2024年12月31日火曜日

ティム・コリンズ作「シャーロック・ボーンズと王室の宝石盗難事件」(Sherlock Bones and the Case of the Crown Jewels)- その1

英国の Michael O’Mara Books Limited から、
Buster Books シリーズの1冊として、2022年に出版された
シャーロック・ボーンズシリーズの第1作目である
「シャーロック・ボーンズと王室の宝石盗難事件」の表紙
(Cover design by John Bigwood)


「シャーロック・ボーンズと王室の宝石盗難事件」(Sherlock Bones and the Case of the Crown Jewels)」は、ティム・コリンズ(Tim Collins)が執筆を、そして、ジョン・ビッグウッド(John Bigwood)が挿絵を担当した児童文学(ミステリー)で、英国の Michael O’Mara Books Limited から、Buster Books シリーズの1冊として、2022年に出版されている。


既に紹介済の「シャーロック・ボーンズとファラオの仮面の呪い(Sherlock Bones and the Curse of The Pharaoh’s Mask → 2023年3月20日 / 4月25日付ブログで紹介済)」は、シャーロック・ボーンズシリーズの第2作目で、「シャーロック・ボーンズと王室の宝石盗難事件」が、シリーズ第1作目である。


英国の Michael O’Mara Books Limited から、
Buster Books シリーズの1冊として、2022年に出版された
シャーロック・ボーンズシリーズの第1作目である
「シャーロック・ボーンズと王室の宝石盗難事件」の裏表紙
Cover design by John Bigwood

シャーロック・ボーンズシリーズの場合、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)が創り出したシャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンが、動物を擬人化したキャラクターに変えられている。

まず最初に、シャーロック・ホームズは、「雄(オス)犬」を擬人化した「シャーロック・ボーンズ(Sherlock Bones)」に、そして、ジョン・H・ワトスンは、「雌(メス)猫」を擬人化した「ジェーン・キャットスン(Jane Catson)」の2人と言うか、2匹が主人公である。

なお、原作のホームズは、パイプを愛用しているが、シャーロック・ボーンズは、事件の謎解きに集中すると、ゴムの骨を口に咥えるのである。一方、ジェーン・キャットスンは、原作のワトスンと同じように、医師であるが、ゴシップ好きで、「Meow!」と言うゴシップ誌を愛読している。


英国の Michael O’Mara Books Limited から、
Buster Books シリーズの1冊として、2022年に出版された
シャーロック・ボーンズシリーズの第1作目である
「シャーロック・ボーンズと王室の宝石盗難事件」の登場人物の紹介ページ
Illustrated by John Bigwood

シャーロック・ボーンズシリーズは、現時点で、5作品が発表されている。


(1)「シャーロック・ボーンズと王室の宝石盗難事件」(2022年)

(2)「シャーロック・ボーンズとファラオの仮面の呪い」(2022年)

(3)「シャーロック・ボーンズと消えた奇術師の謎(Sherlock Bones and the Mystery of the Vanishing Magician)」(2023年)

(4)「シャーロック・ボーンズと呪われた城の恐怖(Sherlock Bones and the Horror of the Haunted Castle)」(2023年)

(5)「シャーロック・ボーンズとマンハッタンの危害(Sherlock Bones and the Mischief in Manhattan)」(2024年)


次回以降、「シャーロック・ボーンズと王室の宝石盗難事件」の内容について、述べていきたい。


2024年12月30日月曜日

ケンブリッジ大学創立800周年記念 / ロザリンド・フランクリン(800th Anniversary of the University of Cambridge / Rosalind Franklin)

ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた
英国の物理学者 / 結晶学者である
ロザリンド・エルシー・フランクリン(一番左側の人物)の絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>


2009年にケンブリッジ大学(University of Cambridge)が創立800周年を迎えたことを記念して、英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイク(Quentin Blake:1932年ー)が、ケンブリッジ大学に関係する人物を描いて、寄贈した。


ケンブリッジ大学の創立800周年を記念して、クェンティン・ブレイクが描いた人物達について、(1)アイザック・ニュートン(Issac Newton:1642年―1727年 → 2024年5月26日 / 5月30日付ブログで紹介済)、(2)チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin:1809年ー1882年 → 2024年6月9日 / 6月13日付ブログで紹介済)、(3)ヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)、(4)ジョン・ディー(John Dee:1527年ー1608年、または、1609年 → 2024年7月30日付ブログで紹介済)、(5)オリヴァー・クロムウェル(Oliver Cromwell:1599年ー1658年 → 2024年8月4日付ブログで紹介済)、(6)ジョン・ミルトン(John Milton:1608年ー1674年 → 2024年8月17日付ブログで紹介済)、(7)ウィリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce:1759年ー1833年 → 2024年8月21日付ブログで紹介済)、(8)第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年 → 2021年5月9日+2024年8月24日 / 8月30日付ブログで紹介済)、(9)ヘンリー・ド・ウィントン + ジョン・チャールズ・シリング(Henry de Winton + John Charles Thring → 2024年9月16日付ブログで紹介済)、(10)ジェイムズ・クラーク・マクスウェル(James Clark Maxwell → 2024年11月30日 / 12月3日付ブログで紹介済)、(11)フランク・ウィットル(Frank Whittle → 2024年12月7日付ブログで紹介済)や(12)ドロシー・ガロッド(Dorothy Garrod → 2024年12月12日付ブログで紹介済)に続き、順番に紹介していきたい。


