possible that I am saving a soul. This fellow will not go wrong again; he is too terribly frightened. Send him to gaol now, and you make him a gaolbird for life. Besides, it is the season of forgiveness. Chance has put in our way a most singular and whimsical problem, and its solution is its own reward. If you will have the goodness to touch the bell, doctor, we will begin another investigation, in which also a bird will be the chief feature.’


上記の通り、原作の最後、事件が解決したこと、また、クリスマスシーズンであることもあって、ホームズの機嫌は非常に穏やかである。


<グラナダテレビ版>

ホームズが犯人であるジェイムズ・ライダーを見逃したことについて、ワトスンがやや意を唱えたところ、ホームズは非常に激昂している。


< Watson > I must confess, Holmes, to being al little surprised.

< Holmes > I am not retained by the police to supply their deficiencies !(激昂して、叫んでいる。)

< Watson > (無言)

< Holmes > Maybe I am committing a felony, but I may be saving a soul. Send him to jail, he’ll be a jailbird for life.(このセリフについては、静かに喋っている。)

< Watson > (ベイカーストリートの路上を走り去るジェイムズ・ライダーの姿を、窓越しに見ている。)

< Holmes > (机の引き出しの中に、「青いガーネット」を仕舞う。引き出しの中には、アイリーン・アドラー(Irene Adler)の写真も入っている。)It is the season of forgiveness.

< Watson > Midnight ! Merry Christmas, Holmes.

< Holmes > And to you, my dear friend.

< Watson > Just a minute. Holmes, I cannot contemplate eating while John Horner is still on remand. Do you suppose that Bradstreet or one of his colleagues might be there ?

< Holmes > Well .. You’re quite right, Watson, Come, let’s go.


こうして、クリスマスの食事を終えたホームズとワトスンの2人は、ベイカーストリート221B を出ると、ジョン・ホーナーが無実であることを説明するために、スコットランドヤードのブラッドストリート警部(Inspector Bradstreet - 原作には登場しない)の元へと向かったものと思われる。


そして、物語の最後、警察から釈放されたジョン・ホーナーを、妻のジェニー・ホーナーが出迎え、彼の元へ2人の子供達(姉と弟)が駆け寄って行く場面で終わっている。


2025年1月20日月曜日

横溝正史作「八つ墓村」(The Village of Eight Graves by Seishi Yokomizo)- その1

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2021年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「八つ墓村」の表紙
(Cover design by Anna Morrison)


「八つ墓村(The Village of Eight Graves)」は、日本の推理作家である横溝正史(Seishi Yokomizo:1902年ー1981年)による長編推理小説で、


(1)「本陣殺人事件(The Honjin Murders → 2024年3月16日 / 3月21日 / 3月26日 / 3月30日付ブログで紹介済)」(1946年)


英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2019年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「本陣殺人事件」の表紙
(Cover design by Anna Morrison)


(2)「獄門島(Death on Gokumon Island → 2024年3月4日 / 3月6日 / 3月8日 / 3月10日付ブログで紹介済)」(1947年ー1948年)


英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2022年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「獄門島」の表紙
(Cover design by Anna Morrison)


(3)「夜歩く」(1948年−1949年)


に続く金田一耕助(Kosuke Kindaichi)シリーズの長編第4作目に該る


横溝正史は、農村を舞台に、できるだけ多くの殺人事件が起きる作品を執筆したいと考えており、


*アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「ABC 殺人事件(The ABC Murders)」(1936年)

*坂口安吾(Ango Sakaguchi:1906年ー1955年)作「不連続殺人事件」(1947年ー1948年)


を踏まえて、本作の構想に取り掛かった。


その際、「獄門島」の風物を教示してもらった友人から、作品の舞台として適当な村として、伯備線の新見駅の近くにある村を紹介される。

その村には、鍾乳洞があると聞き、横溝正史は、以前、D・K・ウィップル(Kenneth Duane Whipple)作長編推理小説「鍾乳洞殺人事件」を読んだことを思い出し、鍾乳洞を作品の中盤以降における重要な舞台の一つに取り入れた。

