2016年1月10日日曜日

ロンドン ジョン・アダム ストリート1−10番地/ニューアデルフィビル(1 - 10 John Adam Street / New Adelphi Building)

ニューアデルフィビルの玄関口前からビルを見上げたところ

アガサ・クリスティー作「クリスマスプディングの冒険 / 盗まれたロイヤルルビー(The Adventure of the Christmas Pudding / The Theft of the Royal Ruby)」の冒頭、ある東洋の国の王位継承者である王子がロンドンで知り合った若く魅力的な女性にその国に伝わる由緒あるルビーを持ち逃げされてしまう。間もなく、王子は従姉妹と結婚する予定で、このことが公になった場合、大変なスキャンダルになる可能性が非常に高かった。その国との関係を重要視する英国政府(外務省)の説得を受けたエルキュール・ポワロは、ルビーを持ち逃げした女性が潜んでいるというキングスレイシー(Kings Lacey)の屋敷で開催されるクリスマスパーティーに参加するのであった。


英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「盗まれたロイヤルルビー」(1991年)の回では、アーサー・ヘイスティングス大尉とミス・フェリシティー・レモンの二人が不在となるクリスマスを一人で楽しもうと、ポワロはロンドン市内のチョコレート店へやって来た。自分用のチョコレートを購入して帰宅しようとしたポワロは、店の前で突然謎の男二人によって車内へ押し込められ、連れ去られてしまう。美しい曲線が印象的なアドミラルティーアーチ(Admiralty Arch)の下をくぐり、その車が向かった先は英国外務省で、ポワロはそこで外務次官のジェスモンド氏(Mr Jesmond)に出迎えられるであった。ジョスモンド氏に連れられて、ポワロはファールーク王子(Price Farouk)が宿泊しているホテルを訪れる。

ニューアデルフィビルの玄関口―
住所は「ジョン・アダム ストリート1−10番地」となっている
玄関口横の表示では、何故か、
住所が「ジョン・アダム ストリート1−11番地」になっている

原作では、ある東洋の国の王子であったが、TV版では、エジプトの王子という設定に変更されている。更に、TV版では、ファールーク王子は、かなり愚かで、かつ、随分と身勝手な人物として、誇張がされている。このファールーク王子が宿泊していたホテルとして、ニューアデルフィビル(New Adelphi Building)の玄関口が撮影に使用されている。

ジョン・アダム ストリート(西側)から
ニューアデルフィビルを見たところ
ジョン・アダム ストリート(東側)から
ニューアデルフィビルを望む

ニューアデルフィビルが建っているのは、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からシティー(City)へ向かって東に延びるストランド通り(Strand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)とテムズ河(River Thames)沿いに設けられたヴィクトリアエンバンクメントガーデンズ(Victoria Embankment Gardens)に挟まれたアデルフィ(Adelphi)という一画である。この一画は、北側のジョン・アダム ストリート(John Adam Street)、東側のアダム ストリート(Adam Street)、南側のアデルフィテラス(Adelphi Terrace)、そして、西側のロバート ストリート(Robert Street)に囲まれている。

ニューアデルフィビルの外壁装飾(その1)―
水瓶座/魚座(左側)+牡羊座/牡牛座(中央)+双子座/蟹座(右側)
ニューアデルフィビルの外壁装飾(その2)―
装飾の上には、鳥除けが設置されている

1768年から1772年にかけて、スコットランド出身の建築家ウィリアム・アダム(William Adam:1689年ー1748年)の息子達、所謂、アダム兄弟(Adam brothers)と言われる
・長男ージョン・アダム(John Adam:1721年ー1792年)
・次男ーロバート・アダム(Robert Adam:1728年ー1792年)
・三男ージェイムズ・アダム(James Adam:1732年ー1794年)
によって、この一画に新古典主義の集合住宅(テラスハウス)が24棟建設された。英語の「brothers(兄弟)」を意味するギリシア語「adelphi」をベースにして、この一画は「アデルフィ(Adelphi)」と呼ばれるようになり、また、この一画を囲む通りは、アダム兄弟の名前にちなんで名付けられている。