13番目に紹介するのは、ロザリンド・エルシー・フランクリン(Rosalind Elsie Franklin)である。


(13)ロザリンド・エルシー・フランクリン(1920年ー1958年)


ロザリンド・エルシー・フランクリンは、英国の物理学者 / 結晶学者で、石炭、グラファイトやタバコモザイクウィルスの化学構造の解明に貢献。特に、DNA の二重螺旋構造の解明で知られている。


ロザリンド・フランクリンは、1920年7月25日、ロンドンに住むユダヤ人家系の銀行家の家庭に、6人兄妹の長女として出生。

両親が裕福だったため、彼女は9歳から寄宿学校に入学して、可能な限り最高の教育を受ける。


寄宿学校卒業後、ロザリンド・フランクリンは、ケンブリッジ大学のニューナムカレッジ(Newnham College)に入学。当時、ケンブリッジ大学は、女性とユダヤ人の入学を認めてから、間もない頃だった。

彼女は、ニューナムカレッジをトップクラスの成績で卒業すると、大学院へ進む。

第二次世界大戦(1939年-1945年)中、石炭の結晶構造にかかる研究を進め、1945年(25歳)、ケンブリッジで物理化学の博士号を取得。

1947年には、パリの国立化学研究所へ留学して、黒鉛の結晶構造にかかる研究を行った。


ロザリンド・フランクリンは、1950年にロンドン大学(University of London)のキングスカレッジ(King’s College)に研究職を得ると、X線による DNA 構造の解析を研究テーマとして与えられた。

彼女は、この研究に没頭し、1953年に、DNA の螺旋構造の解明に繋がる X線回折写真の撮影に成功、これが「photo51」と呼ばれている。


ロザリンド・フランクリンは、キングスカレッジにおいて、彼女よりも前から、X線回折による DNA の構造研究を進めていたモーリス・ヒュー・フレデリック・ウィルキンス(Maurice Hugh Frederick Wilkins:1916年ー2004年 / 英国の生物物理学者)との間で、DNA の構造研究をめぐり、しばしば衝突。

モーリス・ウィルキンスは、彼女が撮影したX線回折写真を、ケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所(Cavendish Laboratory)に在籍していたフランシス・ハリー・コンプトン・クリック(Francis Harry Compton Crick:1916年ー2004年 / 英国の化学者・生物学者)とジェイムズ・デューイ・ワトスン(James Dewey Watson:1928年ー / 米国出身の分子生物学者)に見せる。これが、DNA の二重螺旋構造解明の手掛かりへと繋がるが、後に大問題の引き金となる。


ロザリンド・フランクリンが撮影したX線回折写真を元に、 DNA の二重螺旋構造を解明したフランシス・クリック、ジェイムズ・ワトスンとモーリス・ウィルキンスの3人は、1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞。

ロザリンド・フランクリン自身は、1958年4月16日に、卵巣癌と巣状肺炎により、37歳で亡くなっていたため、残念ながら、ノーベル生理学・医学賞受賞の栄誉を得ることはできなかった。一説によると、X線による DNA 構造の解析のため、大量のX線を浴びたことが、彼女の癌の原因だと言われている。


           

2024年12月29日日曜日

森見登美彦作「シャーロック・ホームズの凱旋(The Triumphant Return of Sherlock Holmes by Tomihiko Morimi)」- その4

日本の中央公論社英から2024年1月に刊行されている
森見登美彦作「シャーロック・ホームズの凱旋」(ハードカバー版)の
本体の表紙

(装画:森 優 / 装幀:岡本歌織 <next door design>


日本の小説家である森見登美彦(Tomihiko Morimi:1979年ー)2014年1月に中央公論社から出版した「シャーロック・ホームズの凱旋(The Triumphant Return of Sherlock Holmes)」の物語は、ヴィクトリア女王が統治するヴィクトリア朝の京都市が舞台となる。


<第3章 レイチェル・マスグレーヴの失踪>


シャーロック・ホームズ譚の連載が無期限休止に追い込まれた「ストランド・マガジン」に、新連載が巻頭に掲載された。それは、「アイリーン・アドラーの事件簿」で、驚くことに、著者は、ジョン・H・ワトソンの妻メアリ・モースタンだった。


一方、ホームズが深刻なスランプへと陥った本当の原因は、12年前に遡ることが判る。それは、「マスグレーヴ家」と言う長い歴史を持つ洛西の旧家に起こった事件だった。

先代のロバート・マスグレーヴは、実業家としても、政治家としても、非常に有能であり、旧来の荘園経営に加えて、鉄鋼業や化学工業にも手を伸ばして、大成功を納めていた。彼は、ホールドハースト卿の次女であるエリザベスと結婚したが、彼女は病気がちで気難しい性格の上、夫のロバート自身が家庭を顧みない人物だったため、夫婦仲は良くなかった。

問題の事件が発生した際、マスグレーヴ夫人は既に亡くなっており、長男のレジナルドが20歳、長女のレイチェルが14歳の時だった。


レイチェルは、身体があまり丈夫ではなかったが、知的好奇心は旺盛で、マスグレーヴ家の領主館「ハールストン館」の蔵書については、誰よりも詳しく、母親と同じく、ピアノの達人で、天体観測や科学実験にも興味を示した。彼女は、学校で学ぶ機会はなかったため、半年に一度、鹿ケ谷寄宿学校の生徒達をお茶会に招待してするが、慣例だった。