また、作品の序盤には、1938年(昭和13年)に岡山県で実際に起きた「津山30人殺し」をベースにした田治見要蔵(Yozo Tajimi)による「八つ墓村村人32人殺し」も取り入れている。横溝正史としては、本格探偵小説の骨格を崩すことはしたくなかったが、連載予定の雑誌の場合、純粋な探偵小説雑誌と言うよりも、大衆娯楽雑誌の傾向が強かったため、スケールの大きな伝奇小説を執筆する方向へと舵を切ったのである。ただし、作品の舞台となる八つ墓村が所在する場所は、「津山30人殺し」が起きた村とは全く異なるところに設定した。


こうして構想がまとまった後、「八つ墓村」は、1949年(消化24年)3月から1950年(昭和25年)3月までの1年間、雑誌「新青年」に連載された。

今までの長編3作とは異なり、冒頭部分の過去談については、作者による説明で、本編部分に関しては、主人公となる寺田辰弥(Tatsuya Terada)による回想手記の形式で進行していく。

残念ながら、連載は予定通り進まず、横溝正史が病気のため休載している間に、「新青年」が休刊となってしまう。

そのため、1950年11月から1951年1月まで、雑誌「新宝石」において、作品の続編が連載された。


なお、「八つ墓村」が最初に刊行されたのは、1971年に角川文庫としての出版である。


横溝正史は、太平洋戦争(1941年ー1945年)時下に疎開した場所で、両親の出身地でもある岡山県での風土体験をベースにして、同県を舞台にした作品を発表しており、「八つ墓村」は、金田一耕助シリーズの「本陣殺人事件」や「獄門島」等と並び称される「岡山県もの」の代表作となっている。

また、山村における因習や祟り等の要素を含んだ同作品は、後世の推理小説に大きな影響を与えている。


2025年1月19日日曜日

ケンブリッジ大学創立800周年記念 / ジェイムズ・ワトスン(800th Anniversary of the University of Cambridge / James Watson)

ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた
米国出身の分子生物学者である
ジェイムズ・デューイ・ワトスン(一番右側の人物)の絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>


2009年にケンブリッジ大学(University of Cambridge)が創立800周年を迎えたことを記念して、英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイク(Quentin Blake:1932年ー)が、ケンブリッジ大学に関係する人物を描いて、寄贈した。


ケンブリッジ大学の創立800周年を記念して、クェンティン・ブレイクが描いた人物達について、(1)アイザック・ニュートン(Issac Newton:1642年―1727年 → 2024年5月26日 / 5月30日付ブログで紹介済)、(2)チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin:1809年ー1882年 → 2024年6月9日 / 6月13日付ブログで紹介済)、(3)ヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)、(4)ジョン・ディー(John Dee:1527年ー1608年、または、1609年 → 2024年7月30日付ブログで紹介済)、(5)オリヴァー・クロムウェル(Oliver Cromwell:1599年ー1658年 → 2024年8月4日付ブログで紹介済)、(6)ジョン・ミルトン(John Milton:1608年ー1674年 → 2024年8月17日付ブログで紹介済)、(7)ウィリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce:1759年ー1833年 → 2024年8月21日付ブログで紹介済)、(8)第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年 → 2021年5月9日+2024年8月24日 / 8月30日付ブログで紹介済)、(9)ヘンリー・ド・ウィントン + ジョン・チャールズ・シリング(Henry de Winton + John Charles Thring → 2024年9月16日付ブログで紹介済)、(10)ジェイムズ・クラーク・マクスウェル(James Clark Maxwell → 2024年11月30日 / 12月3日付ブログで紹介済)、(11)フランク・ウィットル(Frank Whittle → 2024年12月7日付ブログで紹介済)、(12)ドロシー・ガロッド(Dorothy Garrod → 2024年12月12日付ブログで紹介済)、(13)ロザリンド・エルシー・フランクリン(Rosalind Elsie Franklin → 2024年12月30日付ブログで紹介済)や(14)フランシス・ハリー・コンプトン・クリック(Francis Harry Compton Crick → 2025年1月8日付ブログで紹介済)に続き、順番に紹介していきたい。


15番目に紹介するのは、ジェイムズ・デューイ・ワトスン(James Dewey Watson)である。


(15)ジェイムズ・デューイ・ワトスン(1928年ー)


