英国のロイヤルメール(Royal Mail)から2021年に発行された「薔薇戦争」の記念切手の1枚で、 「ノーサンプトンの戦い」(1460年7月10日)が描かれている。 |
1455年5月22日、ロンドン北方のセントオールバンズ(St. Albans)において、「薔薇戦争(Wars of the Roses)」の火蓋が切って落とされた。
薔薇戦争は、プランタジネット朝(House of Plantagenet)の第7代イングランド王であるエドワード3世(Edward III:1312年ー1377年 在位期間:1327年ー1377年)の血を引く家柄であるランカスター家(House of Lancaster)とヨーク家(House of York)の間の権力闘争である。ランカスター家が「赤薔薇」を、そして、ヨーク家が「白薔薇」を徽章としていたため、現在、「薔薇戦争」と呼ばれているが、この命名は、後世のことである。
プランタジネット朝の第7代イングランド王であるエドワード3世の血を引く家柄である ランカスター家とヨーク家の系図 - 英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から 2023年に刊行されている Pushkin Vertigo シリーズの一つである ジョセフィン・テイ作「時の娘」から抜粋。 |
「第1次セントオールバンズの戦い(First Battle of St. Albans → 2024年6月18日付ブログで紹介済)」が契機となり、以後30年間にわたって、ランカスター家とヨーク家の間の内戦が、イングランド各地で繰り広げられrるが、「薔薇戦争」は、以下の3つの期に分けられる。
*第一次内乱(1459年ー1468年)
*第二次内乱(1469年ー1471年)
*第三次内乱(1485年)
今回は、「第一次内乱」について、述べる。
「第1次セントオールバンズの戦い」に勝利した第3代ヨーク公リチャード・プランタジネット(Richard Plantagenet, 3rd Duke of York:1411年ー1460年)は、一旦、権力を掌握するものの、ランカスター朝の第3代イングランド王であるヘンリー6世(Henry VI:1421年ー1471年 在位期間:1422年ー1461年)の王妃マーガレット・オブ・アンジュー(Margaret of Anjou:1429年ー1482年)が率いるランカスター派が巻き返しを図り、ヨーク派は窮地に陥ったため、1459年に両派の戦いが再開。
第一次内乱時には、以下の会戦が行われている。
(1)1459年9月23日:ブロアヒースの戦い(Battle of Blore Heath)→ ヨーク派軍が勝利
(2)1459年10月12日:ラドフォードの戦い(Battle of Ludford)→ ランカスター派軍が勝利
(3)1460年7月10日:ノーサンプトンの戦い(Battle of Northampton)→ ヨーク派軍が勝利
「ノーサンプトンの戦い」に勝利した第3代ヨーク公リチャード・プランタジネットは、ヘンリー6世を捕らえて、イングランド王位を目前にする。
(4)1460年12月16日:ワークソップの戦い(Battle of Worksop)→ ランカスター派軍が勝利
(5)1460年12月30日:ウェイクフィールドの戦い(Battle of Wakefield)→ ランカスター派軍が勝利
英国のロイヤルメールから2021年に発行された「薔薇戦争」の記念切手の1枚で、 「ウェイクフィールドの戦い」(1460年12月30日)が描かれている。 |
スコットランドの援助を受けたマーガレット王妃の反撃により、「ウェイクフィールドの戦い」において、第3代ヨーク公リチャード・プランタジネットと次男のラトランド伯爵エドムンド・プランタジネット(Edmund Plantagenet, Earl of Rutland:1443年ー1460年)が戦死。
(6)1461年2月2日:モーティマーズクロスの戦い(Battle of Mortimer’s Cross)→ ヨーク派軍が勝利
(7)1461年2月17日:第二次セントオールバンズの戦い(Second Battle of St. Albans)→ ランカスター派軍が勝利
「第二次セントオールバンズの戦い」に圧勝したマーガレット王妃は、夫であるヘンリー6世の奪回に成功するが、ロンドンの占領には失敗。
その間に、第3代ヨーク公リチャード・プランタジネットの長男が、母方の従兄に該る実力者であるウォーリック伯爵リチャード・ネヴィル(Richard Neville, Earl of Warwick:1428年-1471年)と合流の上、ロンドンへと入城して、ヨーク朝の初代イングランド王であるエドワード4世(Edward VI:1442年ー1483年 在位期間:1461年-1483年 / ただし、1470年から1471年にかけて、数ヶ月間の中断あり)として即位。
(8)1461年3月28日:フェリーブリッジの戦い(Battle of Ferrybridge)→ ヨーク派軍が勝利
(9)1461年3月29日:タウトンの戦い(Battle of Towton)→ ヨーク派軍が勝利
英国のロイヤルメールから2021年に発行された「薔薇戦争」の記念切手の1枚で、 「タウトンの戦い」(1461年3月29日)が描かれている。 |
「タウトンの戦い」において、ヨーク派が大勝して、第一次内乱の勝敗は、この時点で決した。
(10)1464年4月25日:ヘッジリームーアの戦い(Battle of Hedgeley Moor)→ ヨーク派軍が勝利
(11)1464年5月15日:ヘクサムの戦い(Battle of Hexham)→ ヨーク派軍が勝利
1465年に、ヨーク派は、再度、ヘンリー6世を捕らえて、ロンドン塔(Tower of London → 2018年4月8日 / 4月15日 / 4月22日付ブログで紹介済)に幽閉。
また、イングランドとスコットランドの間の妥協が成立したため、マーガレット王妃と王太子(Prince of Wales)のエドワード・オブ・ウェストミンスター(Edward of Westminster:1453年ー1471年)は、フランスへと亡命。
ランカスター派の拠点として、唯一残っていた ウェールズのハーレフ城 - 英国の Seven Dials, Cassel & Co が2000年に出版した ポール・ジョンスン(Paul Johnson)著 「Castles of England, Scotland & Wales」(筆者所有)から抜粋。 |
ランカスター派の拠点として、唯一残っていたウェールズ(Wales)のハーレフ城(Harlech Castle)も、7年間にわたる包囲戦の末、1468年に降伏したため、「薔薇戦争」の第一次内乱は、ここに終結。
0 件のコメント:
コメントを投稿