2024年9月9日月曜日

ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キング(Augusta Ada King, Countess of Lovelace)- その2

第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの一人娘で、
英国の貴族 / 数学者である
ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キング(1815年ー1852年)は、
世界初のコンピュータープログラマーとして知られる。
<ロンドンのシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)
マリルボーン地区(Marylebone)内に所在する
St. Marylebone Parish Church の庭園に設置された肖像画の一つ>


英国のロマン派詩人である第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年 → 2021年5月9日+2024年8月24日 / 8月30日付ブログで紹介済)の一人娘で、1835年に第8代キング男爵ウィリアム・キング=ノエル(William King-Noel, 8th BaronKing:1805年ー1893年)と結婚した後のラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キング(Augusta Ada King, Countess of Lovelace:1815年ー1852年)は、同年6月5日、友人かつサイエンスライター / 博物学者であるメアリー・フェアファックス・サマーヴィル(Mary Fairfax Somerville:1780年ー1872年)経由、英国の数学者 / 哲学者 / 計算機科学者であるチャールズ・バベッジ(Charles Babbage:1791年ー1871年)を紹介される。チャールズ・バベッジは、プログラム可能な計算機を世界で初めて考案した人物で、「コンピューターの父」と言われている。

席上、オーガスタ・エイダ・キングは、チャールズ・バベッジから「階差機関(機械式用途固定計算機)」の説明を受けて、非常に強い興味を示した。その後、オーガスタ・エイダ・キングは、チャールズ・バベッジとの間に指定関係を結び、彼から多くの教えを受ける。


夫の第8代キング男爵ウィリアム・キング=ノエルが1838年に初代ラブレース伯爵ウィリアム・キング=ノエル(William King-Noel, 1st earl of Lovelace)となったことに伴い、ラブレース伯爵夫人となったオーガスタ・エイダ・キングは、師であるチャールズ・バベッジがイタリアで「解析機関(蒸気機関で稼働する機械式汎用コンピューター)」について講演した際の記録を取り寄せた。

当該記録は、イタリアの数学者 / 外交官 / 政治家である初代ヴァルドラ侯爵ルイジ・フェデリコ・メナブレア(Luigi Federico Menabrea, 1st Marquess of Valdora:1809年ー1896年 - 首相在任期間:1867年ー1869年)が出版したものだったため、彼女は、1842年から1843年にかけて、イタリア語から英語への翻訳を行うとともに、師であるチャールズ・バベッジによる勧めに基づき、講演内容の2倍以上に相当する分量の訳注を付している。当該訳注に掲載されている解析機関用プログラムのコードが、世界初のコンピュータープログラムと言われており、ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キングは、「世界初のコンピュータープログラマー」と呼ばれる所以である。

チャールズ・バベッジとラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キングの知見は、長い間、評価されなかったが、約100年後の1940年代初頭に、電気や真空管を動力とする世界初の実用的なコンピューターが開発された際に、2人の業績が注目を集めることとなった。


チャールズ・バベッジの研究が中断した後、ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キングは、ギャンブルにのめり込んでしまい、多額の借金を負う羽目になる。

また、彼女は、子宮癌を患ったが、母親であるアン・イザベラ・ノエル・ミルバンク(Anne Isabella Noel Millbanke:1792年ー1860年)に痛め止めに使用する阿片を取り上げられると言う仕打ちを受ける等、彼女の晩年は不遇だった。


子宮癌に苦しんだラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キングは、1852年11月27日、36歳の若さで亡くなった。直接の死因は、担当医師が施した「瀉血人体の血液を外部へ排出させることにより、症状の改善を行う治療法の一つ)」だった。


地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)内の
ベーカールーライン(Bakerloo Line)用ホームの壁に描かれている
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの肖像画 -
彼は、アルバニア風の衣装を身に着けている。


ギリシア暫定政府の代表からの訪問を受けた第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンは、1823年、2年前に始まったギリシア独立戦争へ身を投じることを決め、1824年1月、ギリシアへと向かった。彼は、相手方の要塞等を攻撃する計画を立案していたが、現地において熱病に罹患して、1824年4月19日、「瀉血」が死因となり、まだ36歳の若さで、同地において死去している。


奇しくも、ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キングは、父親である第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンと同じ年齢で亡くなったことに加えて、父親と同じ「瀉血」と言う間違った治療法が、直接の死因となっている。


ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キング自身の希望に基づき、彼女の遺体は、父親である第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの隣に埋葬されたのである。


スイス / ジュネーヴ近郊のレマン湖畔にあるディオダディ荘での怪奇談議 -
画面左側から、
英国のロマン派詩人であるパーシー・ビッシュ・シェリー、
メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー
(当時は、まだ
メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン)、
そして、
英国のロマン派詩人である第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンだと思われる。
英国の Laurence King Publishing Group Ltd. から2022年に出ている
「フランケンシュタインの世界(The World of Frankenstein)」と言うジグソーパズルから抜粋>


なお、ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キングは、ゴシック小説「フランケンシュタイン、或いは、現代のプロメテウス(Frankenstein; or, the Modern Prometheus. → 2021年3月24日付ブログで紹介済)」(1818年)を執筆し、フランケンシュタインの怪物を創造して、SF の先駆者と見做される英国の小説家メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley:1797年ー1851年 → 2021年3月9日 / 3月16日付ブログで紹介済)の親友でもある。


         

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