ジェイムズ・デューイ・ワトスンは、米国出身の分子生物学者で、DNA の二重螺旋構造の解明で有名である。


ジェイムズ・デューイ・ワトスンは、1928年4月6日、米国イリノイ州(Illinois)シカゴ(Chicago)に住むビジネスマンの父ジェイムズ・D・ワトスン(James D. Watson)と母ジーン・ワトスン(Jean Watson - 旧姓:ミッチェル / Mitchell)の下に出生。


ジェイムズ・ワトスンは、1947年にシカゴ大学(University of Chicago)を卒業した後、インディアナ大学(Indiana University)大学院に入り、1950年に生物学の PhD を取得した。


1951年に、ジェイムズ・ワトスンが、フランシス・クリックが入所したケンブリッジ大学のキャヴェンディッシュ研究所(Cavendish Laboratory)を訪れ、2人は意気投合する。


ロザリンド・フランクリンは、1950年にロンドン大学のキングスカレッジ(King’s College)に研究職を得た際、X線による DNA 構造の解析を研究テーマとして与えられる。

彼女は、この研究に没頭し、1953年に、DNA の螺旋構造の解明に繋がる X線回折写真の撮影に成功、これが「photo51」と呼ばれている。


ロザリンド・フランクリンは、キングスカレッジにおいて、彼女よりも前から、X線回折による DNA の構造研究を進めていたモーリス・ヒュー・フレデリック・ウィルキンス(Maurice Hugh Frederick Wilkins:1916年ー2004年 / 英国の生物物理学者)との間で、DNA の構造研究をめぐり、しばしば衝突。

モーリス・ウィルキンスは、彼女が撮影したX線回折写真を、キャヴェンディッシュ研究所に在籍していたフランシス・クリックとジェイムズ・ワトスンに見せた。これが、DNA の二重螺旋構造解明の手掛かりへと繋がるが、後に大問題の引き金となる。


ロザリンド・フランクリンが撮影したX線回折写真を元に、 DNA の二重螺旋構造を解明したフランシス・クリック、ジェイムズ・ワトスンとモーリス・ウィルキンスの3人は、1953年に科学雑誌「ネイチャー(Nature)」に論文を発表。その論文投稿から9年後の1962年に、彼ら3人はノーベル生理学・医学賞を受賞した。

ロザリンド・フランクリン自身は、1958年4月16日に、卵巣癌と巣状肺炎により、37歳で亡くなっていたため、残念ながら、ノーベル生理学・医学賞受賞の栄誉を得ることはできなかった。一説によると、X線による DNA 構造の解析のため、大量のX線を浴びたことが、彼女の癌の原因だと言われている。


その後、ジェイムズ・ワトスンは、


*ボストンのハーバード大学(Harvard University)生物学の教授<1956年ー1976年>

*ニューヨークのコールドスプリングハーバー研究所(Cold Spring Harbor Laboratory)の所長<1968年ー1993年> / 会長<1994年ー2007年>

*米国の国立衛生研究所(National Institute of Health / NIH)ヒトゲノム研究センター(Human Genome Project)の初代所長<1989年ー1992年>


等を歴任。


優れた経歴の一方で、ジェイムズ・ワトスンの場合、問題発言が多い。

「モーリス・ウィルキンス経由で、彼とフランシス・クリックがロザリンド・フランクリンが撮影したX線回折写真を入手した方法が不正である。」と言う指摘を従来より受け続けているが、自分の業績を正当化するために、回想録「二重螺旋」の中で、ロザリンド・フランクリンのことを、「気難しく、ヒステリックなダークレディーだ。」と述べている。

また、2007年10月14日付英国紙サンデータイムズ1面において、「黒人は、人種的 / 遺伝的に劣等である。」と言う趣旨の発言を行っている。

この発言は、欧米において大きな波紋を呼んだため、英国滞在中のジェイムズ・ワトスンは、謝罪するとともに、発言の真意が曲解されているとコメントしたが、コールドスプリングハーバー研究所の会長職を辞職することに追い込まれた。

なお、2019年1月2日の PBS ドキュメンタリー番組でも、同様の発言を行った結果、同研究所の名誉職も剥奪されている。


上記の通り、2007年の人種差別発言の結果、ジェイムズ・ワトスンの名声は地に堕ちてしまい、学会からも距離を置かれたため、経済的に困窮。

その結果、1962年に受賞したノーベル生理学・医学賞のメダルが、2014年12月4日、ニューヨークのオークションハウスであるクリスティーズ(Christie’s)で競売に掛けられた。存命のノーベル賞受賞者がメダルを競売したのは、これが、史上初めてである。


