2026年7月23日木曜日

ロンドン リッチモンド宮殿(Richmond Palace)- その3

リッチモンド宮殿の一部として残る
Trumpeter's House
<筆者撮影>


英国のファンタジー / SF / 推理作家であるフィリップ・パーサー=ハラード(Philip Purser-Hallard:1971年ー)が、Titan Publishing Group Ltd. から、「シャーロック・ホームズの更なる冒険(The further adventures of Sherlock Holmes)」シリーズとは別シリーズの「シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)」シリーズの一つとして、2019年に発表した「人間消失(The Vanishing Man → 2026年6月7日 / 6月15日 / 6月21日 / 7月3日付ブログで紹介済)」の場合、1896年9月14日(月)から9月15日(火)にかけて、トマス・ケルウェイ(Thomas Kellway)と名乗る人物が「テレキネシス(Telekinesis)」を使って、物体を移動する実験を、リッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)にあるサー・ニューナム・スペイト(Sir Newham Speight - The Society for the Scientific Investigation of Psychical Phenomena の会長(Chairman))の自宅 Parapluvium House 内に設けれらた実験室で実施した際、衆人環視の中、トマス・ケルウェイが隔離された室内から姿を消してしまうと言う非常に不可思議な事件が発生したため、サー・ニューナム・スペイトは、シャーロック・ホームズに対して、助けを求める。


英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2019年に出版された
フィリップ・パーサー=ハラード作
「シャーロック・ホームズ:人間消失」の表紙
(Images : Shutterstock)


サー・ニューナム・スペイトの自宅である Parapluvium House が所在したリッチモンドは、ロンドンの特別区の一つで、ロンドン南西部郊外のリッチモンド・アポン・テムズ区(London Borough of Richmond upon Thames)内にあり、テムズ河の中流域に位置して、テムズ河の東岸に広がる高級住宅地である。


リッチモンドの周辺地図 -
Google Maps から抜粋。


リッチモンドに嘗てあったリッチモンド宮殿(Richmond Palace)は、薔薇戦争(Wars of the Roses → 2024年6月18日 / 6月24日 / 6月28日 / 7月2日付ブログで紹介済)の第三次内乱(1485年)に該り、1485年8月22日に行われたボズワースの戦い(Battle of Bosworth)において、ヨーク朝(House of York)の第3代イングランド王であるリチャード3世(Richard III:1452年-1485年 在位期間 1483年ー1485年 → 2023年10月9日 / 2024年6月14日付ブログで紹介済)を破り、テューダー朝(House of Tudor)の初代イングランド王として即位したヘンリー7世(Henry VII:1457年ー1509年 在位期間:1485年ー1509年 → 2024年7月5日付ブログで紹介済)が、同地にあった宮殿(大半が木造建築)が1497年12月23日の火災により焼失したため、翌年の1498年から1501年にかけて建設。


ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)で販売されている
ヘンリー7世の肖像画の葉書
(Unknown Netherlandish artist / 1505年 / Oil on panel
425 mm x 305 mm) 


ヘンリー7世は、王位継承前、リッチモンド伯(Earl of Richmond)として知られていたので、それに因んで、新宮殿を「リッチモンド宮殿」と名付けられた。


セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital
→ 2014年6月14日付ブログで紹介済)の
北翼(North Wing → 2025年12月15日 / 12月19日 /
12月21日 / 12月22日付ブログで紹介済)
大広間の最奥の壁に掲げられている
ヘンリー8世の肖像画のアップ
<筆者撮影>


テューダー朝の第2代イングランド王として、ヘンリー7世の後を継いだヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)と最初の王妃であるキャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon:1487年ー1536年 / カスティーリャ女王イザベル1世とアラゴン王フェルナンド2世の娘)の間に、後にテューダー朝の第4代イングランド王メアリー1世(Mary I:1516年ー1558年 在位期間:1553年-1558年)として即位するメアリー王女が生まれたものの、世継ぎとなる嫡出の王子には恵まれなかった。

ヘンリー8世がメアリー王女と母のキャサリン王妃を別居させた後、1531年8月から、リッチモンド 宮殿は、メアリー王女の主な住まいとなる。


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
アン・ブーリンの肖像画の葉書
(Unknown artist / 1535 - 1536年頃 / Oil on panel
543 mm x 416 mm) 


ヘンリー8世は、キャサリン王妃の侍女であるメアリー・ブーリン(Mary Boleyn:1499年 / 1500年頃ー1543年)と関係を持っていた。更に、ヘンリー8世は、彼女の妹(諸説あり)であるアン・ブーリン(Anne Boleyn:1501年頃ー1536年)を求めるようになったが、アン・ブーリンは、姉(諸説あり)のメアリーとは異なり、愛人となることを拒み、正式な結婚を望んだ。


ザ・ウォードローブ(The Wardrobe)沿いに建つ住居(その1)-
左奥に見えるのが、リッチモンド宮殿の楼門「ゲイトハウス(Gatehouse)」
<筆者撮影>