事件が起きたのは、12年前の初冬で、マスグレーヴ家は代々理事を務める鹿ケ谷寄宿学校から、生徒が数名、マスグレーヴ家のお茶会へと招待された。

レイチェルは、普段通り、女生徒達をもてなして、特に変わった様子はなかったが、夕刻になって、招待された女生徒達が迎えの馬車に乗るために玄関広場に集合しても、彼女は姿を見せなかった。


父のロバートは、商談先から帰宅して、娘レイチェルの失踪を知る。長男のレジナルドは、海外旅行中で、不在だった。

執事のブラントンは、女生徒達をひとまず馬車で帰宅させた後、使用人達に命じて、ハールストン館を徹底的に探したが、レイチェルを発見することはできなかった。


レイチェルの姿は、それ以降、今に到るまでの間、誰も見ていないのである。


<第4章 メアリ・モースタンの決意>


ハールストン館では、1日の間に、リッチボロウ夫人の降霊会、<東の東の間>に突然出現した階段、辺りを白昼のように照らし出す巨大な月、月ロケット発射基地の草原、リッチボロウ夫人の逮捕、そして、レイチェル・マスグレーヴの帰還と、非常に奇妙な事柄が次々と起きた。そして、ジェイムズ・モリアーティ教授は、レイチェル・マスグレーヴの帰還のために、その身を挺したようで、その日以降、彼は姿を消して、寺町通221B へは戻らなかったのである。


姿を消したモリアーティ教授の部屋には、京都によく似て入るものの、京都ではない架空である「模型の街」が残されており、それには、「ロンドン」と名付けられていた。

それにヒントを得たジョン・H・ワトスンは、架空の街であるロンドンを舞台にしたロンドン版「シャーロック・ホームズ」の物語を執筆し始め、「赤毛連盟」の他に、2作を完成させた。


<第5章 シャーロック・ホームズの凱旋>


ロンドンのブルームズベリーの屋根裏下宿部屋において、ジョン・H・ワトスンは、「シャーロック・ホームズの凱旋」を第4章まで執筆したが、そこで行き詰まってしまい、既に1週間が経過していた。


ワトソンは、半年前の晩秋に、妻のメアリを亡くしていた。

ホームズの「伝記作者」として、彼がベーカー街221B へ足繁く通っていた時期は、妻メアリの胸に巣くった病魔が、密かに勢いを増していく時期と一致していたのである。ハーリー街の専門医が診断を下した段階では、既に手遅れだった。


メアリの葬儀が終わり、僅かな参会者達が帰路に着いた後、ホームズとワトソンは、墓地を歩きながら、言葉を交わした。

「今直ぐにと言う訳ではないが、ベーカー街へ戻って来ないか?」と尋ねるホームズであったが、メアリの死去に伴い、それまでワトソンを魅了していた全てのものが、すなわち、推理も、冒険も、探偵小説も、そして、シャーロック・ホームズも、憎むべき対象へと変貌していたため、ワトスンは、ホームズに対して、絶交を宣言した。

それ以降、ワトスンは、ホームズと会っていなかった。


そんな最中、ホームズが、突然、ワトソンの元を訪れる。「悪の組織であるモリアーティ教授とその手下達を一網打尽にするために、君に協力してほしい。」と、ホームズは告げるのだった。


          

2024年12月28日土曜日

森見登美彦作「シャーロック・ホームズの凱旋(The Triumphant Return of Sherlock Holmes by Tomihiko Morimi)」- その3

日本の中央公論社英から2024年1月に刊行されている
森見登美彦作「シャーロック・ホームズの凱旋」(ハードカバー版)の内表紙
(装画:森 優 / 装幀:岡本歌織 <next door design>)-
画面中央には、パイプを咥えたシャーロック・ホームズ(左側)と
両腕を組んだジョン・H・ワトソン(右側)が立っている。
また、上下左右の円の中には、
ジェイムズ・モリアーティ教授、アイリーン・アドラー、
メアリ・モースタンとハドソン夫人が描かれている。

日本の小説家である森見登美彦(Tomihiko Morimi:1979年ー)2014年1月に中央公論社から出版した「シャーロック・ホームズの凱旋(The Triumphant Return of Sherlock Holmes)」の物語は、ヴィクトリア女王が統治するヴィクトリア朝の京都市が舞台となる。

<プロローグ>


ハドソン夫人が経営する京都市寺町通221B に住むシャーロック・ホームズは、洛中洛外にその名を轟かせた名探偵だったが、現在、深刻なスランプに陥っていた。昨年の晩秋にホームズが関わった「赤毛連盟事件」が、その原因であった。

ジョン・H・ワトソンは、京都市の下鴨本通に自宅兼診療所を構える医師であることに加えて、ホームズの相棒、かつ彼が手掛けた事件の記録者を務め、冒険譚を雑誌「ストランド・マガジン」に発表して、洛中洛外の探偵小説愛好家達を熱狂させていたが、ホームズのスランプによる巻き添いを食って、現在、ホームズ譚の連載は、無期限休止を余儀無くされている上に、診療所の経営も、破綻の危機に瀕していた。


