2026年7月20日月曜日

ロンドン リッチモンド宮殿(Richmond Palace)- その2

緑地帯「リッチモンドグリーン(Richmond Green)」に面して建つ
リッチモンド宮殿の楼門「ゲイトハウス(Gatehouse)」を下から見上げたところ
<筆者撮影>

英国のファンタジー / SF / 推理作家であるフィリップ・パーサー=ハラード(Philip Purser-Hallard:1971年ー)が、Titan Publishing Group Ltd. から、「シャーロック・ホームズの更なる冒険(The further adventures of Sherlock Holmes)」シリーズとは別シリーズの「シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)」シリーズの一つとして、2019年に発表した「人間消失(The Vanishing Man → 2026年6月7日 / 6月15日 / 6月21日 / 7月3日付ブログで紹介済)」の場合、1896年9月14日(月)から9月15日(火)にかけて、トマス・ケルウェイ(Thomas Kellway)と名乗る人物が「テレキネシス(Telekinesis)」を使って、物体を移動する実験を、リッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)にあるサー・ニューナム・スペイト(Sir Newham Speight - The Society for the Scientific Investigation of Psychical Phenomena の会長(Chairman))の自宅 Parapluvium House 内に設けれらた実験室で実施した際、衆人環視の中、トマス・ケルウェイが隔離された室内から姿を消してしまうと言う非常に不可思議な事件が発生したため、サー・ニューナム・スペイトは、シャーロック・ホームズに対して、助けを求める。


英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2019年に出版された
フィリップ・パーサー=ハラード作
「シャーロック・ホームズ:人間消失」の表紙
(Images : Shutterstock)


サー・ニューナム・スペイトの自宅である Parapluvium House が所在したリッチモンドは、ロンドンの特別区の一つで、ロンドン南西部郊外のリッチモンド・アポン・テムズ区(London Borough of Richmond upon Thames)内にあり、テムズ河の中流域に位置して、テムズ河の東岸に広がる高級住宅地である。


リッチモンドの周辺地図 -
Google Maps から抜粋。


リッチモンド に嘗てあったリッチモンド宮殿(Richmond Palace)は、薔薇戦争(Wars of the Roses → 2024年6月18日 / 6月24日 / 6月28日 / 7月2日付ブログで紹介済)の第三次内乱(1485年)に該り、1485年8月22日に行われたボズワースの戦い(Battle of Bosworth)において、ヨーク朝(House of York)の第3代イングランド王であるリチャード3世(Richard III:1452年-1485年 在位期間 1483年ー1485年 → 2023年10月9日 / 2024年6月14日付ブログで紹介済)を破り、テューダー朝(House of Tudor)の初代イングランド王として即位したヘンリー7世(Henry VII:1457年ー1509年 在位期間:1485年ー1509年 → 2024年7月5日付ブログで紹介済)が、同地にあった宮殿(大半が木造建築)が1497年12月23日の火災により焼失したため、翌年の1498年から1501年にかけて建設。

ヘンリー7世は、王位継承前、リッチモンド伯(Earl of Richmond)として知られていたので、それに因んで、新宮殿を「リッチモンド宮殿」と名付けられた。


セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital
→ 2014年6月14日付ブログで紹介済)の
北翼(North Wing → 2025年12月15日 / 12月19日 /
12月21日 / 12月22日付ブログで紹介済)
大広間の最奥の壁に掲げられている
ヘンリー8世の肖像画のアップ
<筆者撮影>


ヘンリー7世が、1509年4月21日、結核のため、リッチモンド 宮殿において、52歳で崩御した後、ヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)が、テューダー朝の第2代イングランド王として、後を継いだ。


ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた
ヘンリー8世とキングスカレッジ合唱団の絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>


ヘンリー8世は、1509年にキャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon:1487年ー1536年 / カスティーリャ女王イザベル1世とアラゴン王フェルナンド2世の娘)と結婚し、同妃と一緒に、同年のクリスマスから十二夜までの12日間を、リッチモンド宮殿において過ごしている。

キャサリン王妃は、死産、王子を産んだが夭折、そして、流産を繰り返した後、後にテューダー朝の第4代イングランド王メアリー1世(Mary I:1516年ー1558年 在位期間:1553年-1558年)として即位するメアリー王女を1516年に出産するものの、世継ぎとなる嫡出の王子には恵まれなかった。


ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)で販売されている
メアリー1世の肖像画の葉書
(Master John / 1544年 / Oil on panel
711 mm x 508 mm) 


ヘンリー8世がメアリー王女と母のキャサリン王妃を別居させた後、1531年8月から、リッチモンド 宮殿は、メアリー王女の主な住まいとなる。


現在も残る
リッチモンド宮殿の楼門「ゲイトハウス」を正面から見たところ
<筆者撮影>


メアリー王女は、1533年12月までリッチモンド宮殿に住み続けたが、ヘンリー8世の次女で、生まれたばかりのエリザベス王女(Princess Elizabeth - 後にテューダー朝(House of Tudor)の第5代かつ最後のイングランド王エリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年 → 2023年6月24日 / 7月2日付ブログで紹介済)))の侍女になるよう、ヘンリー8世に命じられて、ハートフォードシャー州(Hertfordshire)のハットフィールドハウス(Hatfield Hose → 2023年6月25日付ブログで紹介済)へと移った。


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
エリザベス1世の肖像画の葉書
(Unknown English artist / 1600年頃 / Oil on panel
1273 mm x 997 mm) -
エリザベス1世は、王族しか着れない
イタチ科オコジョの毛皮をその身に纏っている。
オコジョの白い冬毛は、「純血」を意味しており、
実際、エリザベス1世は、英国の安定のために、
生涯、誰とも結婚しなかったので、「処女女王」と呼ばれた。
エリザベス1世の」赤毛」と「白塗りの化粧」は、
当時流行したものである。


Hatfield House and gardens by Marcus May (1995年頃)
庭園歴史博物館(Museum of Garden History)で購入した絵葉書 -
中央に建つ建物が、17世紀初めに
初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシルが建設した主館で、
左後方に建つ建物が、
15世紀末に高位聖職者の邸宅として建設されたビショップ館、
そして、両方の館を取り巻く広大な庭園が描かれている。


その後、ヘンリー8世は、1540年に、4番目の妻であるアン・オブ・クレーヴズ(Anne of Cleves)に対して、婚姻無効の合意の一環として、リッチモンド宮殿を与える。


現在、リッチモンド宮殿の楼門「ゲイトハウス」に隣接する部分は、
住居に改装の上、使用されている。
<筆者撮影>


そして、アン・オブ・クレーヴズは、1546年に、ディヴィッド・ヴィンセント(David Vincent:?ー1565年)をリッチモンド宮殿の管理人に指名。なお、ディヴィッド・ヴィンセントは、廷臣として、ヘンリー8世、テューダー朝の第3代イングランド王エドワード6世(Edward VI:1537年ー1553年 在位期間:1547年ー1553年)、メアリー1世、そして、エリザベス1世の4代にわたって仕えた。


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