ストランド通りの北側に建つアデルフィ劇場

更に、ストランド通りの反対側に建つ劇場も「アデルフィ劇場(Adelphi Theatre)」と命名された。ちなみに、1909年12月、サー・アーサー・コナン・ドイルは自作の「ロドニー・ストーン(Rodney Stone)」を戯曲化した「テンパリーの館(The House of Temperley)」をアデルフィ劇場で上演したが、全く当たらず、起死回生の策として、シャーロック・ホームズの「まだらの紐(The Speckled Band)」の戯曲版を1910年6月から興行して、破産を免れたという経緯がある(詳細については、2015年8月1日付「アデルフィ劇場ーその1)を御参照願います)。

ジョン・アダム ストリート(東側)から
ニューアデルフィビルを見上げる

1930年代初め頃、アダム兄弟が建てた集合住宅のほとんどが取り壊されて、その跡地にはコルカット&ハンプ(Collcutte & Hamp)という会社が設計したアールデコ(Art Deco)風の建物「ニューアデルフィビル」が建設され、現在に至っている。今も、アダム兄弟が建てた集合住宅の一部は残っているが、アデルフィテラス側のわずかである。ニューアデルフィビルには、現在、アセット管理会社等が入居している。

ファールーク王子が宿泊するホテルとして撮影に使用された
ニューアデルフィビルの玄関口

TV版のポワロシリーズは、原作と異なり、シリーズ全編を通して、時代設定が第一次世界大戦(1914年ー1918年)と第二次世界大戦(1939年ー1945年)の間となっており、そのため、その頃流行したアールデコをデザインのベースに取り入れたニューアデルフィビルが、ファールーク王子が宿泊したホテルの撮影場所として選ばれたものと考えられる。

2016年1月9日土曜日

ロンドン コヴェントガーデンマーケット(Covent Garden Market)

サザンプトンストリート(Southampton Street)沿いの建物壁面に掛けられている
「コヴェントガーデンマーケット」の看板

サー・アーサー・コナン・ドイル作「青いガーネット(The Blue Carbuncle)」では、クリスマスの早朝、宴席から帰る途中の退役軍人ピータースン(Peterson)が、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road → 2015年8月15日付ブログで紹介済)とグッジストリート(Goodge Street → 2014年12月27日付ブログで紹介済)の角で発生した喧嘩の現場に残された帽子とガチョウを、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元に届けて来た。ホームズに言われて、ピータースンは拾ったガチョウを持って帰ったが、その餌袋の中から、ホテルコスモポリタン(Hotel Cosmopolitan)に滞在していたモーカー伯爵夫人(Countess of Morcar)の元から12月22日に盗まれて、懸賞金がかかっている「青いガーネット」が出てきたのだ。

奥の建物がロンドン交通博物館

ホームズは早速新聞に広告を載せて、ガチョウの落とし主を探したところ、ヘンリー・ベイカー氏(Mr Henry Baker)が名乗り出て来た。ベイカー氏によると、大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済)の近くにあるパブ「アルファイン(Alpha Inn → 2015年12月19日付ブログで紹介済)」の主人ウィンディゲート(Windigate)がガチョウクラブを始め、毎週数ペンスずつ積み立てていくと、各人クリスマスにガチョウを一羽ずつ受け取れる仕組みだと言う。

野菜や果物の卸売り市場だったコヴェントガーデンマーケット

ジョン・ワトスンを連れて、アルファインに赴いたホームズは、そこで主人のウィンディゲートから、「問題のガチョウは、コヴェントガーデンマーケット(Covent Garden Market)にあるブレッキンリッジ(Breckinridge)の店から仕入れた」ことを聞きつける。
そこで、二人はブレッキンリッジの店へと向かった。