2025年1月18日土曜日

綾辻行人作「迷路館の殺人」<小説版>(The Labyrinth House Murders by Yukito Ayatsuji ) - その3

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2024年に刊行されている
Pushkin Vertigo シリーズの一つである
綾辻行人作「迷路館の殺人」の英訳版内に付されている
「迷路館」の見取り図 / 部屋の割当て図


1987年4月1日、推理作家界の巨匠である宮垣葉太郎(Yotaro Miyagaki:59歳)の還暦(60歳)の祝賀パーティーのために、以下の人物が、彼が住む「迷路館(The Labyrinth House)」に招かれた。


(1)宇多山英幸(Hideyuki Utayama:40歳 - 稀譚社の編集者で、宮垣葉太郎の担当者)

(2)宇多山桂子(Keiko Utayama:33歳 - 宇多山英幸の妻で、現在、妊娠中。医大卒で、以前、耳鼻咽喉科に勤務。)

(3)島田潔(Kiyoshi Shimada:37歳 - 推理小説マニアで、「十角館の殺人(The Decagon House Murders → 2023年2月21日 / 2月25日 / 3月9日 / 3月18日付ブログで紹介済)」と「水車館の殺人(The Mill House Murders → 2023年4月30日 / 5月3日 / 5月13日付ブログで紹介済)」において探偵役を務めた)


(4)清村淳一(Jyunichi Kiyomura:30歳 - 推理作家 / デビュー前、小さな劇団に所属 / 舟丘まどかとは、元夫婦)

(5)須崎昌輔(Shosuke Suzaki:41歳 - 推理作家 / 作家としての実力は高いが、非常に遅筆で、編集者から敬遠されがち / 同性愛者で、最近、林宏也を口説いている)

(6)舟丘まどか(Madoka Funaoka:30歳 - 推理作家 / デビュー当時は、美人の女流若手新人作家として持て囃されたが、その後は伸び悩んでいる / 清村淳一とは、元夫婦)

(7)林宏也(Hiroya Hayashi:27歳 - 推理作家 / 気が弱い / 最近、同性愛者の須崎昌輔から口説かれている)

(8)鮫嶋智生(Tomoo Samejima:38歳 - 評論家 / 9歳になる息子が居るが、生まれつき重度の知的障害を抱えている上に、身体があまり丈夫ではない / デビュー前は、高校の数学教師だった)


清村淳一、須崎昌輔、舟丘まどか、林宏也と鮫嶋智生の5人は、全員、宮垣葉太郎の絶賛を受け、若くして文壇にデビューしたものの、彼らの中には、現在、伸び悩んでいる者も居た。


宮垣葉太郎の出迎えを待ち侘びる8名であったが、約束の時間を過ぎても、何故か、宮垣葉太郎は姿を見せなかった。

すると、そこへ彼の秘書である井野満男(Mitsuo Ino:36歳)が現れて、


*宮垣葉太郎は、今朝、自殺したこと

*宮垣葉太郎の遺書に従い、彼の死を警察にはまだ通報していないこと


を告げる。

自殺を遂げた宮垣葉太郎は、1本のテープを遺しており、そこには、驚くべき内容が録音されていたのである。


宮垣葉太郎が遺したテープによると、


*5日後まで、秘書の井野満男と宮垣葉太郎の主治医だった黒江辰夫(Tatsuo Kuroe)の2人以外は、「迷路館」を出てはならないこと

*5日後まで、宮垣葉太郎の死を警察に通報してはならないこと

*当該5日の間に、清村淳一、須崎昌輔、舟丘まどかと林宏也の推理作家4人は、「迷路館」を舞台にして、自分が被害者となる殺人事件をメインとする推理小説を執筆しなければならないこと → 彼ら4人が執筆した推理小説が厳正に審査され、最も優れた作品を書いた者に対して、宮垣葉太郎の遺産の半分を相続する権利が与えられる。


宮垣葉太郎の遺書の内容に驚愕しつつも、巨額な遺産に目が眩んだ清村淳一、須崎昌輔、舟丘まどかと林宏也の推理作家4人は、各自、「迷路館」を舞台にして、自分が被害者となる殺人事件をテーマとする推理小説の執筆を開始。


