2024年6月6日木曜日

ジョセフィン・テイ作「時の娘」(The Daughter of Time by Josephine Tey)- その2

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2023年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

ジョセフィン・テイ作「時の娘」の裏表紙
(Cover design by Jo Walker)


英国の推理作家であるジョセフィン・テイ(Josephine Tey:1896年ー1952年)が1951年に発表した「時の娘(The Daughter of Time)」の場合、スコットランドヤードのアラン・グラント警部(Inspector Alan Grant)が足を骨折して入院中であるところから、物語が始まる。


なお、タイトルである「時の娘」とは、「真実は、時の娘(英語:Truth is the daughter of time. / ラテン語:VERITAS FILIA TEMPORIS)」と言うフレーズの一部で、「時の娘」は「真実」とイコールである。意味としては、「真実と言うものは、現時点においては、隠されているかもしれないが、時間が経過するとともに、後々明らかになる。」と言う意味だと解釈されている。

本作品の場合、物語の冒頭に、「’Time is the daughter of Time’ Old Proverb」と引用されている。


アラン・グラント警部は、容疑者を追跡している際、誤って落とし穴に落ちて、足を骨折し、入院する羽目となったのである。

足を骨折している彼は、ベッドから動くことができず、暇を持て余していた。看護婦達が入れ代わり立ち代わり彼の様子を見にやって来るが、退屈なこと、この上なかった。


そんな時、友人で、舞台女優であるマータ・ハラード(Marta Hallard)が、本2冊とライラックの花を持って、アラン・グラント警部の見舞いに訪れた。

残念ながら、マータ・ハラードから手渡された本にも、アラン・グラント警部は、興味を持てなかった。


そこで、マータ・ハラードは、一計を案じる。

マータ・ハラードは、アラン・グラント警部に対して、「歴史上の謎を探究すれば、入院中の退屈も紛れるのではないか?」と提案した。何故ならば、アラン・グラント警部は、人間の顔から、その性格を見抜くことに、非常に長けていたからである。


その後、マータ・ハラードは、アラン・グラント警部の元へ、歴史上の人物の肖像画を数枚持参した。

その中の1枚に、アラン・グラント警部は、目を止める。

それは、英国の歴史上、「稀代の悪王」として悪名高いリチャード3世(Richard III:1452年ー1485年 在位期間:1483年ー1485年)の肖像画だった。なお、リチャード3世は、ヨーク朝(House of York)の第3代かつ最後のイングランド王である。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
リチャード3世の肖像画の葉書
(Unknown artist / Late 16th century / Oil on panel
638 mm x 470 mm) 


イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)による戯曲「リチャード3世の悲劇(The Tragedy of King Richard the Third)」において、リチャード3世は、傴僂で、醜悪な容貌をしており、狡猾、残忍かつ豪胆な詭弁家と描写されていた。

更に、リチャード3世は、策を弄して、イングランド王位を簒奪した後、2人の幼い甥であるエドワード5世(Edward V:1470年ー1483年 在位期間:1483年4月10日ー同年6月25日)と初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリー(Richard of Shrewsbury, 1st Duke of York and 1st Duke of Norfolk:1473年ー1483年)をロンドン塔(Tower of London → 2018年4月8日 / 4月15日付ブログで紹介済 )に幽閉の上、殺害したとされていた。なお、エドワード5世は、ヨーク朝の初代イングランド王であるエドワード4世(Edward VI:1442年ー1483年 在位期間:1461年-1483年 / ただし、1470年から1471年にかけて、数ヶ月間の中断あり)と王妃エリザベス・ウッドヴィル(Elizabeth Woodville:1437年頃ー1492年)の長男で、ヨーク朝の第2代イングランド王であるが、戴冠式挙行前に退位させられた。そして、初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリーは、エドワード4世と王妃エリザベス・ウッドヴィルの次男(第6子)である。


リチャード3世の肖像画を見たアラン・グラント警部としては、世間一般に言われているように、リチャード3世が「塔の王子達(Princes in the Tower)」を殺害した極悪人であるとは、どうしても思えなかった…


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