| リッチモンドグリーンの緑地帯を 南西側から北東方面へと進むところ <筆者撮影> |
1912年8月10日に結婚した英国の小説家 / 評論家であるヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf / 本名:アデリーン・ヴァージニア・スティーブン(Adeline Virginia Stephen):1882年ー1941年 / 英国の小説家 / 評論家)とレナード・シドニー・ウルフ(Leonard Sidney Woolf:1880年ー1969年 / 英国の作家 / 出版業者 / 公務員)の2人は、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)の西端に所在しているクリフォーズイン(Clifford’s Inn → 2026年7月9日 / 7月10日付ブログで紹介済)と言うフラットへ移り住んだ。
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| 1912年に結婚したヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が移り住んだ フラット「クリフォーズイン」へと至る門 <筆者撮影> |
新妻のヴァージニア・ウルフは、子供を欲しがったが、夫のレナード・シドニー・ウルフは、以下の理由から、2人の間い子供を持つことを良しとはしなかった。
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| ナショナルポートレイトギャラリー (National Portrait Gallery)で販売されている ヴァージニア・ウルフの肖像写真の絵葉書 (by George Charles Beresford / 1902年7月 / platinum print / 152 mm x 108 mm) |
<理由(その1)>
1895年(ヴァージニア・ウルフが13歳の時)に、母親で、初代准男爵サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(Sir Edward Coley Burne-Jones, 1st Baronet:1833年ー1898年 → 2018年6月3日 / 6月10日 / 6月17日付ブログで紹介済)等の「ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)」(正確には、「ラファエロ以前兄弟団」)のモデルとして知られている母ジュリア・プリンセップ・ジャクスン(Julia Prinsep Jackson:1846年ー1895年)が48歳で急死し、1897年(ヴァージニア・ウルフが15歳の時)に、異父姉ステラ(Stella:1869年ー1897年)が亡くなったことに伴い、彼女は最初の神経衰弱を発病。
1904年(ヴァージニア・ウルフが22歳の時)に、父親で、英国の著名な批評家 / 歴史家である父サー・レスリー・スティーヴン(Leslie Stephen:1832年ー1904年)が72歳で亡くなり、彼女は2度目の神経衰弱に陥った。
1906年(ヴァージニア・ウルフが24歳の時)の秋、兄(長男)のトビー(Thoby:1880年ー1906年)がギリシア / トルコ旅行へ出かけた際、腸チフス(typhoid fever)に罹患し、同年11月20日に、26歳の若さで急死したため、彼女の精神状態はまた不安定になり、そう言った状況が続いている。
<理由(その2)>
ヴァージニア・ウルフは、母親になる(=子供を産んで育てる)には、精神的に強くなく、子供を持った場合、彼女の精神状態は更に悪化すると懸念。
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| 1912年に結婚したヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が 移り住んだフラット「クリフォーズイン」の玄関を北側から見たところ <筆者撮影> |
また、ヴァージニア・ウルフは、レナード・シドニー・ウルフと結婚する前に、彼女の最初の長編小説となる「船出(The Voyage Out)」を概ね完成させていたが、結婚後の1912年12月から1913年3月にかけて、大幅な改稿作業を行った。
同作品は、彼女の異父兄であるジェラルド・ダックワース(Gerald Duckworth:1870年-1937年)が興した出版社(Gerald Duckworth and Company Ltd. - 1898年設立)から1915年3月26日に刊行されることになるが、上記の大幅な改稿が、肉体的にも、精神的にも、彼女を極度の消耗状態へと追い込んだ。
その結果、彼女は何度も神経衰弱に陥り、1913年9月9日には、睡眠薬のヴェロナール(veronal)の過剰摂取により、自殺を試みたが、なんとか一命をとりとめた。
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| リッチモンドの周辺地図 - Google Maps から抜粋。 画面中央から左側にある大きな緑地帯が「リッチモンドグリーン」で、 その北側にある小さな緑地帯が「リトルグリーン(Little Green)」。 |
上記の通り、重度の精神疾患に苦しむヴァージニア・ウルフのことを心配したレナード・シドニー・ウルフは、1914年の秋、彼女を連れて、ロンドン市内を離れ、緑豊かなリッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)にあるリッチモンドグリーン(Richmond Green)へと引っ越した。
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| リトルグリーン越しに リッチモンド劇場(Richmond Theatre)を臨む。 <筆者撮影> |
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| リッチモンドグリーンの東側に建つ パブ「The Cricketers」 <筆者撮影> |
ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人がリッチモンドグリーンへ引っ越した1914年の秋頃、彼女の精神状態は落ち着いていたが、引越後の1915年2月には、精神疾患が再発、彼女の容体は悪くなってしまう。
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| リッチモンドグリーンの南側に建つ住宅街 <筆者撮影> |
そこで、1915年3月、彼らは、リッチモンドグリーン近くのパラダイスロード34番地(34 Paradise Road)の家へ再度引っ越して、その家を「ホガースハウス(Hogarth House)」と名付けた。
ヴァージニア・ウルフの精神疾患は、1917年まで続いたが、レナード・シドニー・ウルフは、執筆による精神的ストレスから彼女を解放すべく、2人が興味を持っていた印刷技術に注目して、1917年7月、「ホガースプレス(Hogarth Press)」と言う出版社を、「ホガースハウス」の居間に設立したのである。








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