<第1章 ジェイムズ・モリアーティの彷徨>


10月下旬、下鴨本通にある自宅兼診療所において、ジョン・H・ワトソンが、妻のメアリーと紅茶を飲んでいると、メイドが郵便物を持って来た。そのうちの1通は、ホームズファンの少女からで、

ホームズ譚の連載再開を強く求めていた。

テーブルに頬杖をついて考え込む夫の姿を見て、メアリーはあまり機嫌が良くなかった。彼女は、ホームズのことを、自分達の将来設計を木っ端微塵に粉砕しかねない危険因子と見做していたのである。


その日の夜、クラブで医師会の仲間であるサーストンと玉突きをする約束だったが、ホームズの様子が気にかかったワトソンは、馬車でホームズの自宅兼事務所である寺町通221B へと向かった。


ホームズの元を訪れたワトスンであったが、ホームズのスランプは相変わらずだった。

長椅子から立ち上がり、床の上に放り出してあったヴァイオリン(ストラディバリウス)を手に取ると、ホームズはギイギイと演奏を始めた。御世辞にも、ホームズの腕前は良いとは言えなかった。

すると、ステッキを持った老人が、ホームズの部屋へと飛び込んで来た。


彼は、ジェイムズ・モリアーティで、百万遍の東、吉田山の麓に所在する大学の応用物理学研究所の教授を務めている。「万国博覧会」や「月ロケット計画」等の国家的なプロジェクトに名を連ね、ベストセラーとなった通俗的な自己啓発本「魂の二項定理」の著者である。

現在、ホームズが下宿する寺町通221B の上階(3階)に住んでいるのだ。そこは、ワトソンが、メアリーと結婚する前、つまり、ホームズと同居していた時に使用していた部屋だった。


モリアーティ教授が自室へ戻って暫くすると、彼の弟子であるウォルター・カートライトが教授の元を訪ねたが、ひとしきり押し問答が続いた後、彼が階段を下りてくる。

そこで、ハドソン夫人が、カートライトをホームズの部屋へと誘う。彼は、20歳そこそこの青年で、その青白い顔には、哀しげな表情が浮かんでいた。

彼によると、「モリアーティ教授は、学生時代の恩師で、昨年の春からは、応用物理学研究所の正式な研究員として、教授の下で勤務していました。ところが、昨年の秋頃から、教授は研究所に姿を見せなくなり、そして、一身上の都合を理由に、唐突に辞職してしまったんです。」とのこと。

ウォルター・カートライトとしては、ホームズに、何故にジェイムズ・モリアーティ教授が下宿屋に引き籠もっているのか、その理由を調べてほしい、と依頼するのであった。


<第2章 アイリーン・アドラーの挑戦>


11月最初の日曜日、ジョン・H・ワトソンは、ハドソン夫人と一緒に、馬車に揺られていた。目的地は、南禅寺界隈、名高い霊媒であるリッチボロウ夫人の邸宅「ポンディシェリ・ロッジ」だった。

ホームズの深刻なスランプに回復の兆しは全くなく、更に、ジェイムズ・モリアーティ教授と京都警視庁(スコットランドヤード)のエースだったにもかかわらず、長期的な不調に陥ったレストレード警部までが、ホームズの元に入り浸り、寺町通221B において、「負け犬同盟」の集会を開いているのだ。

ワトソンとハドソン夫人から、ホームズのスランプの原因を尋ねられたリッチボロウ夫人は、水晶玉を手にかざすと、その奥に、俯き加減のため、顔はよく見えないが、ほっそりとして、どこか淋しげな少女の姿が浮かび上がった。

リッチボロウ夫人は、「この人物が、ホームズさんのスランプの原因と思われます。」と告げる。


一方、ハドソン夫人は、リッチボロウ夫人の助言を受けて、寺町通221B の向かいをもう一軒、手に入れていた。既に改装工事も終わり、素敵な下宿人も見つけていた。

彼女は、アイリーン・アドラーと言う京都市の南座の大劇場に出演していた舞台女優で、昨年の秋に電撃的に引退した後、今回、ホームズが下宿する寺町通221B の向かいの建物において、探偵事務所を開業する。

そして、彼女は、ホームズに対して、挑戦状を叩き付けた。

デイリー・クロニクル紙に特別欄を設けて、二人が解決した事件の件数を掲載し、今年の大晦日までに、より多くの事件を解決した方が、「名探偵」の称号を得る、と言う訳なのだ。


           

2024年12月27日金曜日

森見登美彦作「シャーロック・ホームズの凱旋(The Triumphant Return of Sherlock Holmes by Tomihiko Morimi)」- その2

日本の中央公論社英から2024年1月に刊行されている
森見登美彦作「シャーロック・ホームズの凱旋」(ハードカバー版)の裏表紙
(装画:森 優 / 装幀:岡本歌織 <next door design>)

日本の小説家である森見登美彦(Tomihiko Morimi:1979年ー)2014年1月に中央公論社から出版した「シャーロック・ホームズの凱旋(The Triumphant Return of Sherlock Holmes)」の物語は、ヴィクトリア女王が統治するヴィクトリア朝の京都市が舞台となる。


