2022年11月6日日曜日

コナン・ドイル作「這う男」<小説版>(The Creeping Man by Conan Doyle )- その1

英国で出版された「ストランドマガジン」
1923年3月号に掲載された挿絵(その1) -
ケンフォード大学の生理学者であるプレスベリー教授のことを案じる
彼の助手であるトレヴァー・ベネットが、シャーロック・ホームズの元を相談に訪れる。
画面左手前の人物が、ホームズで、
画面右手前の人物が、ジョン・H・ワトスン。
そして、画面奥の人物が、トレヴァー・ベネット。

日本の推理小説家 / 小説家である島田荘司氏(1948年ー)が2015年に発表した長編推理小説「新しい十五匹のネズミのフライ - ジョン・H・ワトソンの冒険(New 15 Fried Rats - The Adventures of John H. Watson)の「第三章 狂った探偵」では、「赤毛組合」事件が解決した後、興味を持てる事件が無くなってしまったシャーロック・ホームズは、再度、麻薬を皮下注射する悪癖に溺れていく。そして、事件解決後の二日目の深夜、遂に薬物中毒になってしまったホームズが、居間の中で暴れ始めて、家具や実験器具等を粉々にするとともに、暖炉の石炭をペルシャ絨毯の上にばら撒いて、火をつける。止めに入ったジョン・H・ワトスンは、ホームズとの大格闘の末、彼をなんとか取り押さえることに成功したが、左足の太ももに、ガラス片が深々と突き刺さり、大怪我を負ってしまう。また、家主のハドスン夫人も、怪我を負った。大怪我を負ったワトスンは、ロンドンの軍病院に収容されて、1ヶ月間、ベッドから動くことができなかった。一方、薬物中毒になったホームズは、コンウォール州(Cornwall)ランズエンド( Land’s End)にあるモーティーマー・トリジェニス精神病院へと送られてしまった。


「第四章 這う人」において、なんとかロンドンの軍病院から退院したワトスンは、「スイフトマガジン」編集部の担当者であるサミュエル・ディッシャーから、「約束していた短編を10日以内に仕上げてくれないと、私と家族は、この下の歩道で物乞いをしていることになる。」と督促され、大いに困った末、机の奥に立ててあるバート・ルイス・スティーヴンスン(Robert Louis Stevenson:1850年ー1894年)作「ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件(The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde)」に目を止め、それに着想を得て、「這う人」を書き始める。


筆が早いと言われるワトスンとしても、1日半という驚異的な速さで「這う人」を書き上げるも、編集者のサミュエル・ディッシャーから、「これは、暫くの間、発表しない方がよい。ストックとして、当面、寝かせておく方が得策。」と言われるような出来だった。


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「這う男(The Creeping Man)」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、47番目に発表された作品で、英国では、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1923年3月号に、また、米国では、「ハースイ インターナショナル」の1923年3月号に掲載された。

また、同作品は、1927年に発行されたホームズシリーズの第5短編集「シャーロック・ホームズの事件簿(The Casebook of Sherlock Holmes)」に収録された。


1903年9月のある日曜日の晩のことだった。

なお、物語の冒頭、ワトスンによると、「この事件は、20年程前に発生したが、いろいろと差し障りがあったため、事件の公表を控えていた。」と言及している。


ワトスンは、ホームズから有名な「都合がよければ、直ぐに来てくれ。都合がつかなくても、直ぐに来てほしい。(Come at once if convenient - if inconvenient come all the same. S.H.)」という電報を受け取り、急いでベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)へと駆け付ける。


ホームズの元に駆け付けて来たワトスンに対して、ホームズは、いきなり、疑問として、謎の言葉を投げかける。

「プレスベリー教授が飼っている忠実なウルフハウンド犬のロイは、何故、教授に噛み付こうとするのか?(Why does Professor Presbury’s faithful wolf-hound, Roy, endeavour to bite him?)」と。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1923年3月号に掲載された挿絵(その2) -
プレスベリー教授の助手であるトレヴァー・ベネットは、
ホームズに対して、驚くべきことを告げる。
「プレスベリー教授は、這っていたんです。」と。

プレスベリー教授(Professor Presbury)とは、ケンフォード大学(Camford University)の生理学者(physiologist)のことだった。

丁度、そこへ、事件の依頼人で、プレスベリー教授の助手であるトレヴァー・ベネット(Trevor Bennett)が、ホームズの元を訪れ、ホームズとワトスンの二人に対して、驚くべき話を始めるのであった。

「プレスベリー教授は、這っていたんです。」と。


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