コヴェントガーデンマーケットの内部

コヴェントガーデン(Covent Garden)は、一般に、東側のドルリーレーン(Drury Lane)、南側のストランド通り(Strand)、西側のセントマーティンズレーン(St. Martin's Lane)、そして、北側のハイホルボーン通り(High Holborn)に囲まれた地区を指す。以前、北側の境界線はロングエイカー通り(Long Acre)にあったが、コヴェントガーデンの発展に伴い、ハイホルボーン通りまで北上したのである。
コヴェントガーデンの大部分はシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内に属しているが、北側の一部がロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)内に属している。

コヴェントガーデンマーケット内の天井装飾

コヴェントガーデン内には、ロイヤルオペラハウス(Royal Opera House)、ロンドン交通博物館(London Transport Museum)、セントマーティンズ劇場(St. Martin's Theatreーアガサ・クリスティー作「ねずみとり(Mousetrap)をロングラン公演中」)やライシアム劇場(Lyceum Theatreーコナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」に登場)等をはじめとして、劇場、博物館、ホテル、レストラン、商店や娯楽施設等は混在して建ち並んでおり、観劇客や観光客等でいつも賑わっている。

コヴェントガーデンマーケット内のクリスマス用装飾

また、ブレッキンリッジの店が所在していたと思われるコヴェントガーデンマーケットは、コヴェントガーデンの中心部にあり、17世紀から1974年まで野菜や果物の卸売市場が置かれていたが、市場がテムズ河(River Thames)の南岸にあるナインエルムズ(Nine Elms)へ移転したことに伴い、市場の跡地はショッピングセンターとして死海発され、現在に至っている。

ロイヤルオペラハウス側から見たコヴェントガーデンマーケット

コヴェントガーデンの始まりは、ローマ時代まで遡る。中世に入ると、この地域は「コンヴェントガーデン(Convent Garden)」と呼ばれ、ウェストミンスター大修道院(Westminster Abbey)の所有となり、大修道院の食料を賄う野菜畑(Garden of the Abbey and Convent)として利用された。時代を経るに従って、現在の「コヴェントガーデン」という名前へと変遷していく。
ウェストミンスター大修道院が食料を独占することへの批判の声が高まり、英国王ヘンリー8世(Henry Ⅷ:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年)は1540年に僧院とその所有地を解体し、その後、1552年にコヴェントガーデンは初代ベッドフォード伯爵ジョン・ラッセル(John Russell, 1st Earl of Bedford)に与えられた。

コヴェントガーデンマーケットの建物上部

そして、第4代ベッドフォード伯爵フランシス・ラッセル(Francis Russell, 4th Earl of Bedford)の時代に、コヴェントガーデンの再開発が計画され、1630年に英国の建築家であるイニゴー・ジョーンズ(Inigo Jones:1573年ー1652年)により、野菜と果物の卸売り市場とそれを囲む教会や住宅が設計された。イニゴー・ジョーンズによって設計された市場は、ロンドンにおける食料市場として、瞬く間に大きな発展を遂げ、1666年のロンドン大火でロンドン東部にあった市場が焼失したこともあり、英国最大の食料市場へと上り詰めたのである。

ロイヤルオペラハウス側のコヴェントガーデンマーケットに設置されたトナカイ像

1960年代に入ると、コヴェントガーデン周辺道路の交通渋滞がかなり深刻化して、市場への商品運搬が非常に困難となってきた。そのため、当時の英国政府は、1973年に市場周辺の建物を「指定建造物」として指定することにより、過度の開発を食い止めようと努力したが、その努力は成功せず、翌年の1974年に市場はテムズ河南岸のナインエルムズへと移転し、そこにニューコヴェントガーデンを建設した。そして、市場跡地は、大改装を経て、1980年にショッピングセンターとして新しく生まれ変わり、今でも多くの買い物客や観光客等が集まっている。

2016年1月2日土曜日

ロンドン キングチャールズストリート/外務省(King Charles Street / Foreign and Commonwealth Office)