ハドソン夫人が経営する京都市寺町通221B に住むシャーロック・ホームズは、洛中洛外にその名を轟かせた名探偵だったが、現在、深刻なスランプに陥っていた。

その原因は、ホームズが関わった「赤毛連盟事件」であった。


昨年の晩秋、四条柳馬場通で小さな質屋を経営しているジェイベズ・ウィルソンが、寺町通221B のホームズの元を訪れたことが、きっかけだった。彼は、非常に鮮やかな赤毛の人物であった。


ジェイベズ・ウィルソンによると、ひょんなことから「赤毛連盟」の一員となった。

「赤毛連盟」は、ある大富豪の遺言に基づいて、赤毛の人達とその子孫の繁栄のために設立された組織で、ジェイベズ・ウィルソンは、加入以降、かたちばかりの気楽な仕事、つまり、平凡社の「世界大百科辞典」を書き写すことにより、高額な報酬を得ることができた。

「赤毛連盟」の仕事自体は、とても奇妙なアルバイトであったが、ジェイベズ・ウィルソンは、非常に割りが良い報酬に満足して、日々を送ってきた。

ところが、その日の朝、ジェイベズ・ウィルソンが、いつものように「赤毛連盟」の事務所へと赴いたところ、事務所のドアに、「赤毛連盟は解散せり」と言う張り紙が貼られていた。

まるで狐につままれたようで、事情がよく判らないジェイベズ・ウィルソンは、ホームズに対して、「どう言う事情なのか、よく調べてほしい。」と依頼するのであった。


ここまでの経緯は、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)による原作「赤毛組合(The Red-Headed League → 2022年9月25日 / 10月9日 / 10月11日 / 10月16日付ブログで紹介済)」と一緒である。


ホームズは、相棒で事件の記録者でもあるジョン・H・ワトソンを伴い、四条柳馬場通に面したジェイベズ・ウィルソンの質屋へ出向いたところ、その裏手が四条通に面した大銀行の蔵と、塀を挟んで隣り合わせになっていることを発見した。その上、その大銀行の地下金庫へは、大量のナポレオン金貨が運び込まれたばかりだった。


コナン・ドイルの原作と同様に、ホームズは、出不精であるジェイベズ・ウィルソンを、毎日一定時間、質屋から外出させ、彼の不在中、「赤毛連盟」が、ナポレオン金貨強奪のための地下トンネルを、質屋から大銀行の地下金庫まで掘削したものと推理した。

ホームズは、早速、京都警視庁(スコットランドヤード)のレストレード警部経由、大銀行の頭取を説得して、大勢の警察官達を大銀行の地下金庫に待機させた。


ホームズ、ワトソン、レストレード警部や警察官達は、ナポレオン金貨強奪のために地下トンネルから這い出してくる犯人達を現行犯逮捕するべく、一晩中、底冷えする地下金庫において、ひたすら待ち続けたが、ホームズが期待する犯人達は、結局、姿を見せなかったのである。


後になって、「赤毛連盟は解散せり」と言う張り紙は、ある人物による悪戯であることが判明した。

その人物は、前回の「赤毛連盟」の欠員補充の際、ジェイベズ・ウィルソンに席を奪われたことを恨んでおり、そのための悪戯だった。

「赤毛連盟」と言う組織は、実際に存在していたのである。また、大銀行の地下金庫から、ナポレオン金貨を強奪する計画は全くなく、当然のことながら、ジェイベズ・ウィルソンの質屋から大銀行の地下金庫までの地下トンネルも存在していなかった。


大山鳴動して鼠一匹出なかったと言う大失態を仕出かしたホームズのことを、烏丸御池に本社を有するデイリー・クロニクル紙がすっぱ抜いた。

更に、ホームズがデイリー・クロニクル本社に乗り込んで、抗議を行ったが、火に油を注ぐだけだった。


その結果、デイリー・クロニクル紙による記事の反響は非常に大きく、ホームズの悪評は洛中洛外に響き渡り、ホームズは、深刻なスランプに陥ったのである。

ホームズの相棒を務め、彼の冒険譚を雑誌「ストランド・マガジン」に発表して、洛中洛外の探偵小説愛好家達を熱狂させていたワトソンも、ホームズのスランプによる巻き添いを食い、ホームズ譚の連載は、無期限休止を余儀無くされた。その上、彼が京都市の下鴨本通に構える診療所の経営も、破綻の危機に瀕していた。


           

2024年12月26日木曜日

森見登美彦作「シャーロック・ホームズの凱旋(The Triumphant Return of Sherlock Holmes by Tomihiko Morimi)」- その1

日本の中央公論社英から2024年1月に刊行されている
森見登美彦作「シャーロック・ホームズの凱旋」(ハードカバー版)の表紙
(装画:森 優 / 装幀:岡本歌織 <next door design>)


今回は、日本の小説家である森見登美彦(Tomihiko Morimi:1979年ー)が、2014年1月に中央公論社から出版した「シャーロック・ホームズの凱旋(The Triumphant Return of Sherlock Holmes)」について、紹介したい。


本作品の場合、「小説 BOC」の3号~6号、8号および10号(2016年10月ー2018年7月)に連載された「シャーロック・ホームズの凱旋」が、単行本化に際して、全面改稿されている。