「迷路館」内の部屋の割当ては、以下の通り。


<「迷路館」の西側>

* Polycaste:角松フミヱ(Fumie Kadomatsu:63歳 - 「迷路館」の使用人)

* Cocalus:島田潔

* Theseus:清村淳一

* Aegeus:林宏也

* Talos:須崎昌輔

* Icarus:舟丘まどか


<「迷路館」の東側>

* Europa:井野満男

* Pasiphae:鮫嶋智生

* Poseidon:宇多山英幸

* Dionysus:宇多山桂子


宮垣葉太郎の遺産を相続するべく、出入口を閉ざした「迷路館」内において、推理小説の執筆を続ける清村淳一、須崎昌輔、舟丘まどかと林宏也の推理作家4人であったが、何者かによって、彼らが書いた小説の見立て通り、次々に殺害されていくのであった。


果たして、彼ら4人を殺害した正体不明の人物は、一体、誰なのか?

「十角館の殺人」と「水車館の殺人」において探偵役を務めた島田潔が、この謎に対して挑む。


2025年1月17日金曜日

コナン・ドイル作「青いガーネット」<英国 TV ドラマ版>(The Blue Carbuncle by Conan Doyle )- その3

英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年1月号に掲載された挿絵(その6) -

ヘンリー・ベイカーからの話を聞いた後、ジョン・ワトスンを伴い、

アルファイン(Ailpha Inn → 2015年12月19日付ブログで紹介済)へ赴いた

シャーロック・ホームズは、そこで主人のウィンディゲート(Windigate)から、

「問題のガチョウは、コヴェントガーデンマーケット

(Covent Garden Market → 2016年1月9日付ブログで紹介済)にある

ブレッキンリッジ(Breckinridge)の店から仕入れた」ことを聞き付ける。

そこで、ホームズとワトスンの2人は、ブレッキンリッジの店へと向かった。

ブレッキンリッジが問題のガチョウを

ブリクストンロード117番地(117 Brixton Road → 2017年7月15日付ブログで紹介済)の

オークショット夫人(Mrs. Oakshott)から仕入れたことをなんとか突き止めた

ホームズとワトスンが、ブリクストンロード117番地へと向かおうとしたところ、

見知らぬ男性が2人に近付いて来た。

彼は、ホテルコスモポリタンの客室係である

ジェイムズ・ライダー(James Ryder)だった。

画面左側から、ジェイムズ・ライダー、ジョン・H・ワトスン、

そして、シャーロック・ホームズが描かれている。

挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「青いガーネット(The Blue Carbuncle → 2025年1月1日 / 1月2日 / 1月3日 / 1月4日付ブログで紹介済)」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、7番目に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1892年1月号に掲載された。


英国のグラナダテレビ(Granada Television Limited)が制作した「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1984年ー1994年)において、TV ドラマとして映像化され、第1シリーズ(The Adventures of Sherlock Holmes)の第7エピソード(通算では第7話)として、英国では、1984年6月5日に放映された「青いガーネット」の場合、コナン・ドイル作「青いガーネット」とは異なり、視聴者に話の筋が理解しやすいように、物語が時系列的に語られるのである。


(1)宝石「青いガーネット(blue carbuncle)」の持ち主となった人達を襲った呪われた歴史(殺人や盗難等)

(2)ホテルコスモポリタン(Hotel Cosmopolitan)に滞在しているモーカー伯爵夫人(Countess of Morcar)の部屋から宝石「青いガーネット」が盗まれ、部屋の暖炉の修理に来ていたジョン・ホーナー(John Honer)が逮捕される経緯

(3)早朝、退役軍人(commissionaire)のピータースン(Peterson)がベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のホームズの元を訪れ、 帽子とガチョウを拾った出来事を語る経緯

(4)ホームズが、ピータースンにガチョウを持って帰らせ、帽子は自分の手元に残す経緯


等の物語が時系列的に語られる。


そして、ジョン・H・ワトスンが、クリスマスプレゼントを抱えて、買い物からベイカーストリート221B へと戻って来る。クリスマスプレゼントの上に載せた新聞を読みながら、ワトスンは、ホームズに対して、