英国外務省が入居している建物の正面全景

アガサ・クリスティー作「クリスマスプディングの冒険 / 盗まれたロイヤルルビー(The Adventure of the Christmas Pudding / The Theft of the Royal Ruby)」の冒頭、ある東洋の国の王位継承者である王子がロンドンで知り合った若く魅力的な女性にその国に伝わる由緒あるルビーを持ち逃げされてしまう。間もなく、王子は従姉妹と結婚する予定で、このことが公になった場合、大変なスキャンダルになる可能性が非常に高かった。その国との関係を重要視する英国政府(外務省)の説得を受けたエルキュール・ポワロは、ルビーを持ち逃げした女性が潜んでいるというキングスレイシー(Kings Lacey)の屋敷で開催されるクリスマスパーティーに参加するのであった。


英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「盗まれたロイヤルルビー」(1991年)の回では、アーサー・ヘイスティングス大尉とミス・フェリシティー・レモンの二人が不在となるクリスマスを一人で楽しもうと、ポワロはロンドン市内のチョコレート店へやって来た。自分用のチョコレートを購入して帰宅しようとしたポワロは、店の前で突然謎の男二人によって車内へ押し込められ、連れ去られてしまう。美しい曲線が印象的なアドミラルティーアーチ(Admiralty Arch)の下をくぐり、その車が向かった先は英国外務省で、ポワロはそこで外務次官のジェスモンド氏(Mr Jesmond)に出迎えられるであった。外務省への出入りについては、実際の外務省の建物を使用して、撮影が行われている。

パーラメントストリートから
キングチャールズストリートへ入る場所にある検問所/通用門―
ポワロを乗せた車をこの門を通過して、英国外務省へと向かった
検問所/通用門上部(東側)の装飾
キングチャールズストリート側から見た検問所/通用門

英国外務省の正式名は「Foreign and Commonwealth Office」であるが、一般には「Foreign Office」と呼ばれている。
外務省はロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のウェストミンスター地区(Westminster)内に所在している。地下鉄ウェストミンスター駅(Westminster Tube Station)を出て西へ向かうと、国会議事堂(House of Parliament)前のパーラメントスクエア(Parliament Square)に行き当たる。パーラメントスクエアを右へ折れて、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)へと向かうパーラメントストリート(Parliament Street)を少し北上し、左手に見える最初の通りキングチャールズストリート(King Charles Street)へ入ると、その北側に外務省の建物が建っている。通りの南側にあるのは、英国大蔵省(Her Majesty's Treasury)の建物である。

ポワロを乗せた車が英国外務省の建物へ入る際に
通過した検問所/通用門

現在、外務省が入居している建物は、英国の建築家ジョージ・ギルバート・スコット(George Gilbert Scott:1811年ー1878年)が設計し、1861年から1868年にかけて建設された。
「ゴシック・リヴァイヴァル建築」の流れを組むジョージ・ギルバート・スコットは、当初「ゴシック様式」での設計を考えていたが、外相を三度務めた後、当時、首相の第2期目(1859年ー1865年)を担っていた第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル(Henry John Temple, 3rd Viscount Palmerston:1784年ー1865年)が「古典様式」の設計を主張したため、「イタリア様式」が採用されることとなった。
ヘンリー・ジョン・テンプルは1865年に死去したため、外務省の建設竣工を目にすることは、残念ながら、できなかった。

英国外務省が入居する建物の内部は
「オープンハウス(Open House)」時(毎年9月)に
一般公開されている

この建物には、(1)外務省(Foreign Office)、(2)インド省(India Office)、(3)植民地省(Colonial Office)と(4)内務省(Home Office)の4省が入居したが、最初の3省は1968年までに現在の「Foreign and Commonwealth Office」に統合された。