なお、本作品は、作者の着想後7年がかりで、スランプでもがく自分をモデルにして、深刻なスランプに陥ったシャーロック・ホームズを小説化している、とのこと。


森見登美彦が描く「シャーロック・ホームズの凱旋」の舞台は、ヴィクトリア朝時代の英国ロンドンから現代の京都府京都市へと移されている。また、シャーロック・ホームズが住む下宿も、ロンドンのベイカーストリート221B(221B Baker Street)から京都市の寺町通221B へと変更となっている。

ただし、時代自体は、ヴィクトリア女王が統治するヴィクトリア朝時代のままである。


主要な登場人物は、以下の通り。


(1)シャーロック・ホームズ:洛中洛外にその名を轟かせた名探偵で、京都市の寺町通221B に住んでいる。「赤毛連盟」事件での失敗を機にして、現在、深刻なスランプ中。

(2)ジョン・H・ワトソン:シャーロック・ホームズの相棒、かつ彼が手掛けた事件の記録者であり、冒険譚を雑誌「ストランド・マガジン」に発表して、洛中洛外の探偵小説愛好家達を熱狂させている。京都市の下鴨本通に自宅兼診療所を構える医師でもある。ホームズのスランプによる巻き添いを食って、現在、ホームズ譚の連載は、無期限休止を余儀無くされている上に、診療所の経営も、破綻の危機に瀕している。

(3)ハドソン夫人:シャーロック・ホームズが住む寺町通221B の家主で、いろいろな不動産物件に投資して、うまく運用している。

(4)メアリ・モースタン:4年前にシャーロック・ホームズが解決した「四人の署名」事件をきっかけに、ジョン・H・ワトソンと結婚して、彼の妻となる。ホームズのスランプを機にして、崩壊寸前の危機に陥った自分達の新婚家庭と夫の診療所よりも、ホームズの再起を優先しようとする夫を快く思っておらず、ホームズに対して、強く反発している。

(5)ジェイムズ・モリアーティ:百万遍の東、吉田山の麓に所在する大学の応用物理学研究所の教授を務めている。「万国博覧会」や「月ロケット計画」等の国家的なプロジェクトに名を連ね、ベストセラーとなった通俗的な自己啓発本「魂の二項定理」の著者である。現在、シャーロック・ホームズが下宿する寺町通221B の上階に住んでいる。

(6)アイリーン・アドラー:京都市の南座の大劇場に出演していた舞台女優で、昨年の秋に電撃的に引退。現在、シャーロック・ホームズが下宿する寺町通221B の反対側の建物(ハドソン夫人が所有)において、探偵事務所を開業。

(7)レストレード警部:シャーロック・ホームズが名探偵としてその名を天下に轟かせていた時は、京都警視庁(スコットランドヤード)のエースだったが、ホームズが深刻なスランプになったことに伴い、彼も長期的な不調に陥る。現在、ホームズとモリアーティ教授と一緒に、寺町通221B において、「負け犬同盟」の集会を開いている。


本作品「シャーロック・ホームズの凱旋」は、以下の章立てになっている。


*プロローグ

*第1章 ジェイムズ・モリアーティの彷徨

*第2章 アイリーン・アドラーの挑戦

*第3章 レイチェル・マスグレーヴの失踪

*第4章 メアリ・モースタンの決意

*第5章 シャーロック・ホームズの凱旋

*エピローグ


次回以降、各章の内容を個別に紹介していきたい。


          

2024年12月25日水曜日

クリスマス用装飾が施されたシャーロック・ホームズ博物館(The Sherlock Holmes Museum in Christmas)


昨日(12月24日)、ベイカーストリート(Baker Street)沿いに建つクリスマス用装飾が施されたシャーロック・ホームズ博物館(The Sherlock Holmes Museum)の外観の写真を撮影してきたので、紹介したい。





           

2024年12月24日火曜日

木原敏江作「それは常世のレクイエム~夢みるゴシック~(Gothicism - dreaming by Toshie Kihara)」- その3


前回の「それは怪奇なセレナーデ(→ 2024年12月23日付ブログで紹介済)」に引き続き、日本の漫画家 / イラストレーターである木原敏江(Toshie Kihara:1948年ー)2012年に株式会社秋田書店からプリンセスコミックス(Princess Comics)として出版した漫画「それは常世のレクイエム~夢みるゴシック~(Gothicism - dreaming)」に収録されている物語について、個別に紹介したい。


二つ目は、それは常世のレクイエム」である。

それは常世のレクイエム」は、前編と後編に別れており、前編は、2012年プリンセス GOLD 8月号に、また、後編は、2012年プリンセス GOLD 10月号に掲載された。



主人公のポーリーン・レミントンは、地主階級出身の名門の末娘であるヘレン・レミントンが、親の反対を押し切り、ジャンブラーであるブライアン・フィールズと駆け落ち結婚をして生まれた一人娘で、12歳の時、事故に巻き込まれて、建物の下敷きになった。その際、彼女の両親が自分達の身体の下に彼女をかばった。両親のおかげで、彼女は無事に建物の瓦礫の中から無事に生還したが、それと引き換えに、両親を失ってしまう。その後、彼女は、孤児院へと入れられた。

ヘレン・レミントンの父で、ポーリーン・レミントンの祖父に該る当主はには、3人の子供が居たが、2人の息子は、結婚前に軍に入隊し、ナポレオン戦争で戦死。また、末娘であったヘレンも既に亡くなっていたため、レミントン家の跡取りとなる孫娘のポーリーンの行方を捜索していた。

