2024年6月5日水曜日

ロンドン セブンダイアルズ(Seven Dials)- その2


「セブンダイアルズ(Seven Dials)」は、英国の政治家であるトマス・ニール(Thomas Neale:1641年ー1699年)によって、1690年代初めに整備された。現在、「セブンダイアルズ」は、環状交差点(roundabout)となっており、そこから7つの通りが放射線状に延びているが、トマス・ニールが整備した時点では、通りは6つしかなく、後に残りの1つの通りが追加された。

トマス・ニールは、英国の建築家 / 彫刻家であるエドワード・ピアース(Edward Pierce:1630年ー1695年)に依頼し、1693年から1694年にかけて、環状交差点の中央に、ドーリア式の支柱(Doric column)とその上に日時計を建てさせた。


セブンダイアルズ中央の環状交差点から
東西に延びるアーラムストリート


近くのコヴェントガーデン(Covent Garden)が開発されたことに伴い、富裕層の住民が増えて、「セブンダイアルズ」も発展していくものと、トマス・ニールは期待した。ところが、環状交差点に面した全ての建物にパブが入居していたため、残念ながら、その期待とは裏腹に、「セブンダイアルズ」周辺の環境は、次第に悪くなり、19世紀に入ると、悪名高いスラム街と化した。エドワード・ピアースが設置したドーリア式の支柱と日時計は、「環境の良くない場所には不要。」との理由により、1773年には既に撤去されていた。

アガサ・クリスティー(Agatha Christie)が1929年に「七つの時計(The Seven Dials Mystery)」を発表した時点でも、「セブンダイアルズ」周辺は、貧民街のままだった。


セブンダイアルズ中央の環状交差点から
北西と南東に延びるマーサーストリート


「セブンダイアルズ」中央の環状交差点から放射線状に延びる7つの通りは、当初、


(1)グレイトアールストリート(Great Earl Street)

(2)リトルアールストリート(Little Earl Street)

(3)グレイトホワイトライオンストリート(Great White Lion Street)

(4)リトルホワイトライオンストリート(Little White Lion Street)

(5)グレイトセントアンドリューズストリート(Great St. Andrew’s Street)

(6)リトルセントアンドリューズストリート(Little St. Andrew’s Street)

(7)クイーンストリート(Queen Street)


と言う名前だったが、1930年代に、


(1)Great Earl Street /(2)Little Earl Street → アーラムストリート(Earlham Steet)

(3)Great White Lion Street /(4)Little White Lion Street → マーサーストリートMercer Street

(5)Great St. Andrew’s Street /(6)Little St. Andrew’s Street → モンマスストリート(Monmouth Street)

(7)Queen Street → ショートズガーデンズ(Short’s Gardens)


への改名が行われた。


セブンダイアルズ中央の環状交差点から
南北に延びるモンマスストリート


現在、「セブンダイアルズ」は、セブンダイアルズトラスト(Seven Dials Trust)により管理されており、1773年に撤去されたドーリア式の支柱と日時計の再設置プロジェクトが1985年に開始。


また、「セブンダイアルズ」中央の環状交差点から放射線状に延びる7つの通り沿いには、劇場、飲食店や小売店等が建ち並び、コヴェントガーデン内の観光名所の一つとして、多くの人で非常に賑わっている。


セブンダイアルズ中央の環状交差点から
北東に延びるショートズガーデンズ

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