キングチャールズストリートの西端に設置されているブロンズ像

その後、スタッフの増員に伴い、非常に手狭になってきたため、1960年代に、英国の建築家で、ロイヤルフェスティバルホール(Royal Festival Hall)の設計でも知られるサー・レスリー・マーティン(Sir Leslie Martin:1908年ー2000年)による大規模な建替え計画が作成されたが、建物保存を求める市民の声に押されて、1970年代に建物は「グレードⅠ(Grade I)」の指定を受ける。その結果、建物内のスペース緩和を図るため、1978年に内務省が他の建物への移転を余儀なくされたのである。
内務省の移転後、17年間に及ぶ大改修工事が実施され、1997年に竣工し、現在に至っている。

2016年1月1日金曜日

ロンドン チャーターハウススクエア(Charerhouse Square)― ザクセン-コーブルクスクエア(Saxe-Coburg Square)の候補地

「ザクセン–コーブルクスクエア」の候補地であるチャーターハウススクエア

サー・アーサー・コナン・ドイル作「赤毛組合(The Red-Headed League)」において、質屋(pawnbroker)のジェイベス・ウィルスン(Jabez Wilson)は、「シティー近くのザクセン-コーブルクスクエアに店を開いています。(I have a small pawnbroker's business at Saxe-Coburg Square, near the City.)」と、シャーロック・ホームズとジョン・ワトスンに説明している。
それでは、ザクセン-コーブルクスクエアとは、一体どこにあるのか?残念ながら、現在の住所表記上、ザクセン-コーブルクスクエアは存在していないので、コナン・ドイルは架空の住所を使用したものと思われる。

シティー近辺で、ザクセン-コーブルクスクエアの候補地として、以下の3つが挙げられる。

(1)チャーターハウススクエア(Charterhouse Square)→ 地下鉄バービカン駅(Barbican Tube Station)/ファリンドン駅(Farringdon Tube Station)の近くに所在。

チャーターハウススクエア内にある駐車スペース

チャーターハウススクエアの奥に建つチャーターハウス(Charterhouse)

(2)ウェストスミスフィールド(West Smithfield)→ 近くには、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)やスミスフィールドマーケット(Smithfield Market)が所在。

ウェストスミスフィールドを囲む通りと建物

右手奥にはセントバーソロミュー病院があり、
遠方にはシティー内に建つビルが見える。

(3)ニューストリートスクエア(New Street Square)→ シティー内にギリギリ属しているものの、地理的にはテンプル(Temple)に近接している。3つの候補地の中では、ストランド通り(Strand)/フリートストリート(Fleet Street)に一番近い。

ニューストリートスクエアへ至る道 -
高層ビル群に囲まれている。

英国の不動産開発会社の大手の一つである Land Securities 社がニューストリートスクエアを再開発 -
大手監査法人 Deloitte LLP 等が入居している。

上記のうち、どれが候補地となりうるのかについては、ドイルの原作から読み解く必要がある。

まず最初の条件であるが、ホームズとワトスンはアルダースゲイト駅(Aldersgate Tube Station)まで地下鉄に乗って、そこから少し歩くと、ザクセン-コーブルクスクエアに着いた(We travelled by the Underground as far as Aldersgate; and a short walk took us to Saxe-Coburg Square, …)、という記述が原作にある。
ちなみに、アルダースゲイト駅は、現在の地下鉄バービカン駅である。ホームズとワトスンは、ザクセン-コーブルクスクエア経由、ストランド通りを通って、ピカデリー(Piccadilly)のセントジェ―ムズホール(St. James's Hall)まで歩いているので、ザクセン-コーブルクスクエアは、アルダースゲイト駅(=現在のバービカン駅)からみて、ストランド通り方面、つまり、南西方向にあり、かつ、アルダースゲイト駅の近くにあると言える。

第二の条件として、ジェイベス・ウィルスンの質屋の前で、質屋で働いているヴィンセント・スポールディング(Vincent Spaulding)にホームズがストランド通りへの行き方を尋ねたところ、「3つ目の通りを右へ、そして、4つ目の通りを左へ。(Third right, fourth left)」と、ヴィンセント・スポールディングは答えている。
また、ジェイベス・ウィルスンの質屋があるザクセン-コーブルクスクエア自体はみすぼらしいところであるが、通りの角を一つ曲がると、そこはシティーから北や西へとつながる大通りの一つで、多くの行き交う人で賑わっているとも、コナン・ドイルは述べている。

