「セブンダイアルズ(Seven Dials)」は、英国の政治家であるトマス・ニール(Thomas Neale:1641年ー1699年)によって、1690年代初めに整備された。現在、「セブンダイアルズ」は、環状交差点(roundabout)となっており、そこから7つの通りが放射線状に延びているが、トマス・ニールが整備した時点では、通りは6つしかなく、後に残りの1つの通りが追加された。
トマス・ニールは、英国の建築家 / 彫刻家であるエドワード・ピアース(Edward Pierce:1630年ー1695年)に依頼し、1693年から1694年にかけて、環状交差点の中央に、ドーリア式の支柱(Doric column)とその上に日時計を建てさせた。
セブンダイアルズ中央の環状交差点から 東西に延びるアーラムストリート |
近くのコヴェントガーデン(Covent Garden)が開発されたことに伴い、富裕層の住民が増えて、「セブンダイアルズ」も発展していくものと、トマス・ニールは期待した。ところが、環状交差点に面した全ての建物にパブが入居していたため、残念ながら、その期待とは裏腹に、「セブンダイアルズ」周辺の環境は、次第に悪くなり、19世紀に入ると、悪名高いスラム街と化した。エドワード・ピアースが設置したドーリア式の支柱と日時計は、「環境の良くない場所には不要。」との理由により、1773年には既に撤去されていた。
アガサ・クリスティー(Agatha Christie)が1929年に「七つの時計(The Seven Dials Mystery)」を発表した時点でも、「セブンダイアルズ」周辺は、貧民街のままだった。
セブンダイアルズ中央の環状交差点から 北西と南東に延びるマーサーストリート |
「セブンダイアルズ」中央の環状交差点から放射線状に延びる7つの通りは、当初、
(1)グレイトアールストリート(Great Earl Street)
(2)リトルアールストリート(Little Earl Street)
(3)グレイトホワイトライオンストリート(Great White Lion Street)
(4)リトルホワイトライオンストリート(Little White Lion Street)
(5)グレイトセントアンドリューズストリート(Great St. Andrew’s Street)
(6)リトルセントアンドリューズストリート(Little St. Andrew’s Street)
(7)クイーンストリート(Queen Street)
と言う名前だったが、1930年代に、
(1)Great Earl Street /(2)Little Earl Street → アーラムストリート(Earlham Steet)
(3)Great White Lion Street /(4)Little White Lion Street → マーサーストリートMercer Street
(5)Great St. Andrew’s Street /(6)Little St. Andrew’s Street → モンマスストリート(Monmouth Street)
(7)Queen Street → ショートズガーデンズ(Short’s Gardens)
への改名が行われた。
セブンダイアルズ中央の環状交差点から 南北に延びるモンマスストリート |
現在、「セブンダイアルズ」は、セブンダイアルズトラスト(Seven Dials Trust)により管理されており、1773年に撤去されたドーリア式の支柱と日時計の再設置プロジェクトが1985年に開始。
また、「セブンダイアルズ」中央の環状交差点から放射線状に延びる7つの通り沿いには、劇場、飲食店や小売店等が建ち並び、コヴェントガーデン内の観光名所の一つとして、多くの人で非常に賑わっている。
セブンダイアルズ中央の環状交差点から 北東に延びるショートズガーデンズ |
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