孤児院に引き取られ、3年が経過して、14歳になっていたポーリーン・レミントンは、祖父の依頼に基づき、彼女を探していた弁護士により、孤児院で発見され、レミントン家へと戻ることになった。

レミントン家へと引き取られていくポーリーン・レミントンの姿を空からじっと見つめる謎の目があった。



そして、その4年後、フランス第一帝政の皇帝であるナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte:1769年ー1821年)が失脚して、エルバ島(Elba)へと流刑される噂が流れる19世紀初期(1814年)の英国ロンドンにおいて、物語が本格的に始まる。


英国のロマン派詩人である第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年 → 2021年5月9日および2024年8月24日 / 8月30日付ブログで紹介済)が住むロンドンの邸宅を、彼がスコットランドに保有する領地の管理人であるフィッツジェラルドが訪れる。

フィッツジェラルドは、バイロン卿(Lord Byron)に対して、「1年前に発生した猟奇殺人事件は、残念ながら、まだ未解決でして。」と報告する。

事件の被害者は、地主の若妻で、美人で評判だった。彼女の首には、咬まれたような傷があり、身体中の血が無くなっていた。一連の状況から、村の老人達は、吸血鬼の仕業だと騒いでいた。

フィッツジェラルドからの報告を聞いたバイロン卿は、吸血鬼の話を一笑に付して、「血に飢えた変質者の仕業だろう。」と答える。

フィッツジェラルドは、被害者の側に落ちていた古い銀の腕輪をバイロン卿に託すと、邸宅を辞去した。



バイロン卿と一緒に、リージェント宮殿付属庭園へ散歩に出かけたポーリーン・レミントンは、彼から突然言い寄られるが、なんとかうまくあしらって、庭園をあとにする。

バイロン卿から言い寄られて、気持ちが揺れるポーリーン・レミントンが視線を横に向けると、陽が陰って急に暗くなった樹木の下闇に、一際黒々とした人の姿があった。

その人物が、樹木の下から歩み出て来て、アルバ・グレンモアの領主であるエドレッド・リッズデイルと自己紹介すると、ポーリーン・レミントンに対して、「ずーっと君に会いたかった。」と告げる。

彼は、蝋人形のように青白い美貌に加えて、とても赤い唇をしていた。


日本の出版社である東京創元社から刊行されている
ブラム・ストーカー作「吸血鬼ドラキュラ」(創元推理文庫)の表紙
(表紙のオブジェは、松野光洋氏が造形)


本作品「それは常世のレクイエム」は、アイルランド人の小説家であるブラム・ストーカー(Bram Stoker)こと、エイブラハム・ストーカー(Abraham Stoker:1847年ー1912年)が1897年に発表したゴシック小説 / ホラー小説「吸血鬼ドラキュラ(Dracula → 2017年12月24日 / 12月27日付ブログで紹介済)」に登場する「ドラキュラ伯爵(Count Dracula)」を題材にしている。


            

2024年12月23日月曜日

木原敏江作「それは常世のレクイエム~夢みるゴシック~(Gothicism - dreaming by Toshie Kihara)」- その2


前回(→ 2024年12月16日付ブログで紹介済)に引き続き、日本の漫画家 / イラストレーターである木原敏江(Toshie Kihara:1948年ー)2012年に株式会社秋田書店からプリンセスコミックス(Princess Comics)として出版した漫画「それは常世のレクイエム~夢みるゴシック~(Gothicism - dreaming)」に収録されている物語について、個別に紹介したい。


まず一つ目は、「それは怪奇なセレナーデ」である。

「それは怪奇なセレナーデ」は、前編と後編に別れており、前編は、2012年プリンセス GOLD 2月号に、また、後編は、2012年プリンセス GOLD 3月号に掲載された。



物語は、19世紀初期の英国において、ポーリーン・レミントンが、親友のグレイス・ロイスの葬儀に立ち会う場面から始まる。


ポーリーン・レミントンは、地主階級出身の名門の末娘であるヘレン・レミントンが、親の反対を押し切り、ジャンブラーであるブライアン・フィールズと駆け落ち結婚をして生まれた一人娘で、12歳の時、事故に巻き込まれて、建物の下敷きになった。その際、彼女の両親が自分達の身体の下に彼女をかばった。両親のおかげで、彼女は無事に建物の瓦礫の中から無事に生還したが、それと引き換えに、両親を失ってしまう。その後、彼女は、孤児院へと入れられた。

ヘレン・レミントンの父で、ポーリーン・レミントンの祖父に該る当主はには、3人の子供が居たが、2人の息子は、結婚前に軍に入隊し、ナポレオン戦争で戦死。また、末娘であったヘレンも既に亡くなっていたため、レミントン家の跡取りとなる孫娘のポーリーンの行方を捜索していた。

孤児院に引き取られ、3年が経過して、14歳になっていたポーリーン・レミントンは、祖父の依頼に基づき、彼女を探していた弁護士により、孤児院で発見され、レミントン家へと戻ることになったが、祖父から「全力でレミントン家を守り立てていく務めがある。」と連日言われ続ける。


3年前の15歳の時、ポーリーン・レミントンは、某家の婚約発表パーティーに出席していた。退屈なパーティーと退屈な人達に閉口していた彼女に、成金の娘であるグレイス・ロイスが話しかけた。