(1)ホテルコスモポリタンの部屋から宝石「青いガーネット」を盗まれたモーカー伯爵夫人は、宝石を取り戻した人1千ポンドの報奨金を支払うこと

(2)スコットランドヤードのブラッドストリート警部(Inspector Bradstreet - 原作には登場しない)は、宝石「青いガーネット」を盗んだ犯人として、修理工のジョン・ホーナーを逮捕したが、彼は無実を主張していること


等を告げる。


コナン・ドイルの原作の場合、ピータースンが、割いたガチョウの腹から出てきた宝石「青いガーネット」をホームズの元へ届け出た後に、宝石「青いガーネット」盗難の経緯が語られるので、グラナダテレビ版とは異なっている。


実際、丁度そこに、ピータースンが、割いたガチョウの腹から出てきた宝石「青いガーネット」を持って、ホームズの元へ慌ててやって来る。

そこで、ホームズは、帽子とガチョウの落とし主を探すために、新聞広告を書き始め、それをピータースンに渡す。

新聞広告の文面は、以下の通り。

‘Found at the corner of Goodge Street, a goose and a black belt hat. Mr Henry Baker can have the same by applying at 6:30 at 221B Baker Street.’

上記の文面は、コナン・ドイルの原作とほぼ同じ。

ただし、ホームズがピータースンに対して、広告を依頼した新聞が、原作とグラナダテレビ版の間で、順番を含めて、やや異なっている。


<原作> 

The Globe, Star, Pall Mall, St. James’s Gazette, Evening News, Standard, Echo and any others that occur to you.

<グラナダテレビ版> 

The Globe, Star, Pall Mall, Echo, Evening News, Standard and others.


なお、コナン・ドイルの原作の場合、ピータースンが帽子とガチョウを拾った場所として、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road → 2015年8月15日付ブログで紹介済)とグッジストリート(Goodge Street → 2014年12月27日付ブログで紹介済)の角であることを、彼はホームズに対してキチンと説明しているが、グラナダテレビ版の場合、ピータースンはホームズに対して何も言及していない。それにもかかわらず、詩文広告上、帽子とガチョウを拾った場所として、「グッジストリートの角」と述べているのは、残念ながら、整合性がとれていないと言える。


更に、ホームズは、ピータースンに対して、ヘンリー・ベイカー(Henry Baker / 宝石「青いガーネット」を飲み込んだガチョウを路上に落として行った人物)に渡すガチョウを買って来るように依頼するが、これは、原作通り。グラナダテレビ版の場合、ホームズに頼まれたワトスンがピータースンに必要なお金を渡すシーンがあるが、これはオリジナルで、原作上、このような記述はない。


グラナダテレビ版では、この後、ブラッドストリート警部が、留置場に居るジョン・ホーナーを厳しく尋問する場面が続く。


場面は、ベイカーストリート221B へと戻り、ヘンリー・ベイカーの到着を待ちながら、ワトスンが、ホームズに対して、


*宝石「青いガーネット」は、中国南部(southern China)のアモイ川(Amoy River)流域で発見されたこと

*宝石「青いガーネット」には、様々な血塗られた歴史があること

*宝石「青いガーネット」は、発見されてから、まだ20年経っていないこと


等と告げ、ホームズがそれに答えている。


コナン・ドイルの原作の場合、ワトスンがホームズに告げた内容について、逆に、ホームズ自身がワトスンに語っている。

また、原作の場合、ホームズがワトスンにそれらを語ったのは、ピータースンがベイカーストリート221B を去った後、宝石「青いガーネット」を明かりに翳しながらである。


ホームズとワトスンが話を続けていると、期待通り、午後6時半、帽子とガチョウの持ち主であるヘンリー・ベイカーが、ベイカーストリート221B のホームズの元を訪れて来る。


2025年1月16日木曜日

初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton)- その3

ホーランドパークロード(Holland Park Road)の反対側から
レイトンハウス博物館の正面を見上げたところ


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1935年に発表したミス・ジェイン・マープルシリーズ作品の短編「ミス・マープルの思い出話 / ミス・マープルは語る(Miss Marple Tells a Story → 英国の雑誌に掲載された際の原題は、「Behind Closed Doors」)で、ミス・マープルが、甥のレイモンド・ウェスト(Raymond West)と彼の妻であるジョアン・ウェスト(Joan West)に、尊敬する人物として挙げていた「Mr Frederic Leighton」は、ヴィクトリア朝時代の英国を代表する画家 / 彫刻家である初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton:1830年ー1896年)のことである。


