2026年7月18日土曜日

ロンドン ハイゲイト墓地(Highgate Cemetery)- その4

ハイゲイト墓地東区画にある
英国の著名な批評家 / 歴史家で、英国の小説家 / 評論家であるヴァージニア・ウルフの父である
サー・レスリー・スティーヴン
の墓(その1)
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が執筆した長編としては、第6作目に、そして、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)シリーズの長編としては、第3作目に該る「アクロイド殺し(The Murder of Roger Ackroyd → 2023年9月25日 / 10月2日付ブログで紹介済)」において、事件の記録者となる「わたし」こと、キングスアボット村(King's Abbot)に住むジェイムズ・シェパード医師(Dr. James Sheppard)が、村の富豪であるロジャー・アクロイド(Roger Ackroyd)から夕食に招待され、9月17日(金)の午後7時半に、ロジャー・アクロイドが住むフェルンリーパーク館(Fernly Park)を訪れる。会席者を待つ間、ジェイムズ・シェパード医師は、応接間において、ロジャー・アクロイドによる蒐集品の数々を眺めていると、そこへフローラ・アクロイド(Flora Ackroyd - ロジャー・アクロイドの義理の妹で、未亡人のセシル・アクロイド夫人(Mrs. Cecil Ackroyd)の娘)が姿を見せる。


2022年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「アクロイド殺し」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design by Holly Macdonald /
Illustrations by Shutterstock.com) 


その際に交わされたジェイムズ・シェパード医師とフローラ・アクロイドの会話に出てくる「フロス河の水車場(The Mill on the Floss)」の作者であるジョージ・エリオット(George Eliot → 2025年11月13日+2026年5月20日 / 5月25日 / 5月30日付ブログで紹介済)は、英国の作家である。実は、「ジョージ・エリオット」はペンネームで、本名はメアリー・アン・エヴァンズ(Mary Anne Evans:1819年ー1880年)。


ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery内で
所蔵 / 展示されているジョージ・エリオット
(本名:メアリー・アン・エヴァンズ)の肖像画
(By Sir Frederic William Burton / chalk / 1865年 /
514 mm x 381 mm)


メアリー・アン・エヴァンズは、彼女と不倫関係にあった英国の哲学者 / 文芸批評家ジョージ・ヘンリー・ルイス(George Henry Lewes:1817年ー1878年)の名を借りた「ジョージ・エリオット」のペンネームを用いて、1859年に、最初の長編小説となる「アダム・ビード(Adam Bede)」を発表し、1876年には、長編小説第7作目となる「ダニエル・デロンダ(Daniel Deronda)」を出版。

なお、アガサ・クリスティー作「アクロイド殺し」において言及される「フロス河の水車場」は、1860年に発表された長編小説第2作目に該る。


ジョージ・エリオット(本名:メアリー・アン・エヴァンズ)が
1860年に発表した長編小説第2作目
「フロス河の水車場」
<筆者撮影>


ジョージ・エリオットこと、メアリー・アン・クロスは、キリスト教を信仰していなかったことに加えて、ジョージ・ヘンリー・ルイスと長らく不倫関係にあったこともあり、彼女の遺体はウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)に埋葬されず、ロンドンの特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)のハイゲイト地区(Highgate)内にあるハイゲイト墓地(Highgate Cemetery → 2018年11月4日 / 11月11日付ブログで紹介済)の東区画(East Cemetery)に埋葬された。


ハイゲイト墓地東区画にある
ジョージ・エリオットこと、メアリー・アン・クロスの墓(その1)
<筆者撮影>


ハイゲイト墓地東区画にある
ジョージ・エリオットこと、メアリー・アン・クロスの墓(その2)
<筆者撮影>


また、ジョージ・エリオットこと、メアリー・アン・クロスに英国の哲学者 / 文芸批評家であるジョージ・ヘンリー・ルイスを紹介して、恋愛関係になるキッカケを提供した英国の哲学者 / 社会学者 / 倫理学者であるハーバート・スペンサー(Herbert Spencer:1820年ー1903年 → 2026年6月13日 / 7月8日 / 7月15日付ブログで紹介済)も、ハイゲイト墓地の東区画に埋葬されており、彼の墓はジョージ・エリオットの墓(→ 2026年6月8日付ブログで紹介済)の近くにある。


ハイゲイト墓地東区画にある
ハーバート・スペンサーの墓(その1)-
墓の左側面に、ハーバート・スペンサーが、
1820年4月27日に生まれたことが記されている。

<筆者撮影>


ハイゲイト墓地東区画にある
ハーバート・スペンサーの墓(その2)-
墓の右側面に、ハーバート・スペンサーが、
1903年12月8日に死去したことが記されている。

<筆者撮影>


なお、当時、ジョージ・ヘンリー・ルイスは、アグネス・ジャーヴィス(Agnes Jervis)と結婚して、3人の子供が居る身だったが、メアリー・アン・エヴァンズとジョージ・ヘンリー・ルイスの恋愛関係は、彼が1878年11月30日に亡くなるまで、25年以上続いた。


ハイゲイト墓地東区画にある
英国の著名な批評家 / 歴史家で、英国の小説家 / 評論家であるヴァージニア・ウルフの父である
サー・レスリー・スティーヴン
の墓(その2)
<筆者撮影>


奇しくも、英国の著名な批評家 / 歴史家で、英国の小説家 / 評論家であるヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf / 本名:アデリーン・ヴァージニア・スティーブン(Adeline Virginia Stephen):1882年ー1941年)の父であるサー・レスリー・スティーヴン(Sir Leslie Stephen:1832年ー1904年)も、ハイゲイト墓地の東区画に埋葬されている。


ハイゲイト墓地東区画にある
英国の著名な批評家 / 歴史家で、英国の小説家 / 評論家であるヴァージニア・ウルフの父である
サー・レスリー・スティーヴン
の墓(その3)
<筆者撮影>


サー・レスリー・スティーヴンが埋葬されているのは、ハイゲイト丘を南北に延びるスワインズレーン(Swain’s Lane)の東側に1865年に追加された「東区画」の北端近く(別添の地図で言うと、左下の箇所)である。


ハイゲイト墓地入場時に受け取った東区画の地図から抜粋。


ハイゲイト墓地を拡大するため、1865年にスワインズレーンを間に挟んだ東側が追加で購入され、現在「東区画」と呼ばれる部分が追加された。


ウォーターロウ公園の入口に設置されている案内板
<筆者撮影>

ウォーターロウ公園内の庭園(その1)
<筆者撮影>

ウォーターロウ公園内の庭園(その2)
<筆者撮影>


以前ダートマス公園だった敷地のうち、残った部分は、現在、ウォーターロウ公園(Waterlow Park)となっていて、サー・レスリー・スティーヴンが埋葬されている墓の背後にある境界線の向こう側は、ウォーターロウ公園が広がっている。


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