ザ・ウォードローブ(The Wardrobe)沿いに建つ住居(その2)
<筆者撮影>


そこで、ヘンリー8世は、世継ぎとなる嫡出の王子を望めないキャサリン王妃を宮廷から追放すると、1533年、アン・ブーリンと結婚して、2番目の王妃として迎えた。そして、同年9月7日、アン・ブーリンは、グリニッジ宮殿(Greenwich Palace)において、後にテューダー朝の第5代かつ最後のイングランド王エリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年 → 2023年6月24日 / 7月2日付ブログで紹介済)として即位するエリザベス王女を出産した。彼女の名前は、祖母に該るエリザベス・オブ・ヨーク(Elizabeth of York)とエリザベス・ハワード(Elizabeth Howard)に因んで、名付けられた。


オールドパレスヤード(Old Palace Yard)沿いに建つ住居
<筆者撮影>


最初の王妃であったキャサリンは、以前、ヘンリー8世の兄であるアーサーと結婚していたため、宮廷から追放され、故王太子の未亡人と言う地位に格下げされ、第一継承法に基づいて、エリザベス王女がヘンリー8世の世継ぎとなり、逆に、キャサリンの娘であるメアリー王女は、庶子の身分へ格下げとなった。つまり、王位継承順位で言うと、メアリー王女は、エリザベス王女の次位に下げられ、エリザベスの侍女となった。


Hatfield House and gardens by Marcus May (1995年頃)
庭園歴史博物館(Museum of Garden History)で購入した絵葉書 -
中央に建つ建物が、17世紀初めに
初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシルが建設した主館で、
左後方に建つ建物が、
15世紀末に高位聖職者の邸宅として建設されたビショップ館、
そして、両方の館を取り巻く広大な庭園が描かれている。


メアリー王女は、1533年12月までリッチモンド宮殿に住み続けたが、生まれたばかりのエリザベス王女の侍女として、ハートフォードシャー州(Hertfordshire)のハットフィールドハウス(Hatfield Hose → 2023年6月25日付ブログで紹介済)へと移った。


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
メアリー1世の肖像画の葉書
(Master John / 1544年 / Oil on panel
711 mm x 508 mm) 


テューダー朝の第3代イングランド王エドワード6世(Edward VI:1537年ー1553年 在位期間:1547年ー1553年)、そして、ヘンリー8世の妹メアリー・テューダー(Mary Tudor:1496年ー1533年)の孫に該るジェーン・グレイ(Jane Grey:1537年ー1554年 在位期間:1553年7月10日ー同年7月19日)を経て、メアリー王女がテューダー朝の第4代イングランド王メアリー1世として即位。


英国のロイヤルメール(Royal Mail)から、
2018年7月31日に発行されたハンプトンコート宮殿の記念切手の1枚 -
Hampton Court Palace : West Front


メアリー1世は、1554年、後にスペイン国王フェリペ2世(Felipe II:1527年ー1598年 在位期間:1556年ー1598年)となるフィリップ王子と結婚し、リッチモンド宮殿とハンプトンコート宮殿(Hampton Court Palace → 2024年8月9日 / 8月13日 / 8月15日付ブログで紹介済)において、ハネムーンを過ごした。


雨上がりの夕闇の中に照らされるロンドン塔
<筆者撮影>


東京創元社が発行する創元推理文庫
「帽子収集狂事件(The Mad Hatter Mystery
→ 2018年4月29日 / 5月5日付ブログで紹介済)」の表紙
カバーデザイン:本山 木犀
カバーイラスト: 榊原 一樹
(背後に見える建物が、ロンドン塔)


また、この後、妹エリザベスが生きている限り、自分の王位は安泰ではないと考えたメアリー1世は、同じカトリック教徒であるスペインのフィリップ王子と結婚することに対する宗教的反発として、1554年に勃発したトマス・ワイアット(Sir Thomas Wyatt:1521年ー1554年)によるワイアットの乱を使い、エリザベス王女による同反乱への加担を疑い、同年3月18日にロンドン塔(Tower of London → 2018年4月8日 / 4月15日 / 4月22日付ブログで紹介済)に投獄し、その後も、1年近く、彼女を幽閉状態に置いた。


セントジェイムズ宮殿の建物正面
<筆者撮影>


プロテスタントに対する過酷な弾圧を行い、「血まみれのメアリー(Bloody Mary)」と呼ばれたメアリー1世が、1558年11月17日にセントジェイムズ宮殿(St. James’s Palace → 2025年9月17日 / 9月24日 / 9月29日付ブログで紹介済)において崩御すると、エリザベス王女は、テューダー朝の第5代イングランド王エリザベス1世として即位(戴冠式は、1559年1月15日に行われた)。


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
エリザベス1世の肖像画の葉書
(Unknown English artist / 1600年頃 / Oil on panel
1273 mm x 997 mm) -
エリザベス1世は、王族しか着れない
イタチ科オコジョの毛皮をその身に纏っている。
オコジョの白い冬毛は、「純血」を意味しており、
実際、エリザベス1世は、英国の安定のために、
生涯、誰とも結婚しなかったので、「処女女王」と呼ばれた。
エリザベス1世の」赤毛」と「白塗りの化粧」は、
当時流行したものである。


エリザベス1世は、新しいリッチモンドパーク(Newe Parke of Richmonde → 現在の Old Deer Park)での鹿狩りを楽しみ、リッチモンド宮殿において、多くの時を過ごす。


テムズ河(River Thames)沿いに設置されている
Old Deer Park の沿革を示す説明板
<筆者撮影>


そして、エリザベス1世は、1603年3月24日、リッチモンド宮殿において亡くなり、彼女の遺体は、艀でロンドンのホワイトホール宮殿(Whitehall Palace)へと移されたのである。


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