2026年7月14日火曜日

ロンドン リッチモンド宮殿(Richmond Palace)- その1

緑地帯「リッチモンドグリーン(Richmond Green)」に面して、
リッチモンド宮殿の楼門「ゲイトハウス(Gatehouse)」が
現在も残っている。
<筆者撮影>

英国のファンタジー / SF / 推理作家であるフィリップ・パーサー=ハラード(Philip Purser-Hallard:1971年ー)が、Titan Publishing Group Ltd. から、「シャーロック・ホームズの更なる冒険(The further adventures of Sherlock Holmes)」シリーズとは別シリーズの「シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)」シリーズの一つとして、2019年に発表した「人間消失(The Vanishing Man → 2026年6月7日 / 6月15日 / 6月21日 / 7月3日付ブログで紹介済)」の場合、1896年9月14日(月)から9月15日(火)にかけて、トマス・ケルウェイ(Thomas Kellway)と名乗る人物が「テレキネシス(Telekinesis)」を使って、物体を移動する実験を、リッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)にあるサー・ニューナム・スペイト(Sir Newham Speight - The Society for the Scientific Investigation of Psychical Phenomena の会長(Chairman))の自宅 Parapluvium House 内に設けれらた実験室で実施した際、衆人環視の中、トマス・ケルウェイが隔離された室内から姿を消してしまうと言う非常に不可思議な事件が発生したため、サー・ニューナム・スペイトは、シャーロック・ホームズに対して、助けを求める。


英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2019年に出版された
フィリップ・パーサー=ハラード作
「シャーロック・ホームズ:人間消失」の表紙
(Images : Shutterstock)


サー・ニューナム・スペイトの自宅である Parapluvium House は、リッチモンド内に所在していると記されているが、残念ながら、具体的な場所については、明記されていない。


リッチモンドの周辺地図 -
Google Maps から抜粋。


テムズ河沿いの散歩道
<筆者撮影>


テムズ河(River Thames)の上流にあるリッチモンドは、ロンドンの特別区の一つで、ロンドン南西部郊外のリッチモンド・アポン・テムズ区(London Borough of Richmond upon Thames)内にあり、テムズ河の中流域に位置して、テムズ河の東岸に広がる高級住宅地である。


英国のロイヤルメールから2021年に発行された「薔薇戦争」の記念切手の1枚で、
同戦争の終結となる「ボズワースの戦い」
(1485年8月22日)が
描かれている


薔薇戦争(Wars of the Roses → 2024年6月18日 / 6月24日 / 6月28日 / 7月2日付ブログで紹介済)の第三次内乱(1485年)に該り、1485年8月22日に行われたボズワースの戦い(Battle of Bosworth)において、ヨーク朝(House of York)の第3代イングランド王であるリチャード3世(Richard III:1452年-1485年 在位期間 1483年ー1485年 → 2023年10月9日 / 2024年6月14日付ブログで紹介済)を破り、テューダー朝(House of Tudor)の初代イングランド王として即位したのが、ヘンリー7世(Henry VII:1457年ー1509年 在位期間:1485年ー1509年 → 2024年7月5日付ブログで紹介済)は、同地にあった宮殿(大半が木造建築)が1497年12月23日の火災により焼失したため、翌年の1498年から新宮殿の建設に着手。


ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
リチャード3世の肖像画の葉書
(Unknown artist / Late 16th century / Oil on panel
638 mm x 470 mm) 


ヘンリー7世は、王位継承前、リッチモンド伯(Earl of Richmond)として知られていたので、それに因んで、1500年に城下町を「リッチモンド 」へと改名。また、主に煉瓦と白い石で出来た新宮殿が1501年に完成したことに伴い、新宮殿を「リッチモンド宮殿(Richmond Palace)」と名付けたのである。


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
ヘンリー7世の肖像画の葉書
(Unknown Netherlandish artist / 1505年 / Oil on panel
425 mm x 305 mm) 


1502年、新宮殿「リッチモンド宮殿」において、ヘンリー7世の長女であるマーガレット・テューダー(Margaret Tudor:1489年ー1541年)とスコットランドの国王であるジェイムズ4世(James VI:1473年ー1513年 在位期間:1488年-1513年)の婚約式が行われた。

後に(1603年に)英国王位を継承するステュアート家(House of Stuart)は、この婚姻を起源としている。


リッチモンド宮殿の楼門「ゲイトハウス」の右側の外壁には、
ヘンリー7世がリッチモンド 宮殿に住んでいたことが記されている。

<筆者撮影>


ヘンリー7世は、1509年4月21日、結核のため、リッチモンド 宮殿において、52歳で崩御。

ヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)が、テューダー朝の第2代イングランド王として、後を継いだ。


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