後に英国のイラストレーター / 詩人 / 小説家となるオーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley:1872年ー1898年)が1888年に彼の生まれ故郷であるサセックス州(Sussex)ブライトン(Brighton)の初等中学校(Brighton, Hove and Sussex Grammar School)を卒業した後、ビアズリー一家は、ロンドンへと移り住み、現在のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)ピムリコ地区(Pimlico)内にあるケンブリッジストリート32番地(32 Cambridge Street)に居を構えた。
オーブリー・ビアズリーは、1888年、クラーケンウェル地区(Clerkenwell)の測量事務所に事務員として勤務し、1889年にガーディアン生命&火災保険会社の書記に転職したものの、持病の肺結核(tuberculosis)のため、年末に喀血して、休職を余儀無くされる。
| テイト・ブリテン美術館に所蔵 / 展示されている エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ作 「Frieze of Eight Women Gathering Apples」(1876年) <筆者撮影> |
オーブリー・ビアズリーは、1891年7月12日、後に女優となる姉のメイベル・ビアズリー(Mable Beardsley:1871年ー1916年)と一緒に、英国の画家 / デザイナーであるエドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(Edward Coley Burne-Jones:1833年ー1898年 → 2018年6月3日 / 6月10日 / 6月17日付bログで紹介済)のアトリエを訪れて、描き溜めた作品を見せたところ、才能を絶賛され、画家を志すように勧められた。
| テイト・ブリテン美術館に所蔵 / 展示されている エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ作 「黄金の階段(The Golden Stairs)」(1880年) <筆者撮影> |
エドワード・バーン=ジョーンズの勧めに基づき、オーブリー・ビアズリーは、同年8月より、ウェストミンスター美術学校(Westminster School of Art)の夜間クラスに出席して、校長のフレデリック・ブラウン(Frederick Brown:1851年ー1941年 → 英国の画家 / 美術教師)に師事する。これが、オーブリー・ビアズリーにとって、生涯で唯一の正式な絵画の勉強となった。
| テイト・ブリテン美術館に所蔵 / 展示されている エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ作 「コフェチュア王と乞食娘(King Cophetua and the Beggar Maid)」(1884年) <筆者撮影> |
テイト・ブリテン美術館に所蔵されている
初代准男爵サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ作
「コフェチュア王と乞食娘(King Cophetua and the Beggar Maid)」(1884年)
オーブリー・ビアズリーは、1892年6月に、ガーディアン生命&火災保険会社の年次休暇を使って、パリを初めて訪れ、アンリ・マリー・レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファ(Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa::1864年ー1901年)の絵画や版画等に魅せられる。
パリから戻ったオーブリー・ビアズリーは、同年の晩夏、同生命&火災保険会社に対して、辞表を出した。
行きつけの書店の主人であるフレデリック・エヴァンズの紹介により、出版業者のJ・M・デント(J. M. Dent)と知り合ったオーブリー・ビアズリーは、1893年から約1年半にわたって、トマス・マロリー(Thomas Malory:1399年ー1471年)作「アーサー王の死(Le Morte d’Arthur)」の挿絵を描いた。これが、彼にとって、イラストレーターとしてのデビューとなる。
この挿絵の仕事が始める際、彼はウェストミンスター美術学校を退学している。
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| ナショナルポートレートギャラリー (National Portrait Gallery)で販売されている オスカー・ワイルドの写真の葉書 (Napoleon Sarony / 1882年 / Albumen panel card 305 mm x 184 mm) |
その翌年、オーブリー・ビアズリーは、アイルランド出身の詩人 / 作家 / 劇作家で、シャーロック・ホームズシリーズの作者サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の友人でもあったオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)による一幕物の悲劇である戯曲「サロメ(Salome → 2026年3月11日 / 3月12日付ブログで紹介済)」に、挿画を提供することになる。
