フレデリック・レイトンは、1855年から1859年にかけて定住したパリを離れ、1860年にロンドンへ転居。

そして、彼は、ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood - 19世紀中頃、ヴィクトリア朝に活動した美術家 / 批評家から成るグループ)との交流を始める。


中央に見えるガウアーストリート7番地(7 Gower Street)の建物が、
1848年9月、ジョン・エヴァレット・ミレー(John Everett Millais:1829年ー1896年
→ 2018年3月25日 / 4月1日 / 4月14日 / 4月21日付ブログで紹介済)が、
ウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt:1827年ー1910年
→ 2018年5月20日 / 5月26日付ブログで紹介済)や
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti:1828年ー1882年
→ 2018年3月4日 / 3月11日付ブログで紹介済)達と一緒に、
「ラファエル前派」と呼ばれる芸術グループを結成した場所である。


ガウアーストリート7番地の建物外壁には、
「1848年に、ここでラファエル前派が結成された」ことを示す
プループラーク(English Heritage が管理)が架けられている。


フレデリック・レイトンは、1861年に、英国の詩人であるロバート・ブラウニング(Robert Browning:1812年ー1889年)から依頼を受けて、イタリア / フィレンシェ(Florence)にある英国人墓地(English Cemetery)にあるエリザベス・バレット・ブラウニング(Elizabeth Barrett Browning:1806年ー1861年 / 英国の詩人で、ロバート・ブラウニングの妻)の墓碑をデザインした。


フレデリック・レイトンは、1864年に、王立芸術院(Royal Academy of Arts)の会員(associate)になり、1878年から1896年まで、会長(President)に就任。


1769年に開校した王立芸術院の250周年を記念して、
英国のロイヤルメールが2019年に発行した記念切手の1枚


1878年に、ウィンザー城(Windsor Castle → 2017年10月15日 / 10月22日付ブログで紹介済)最下級勲爵士位(ナイト / knight)の称号を授けられ、1886年には、準男爵(baronet)となる。


2017年2月15日に英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行されたウィンザー城の記念切手 -
ラウンドタワー(Round Tower)に王室旗が掲げられている場合は、
国王 / 女王がウィンザー城に滞城していることを、
また、ラウンドタワーに英国旗が掲げられている場合は、
国王 / 女王がウィンザー城を不在にしていることを示す。


1896年の新年の受勲において、フレデリック・レイトンは、画家として、最初の貴族に叙せられる。

そして、1896年1月24日には、「ストレットンのレイトン男爵(Baron Leighton of Stretton)」の爵位を授けられたが、翌日の1月25日に、狭心症の発作のため、ロンドンのケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)において急死。65歳だった。

彼は生涯を通して独身だったので、僅か1日でレイトン男爵家は断絶。これは、貴族であった最短期間記録となる。


レイトンハウス博物館の入口右側にある掲示板


ロンドンのホーランドパーク地区(Holland Park)内にあったフレデリック・レイトンの邸宅は、レイトンハウス美術館(Leighton House Museum → 2016年3月6日付ブログで紹介済)となり、彼の絵画や彫刻が数多く収蔵されている。


2025年1月15日水曜日

コナン・ドイル作「青いガーネット」<英国 TV ドラマ版>(The Blue Carbuncle by Conan Doyle )- その2

ジェレミー・ブレットがシャーロック・ホームズとして主演した
英国のグラナダテレビ制作「シャーロック・ホームズの冒険」の
DVD コンプリートボックス1巻目の内表紙

サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「青いガーネット(The Blue Carbuncle → 2025年1月1日 / 1月2日 / 1月3日 / 1月4日付ブログで紹介済)」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、7番目に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1892年1月号に掲載された。


コナン・ドイル作「青いガーネット」は、以下のようにして始まる。


ある年のクリスマスから2日目の朝(on the second morning after Christmas)である12月27日、ジョン・H・ワトスンがベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)を訪問すると、紫色の化粧着を着たシャーロック・ホームズは、ソファーの上で寛いでいたところだった。