パーティーを抜け出した2人は、読書好きなこともあって、それが縁となり、大の親友になるまでに、時間はかからなかった。



半年程前、ポーリーン・レミントンは、グレイス・ロイスから、「いま、とても素敵な方と恋をしているの。もうじき、正式に婚約したら、全部話すから、それまでは誰にも秘密よ!お母様達にもね。」と告白される。

ところが、先週、ポーリーン・レミントンがグレイス・ロイスの元を訪ねたところ、グレイス・ロイスの顔は真っ青で、異様な憔悴ぶりだった。更に、グレイス・ロイスは、「怪物は、この世にいるかもしれないわ。例えば、人の心を乱すロマンチックな恋人の姿をして。」と呟いた。


そして、その数日後、グレイス・ロイスは、18歳と言う若い生涯を終えた。

噂によると、彼女は、急に「気分が悪い。」と言うと、部屋をとび出して、階段を踏み外し、転落した、とのことだった。



グレイス・ロイスを埋葬する際、葬儀の出席者達から、一人の美貌の青年が進み出た。

彼は、英国のロマン派詩人である第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年 → 2021年5月9日および2024年8月24日 / 8月30日付ブログで紹介済)で、グレイス・ロイスへの献詩を申し出るのであった。


バイロン卿(Lord Byron)がグレイス・ロイスの恋人だったのではないかと疑うポーリーン・レミントンであったが、葬儀から帰宅すると、グレイス・ロイスからの手紙が届いていた。そこには、「本の中の怪物が、私の恋人だったわ。怪奇、それとも、幻想のトレミー。私は恐ろしい。ああ神様。」と言う謎の言葉が書かれていたのである。


後日、ポーリーン・レミントンが、グレイス・ロイスのお墓を訪れると、彼女の墓碑にすがって泣く線の細い綺麗な青年の姿を見かけた。

ポーリーン・レミントンに気づいた青年は、「美しいグレイス嬢と愛し合っていたのです。」と告げる。

彼は、社交界でも指折りの名門である若きトレミー・ブランドン伯爵だった。


日本の出版社である東京創元社から刊行されている
メアリー・シェリー作「フランケンシュタイン」(創元推理文庫)の表紙
(表紙のデザインは、松野光洋氏が担当)-
レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci:1452年 - 1519年)が
1485年 - 1490年頃に描いた「ウィトルウィウス的人体図(Uomo vitruviano)」が、
デザインのベースになっていると思われる。


本作品「それは怪奇なセレナーデ」は、英国のロマン派詩人で、SF の先駆者と見做される英国の小説家メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley:1797年ー1851年 → 2021年3月9日 / 3月16日付ブログで紹介済)が1818年に発表したゴシック小説「フランケンシュタイン、或いは、現代のプロメテウス(Frankenstein; or, the Modern Prometheus. → 2021年3月24日付ブログで紹介済)」に登場する「フランケンシュタインの怪物」を題材にしている。


           

2024年12月22日日曜日

ロンドン チャンドスストリート(Chandos Street)

キャヴェンディッシュスクエア方面から
チャンドスストリートを北上するところ。


英国の考古学者(archaeologist)で、特に旧石器時代(Palaeolithic Age)を専門としているドロシー・ガロッド(Dorothy Garrod:1892年ー1968年 → 2024年12月12日付ブログで紹介済)は、1939年にケンブリッジ大学(University of Cambridge)の Disney Professor of Archaeology に就く。オックスフォード大学(University of Oxford)とケンブリッジ大学において、教授職に就任した女性は、彼女が初めてで、1952年まで務めた。


ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた
旧石器時代を専門とした英国の考古学者である
ドロシー・ガロッド(右側の人物)の絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>


ドロシー・ガロッドは、1892年5月5日、内科医である父サー・アーチボルド・ガロッド(Sir Archibald Garrod:1857年ー1936年)と母ローラ・エリザベス・スミス(Laura Elizabeth Smith - 外科医である初代準男爵サー・トーマス・スミス(Sir Thomas Smith, 1st Baronet(1833年ー1909年)の娘)の下、ロンドンのチャンドスストリート(Chandos Street)に出生。



ドロシー・ガロッドが生まれたチャンドスストリートは、ロンドンの中心部であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内に所在している。


北上するチャンドスストリートの左手には、
1773年に設立された The Medical Society of London が入居する建物が見える。



チャンドスストリートの南側は、キャヴェンディッシュスクエア(Cavendish Square → 2015年4月5日付ブログで紹介済)から始まる。


チャンドスストリートの北側から
ポートランドプレイス沿いに建つランガムホテルを望む。

チャンドスストリートからポートランドプレイスを見たところ。

チャンドスストリートを北上すると、右手からポートランドプレイス(Portland Place)が、また、左手からクイーンアン ミューズ(Queen Anne Mews)が同ストリートに合流する。

チャンドスストリートとポートランドプレイスが交差する南東の角には、ランガムホテル(Langham Hotel → 2014年7月6日付ブログで紹介済)が建っている。


北上するチャンドスストリートは、
東西に延びるクイーンアン ストリートに突き当たって終わる。


更に北上したチャンドスストリートの北側は、東西に延びるクリーンアン ストリート(Queen Anne Street)に突き当たって、終わっている。