ソファーの隣りに置かれた木製椅子の背もたれの角には、薄れてボロボロになった固いフェルト製帽子が掛けられていて、ホームズは拡大鏡とピンセットでこの帽子を調べていたようであった。ワトスンの問いに、ホームズは「この帽子は、退役軍人(commissionaire)のピータースン(Peterson)が置いていったものだ。」と答える。

そして、ホームズは、ワトスンに対して、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road → 2015年8月15日付ブログで紹介済)とグッジストリート(Goodge Street → 2014年12月27日付ブログで紹介済)の角において、ピータースンがボロボロになった帽子と丸々と太った白いガチョウを手に入れることになった経緯を語り始めた。


英国のグラナダテレビ(Granada Television Limited)が制作した「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1984年ー1994年)において、TV ドラマとして映像化され、第1シリーズ(The Adventures of Sherlock Holmes)の第7エピソード(通算では第7話)として、英国では、1984年6月5日に放映された「青いガーネット」は、コナン・ドイル作「青いガーネット」とは全く異なる始まり方をする。

視聴者に話の筋が理解しやすいように、以下の通り、物語が時系列的に語られるのである。


(1)

宝石「青いガーネット(blue carbuncle)」の持ち主となった人達を襲った呪われた歴史(殺人や盗難等)が、まず最初に述べられる。

(2)

モーカー伯爵夫人(Countess of Morcar)が、買い物からホテルコスモポリタン(Hotel Cosmopolitan)へと戻って来る。

ホテルコスモポリタンの客室係であるジェイムズ・ライダー(James Ryder)とモーカー伯爵夫人のメイドであるキャサリン・キューサック(Catherine Cusack)の2人は、伯爵夫人の不在をいいことに、熱愛中。

一方、修理工であるジョン・ホーナー(John Honer)は、暖炉の修理中。

フロントからの電話で、伯爵夫人が戻ったことを聞いたジェイムズ・ライダーとキャサリン・キューサックは、慌てふためくが、暖炉の修理が終わったジョン・ホーナーは帰って行く。

部屋に戻った伯爵夫人の言い付けにより、キャサリン・キューサックは、入浴の準備に向かう。

伯爵夫人の叫び声を聞いて、キャサリン・キューサックとジェイムズ・ライダーが伯爵夫人の元に駆け付けると、伯爵夫人がテーブルの上に置いた宝石箱から、宝石「青いガーネット」が消え失せていた。

(3)

ジョン・ホーナーが、妻のジェニー・ホーナー(Jennie Horner - コナン・ドイルの原作には登場しない)と一緒に、ある店の窓に並ぶ商品を眺めているところに、スコットランドヤードのブラッドストリート警部(Inspector Bradstreet - コナン・ドイルの原作には登場しない)が警官を連れて現れ、宝石「青いガーネット」の盗難犯として、ジョン・ホーナーを逮捕する。

(4)

早朝、ピータースンが、ベイカーストリート221B へとやって来る。

就寝中だったホームズは、ハドスン夫人(Mrs. Hudson)に起こされ、非常に不機嫌。

ホームズは、ピータースンから、帽子とガチョウを見せられ、これらを拾った経緯について、話を聞かされた。

コナン・ドイルの原作上、明記はされていないものの、ピータースンは、拾った帽子とガチョウを持って、現場からホームズの元へ直接訪れたように思われるが、グラナダテレビ版の場合、ピータースンは、「妻と相談の上、持って来ました。」と、ホームズに話しているので、一旦、帰宅していることが判る。

なお、この際、ピータースンが帽子とガチョウを拾った場所が、「トッテナムコートロードとグッジストリートの角」であることを、彼はホームズに対して言及していない。

ピータースンから話を聞いたホームズは、帽子だけを自分の手元に置き、ガチョウについては、ピータースンに持ち帰らせた。

(5)

ホテルコスモポリタンにおいて、スコットランドヤードのブラッドストリート警部は、モーカー伯爵夫人から、捜査の状況に関して、厳しく詰問される。

(6)

ジョン・H・ワトスンが、クリスマスプレゼントを抱えて、買い物からベイカーストリート221B へと戻って来る。

コナン・ドイルの原作の場合、ワトスンは結婚して、ベイカーストリート221B から出ているが、グラナダテレビ版の場合、ベイカーストリート221B にホームズと同居している設定になっている。


ここまでの前振りを終えて、グラナダテレビ版は、コナン・ドイルの原作の冒頭に繋がるのである。