第三の条件として、同じ日の夜、ホームズとワトスンは、スコットランドヤードのピーター・ジョーンズ警部(Inspector Peter Jones)と銀行の頭取であるメリーウェザー氏(Mr. Merryweather)と一緒に、二台の馬車でザクセン-コーブルクスクエア方面へ向かう際、ファリントンストリート(Farrington Street)まで来た時に、ホームズは「もうすぐ近くだ。」と述べている。(… we emerged into Farrinton Street. 'We are close there now', my friend (= Holmes) remarked.)
現在の住所表記上、ファリントンストリートは存在していないが、地下鉄ファリンドン駅近辺にファリンドンストリート(Farringdon Street)はあるので、コナン・ドイルはこの通りを参照していると思われる。

セントバーソロミュー病院内の中庭

セントバーソロミュー病院の敷地内にある噴水

まず、二番目の候補地であるウェストスミスフィールドであるが、アルダースゲイト駅から徒歩圏内にあるものの、北側を肉市場であるスミスフィールドマーケットに、そして、南側をセントバーソロミュー病院に囲まれた広場であり、当時、ザクセン-コーブルクスクエアのようなみすぼらしい場所ではなかったと推測されるので、候補地としては妥当でないと思われる。その他の条件については、概ね充足していると言える。

スミスフィールドマーケットの全景

スミスフィールドマーケット内に掛けられている沿革を示す看板

三番目の候補地であるニューストリートスクエアの場合、少し南下すると、フリートストリートに出られる立地条件にあるものの、厳密には、シティーと言うよりは、ウェストミンスター(Westminster)とシティーの中間地であるテンプルの方に近いと言える。また、アルダースゲイト駅から歩いて来るには、やや距離があるため、コナン・ドイルの記述には適さないと思われる。

画面真ん中から奥へ延びる通りがフリートストリート -
右手奥にニューストリートスクエアが、
左手奥にテンプルが所在している。

そういった意味では、一番目の候補地であるチャーターハウススクエアがザクセン-コーブルクスクエアとして一番適していると言える。
チャーターハウススクエアは、スミスフィールドマーケットの裏手に該る広場で、現在のバービカン駅からも徒歩圏内にある。また、広場の角を曲がれば、スミスフィールドフィールドに面するチャーターハウスストリート(Charterhouse Street)へ出られ、この通り経由、シティーから北方面と西方面へと向かうことが可能である。その上、チャーターハウススクエアは、ファリンドンストリートからも近いところにある。
ただし、ヴィンセント・スポールディングがホームズに説明したストランド通りへの行き方だけがうまく合致しないが、架空の場所なので仕方がないと言える。


チャーターハウススクエアから
スミスフィールドマーケット(正面奥)を望む。

ハノーヴァー朝のウィリアム4世(William Ⅳ:1765年ー1837年 在位期間:1830年ー1837年)の後を継いで、18歳の若さで即位したヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年)は、ドイツ中部のザクセン-コーブルク&ゴータ(Saxe-Coburg & Gotha)公国の君主の家系出身であるアルバート公(Albert, Prince Consort:1819年ー1861年)と1840年に結婚する。
英国ハノーヴァー朝の国王を輩出したドイツのハノーヴァー選定侯家では、女性の跡継ぎを認めていないため、ヴィクトリア女王はハノーヴァー朝を名乗り続けることが許されなくなっていた。そのため、ヴィクトリア女王は、アルバート公の出身元であるザクセン=コーブルク&ゴータ公国の名前にちなんで、王室名をザクセン=コーブルク&ゴータ朝に変更することを決めた(正式に、英国王室が当該名を名乗るのは、ヴィクトリア女王の長男であるエドワード7世(Edward Ⅶ:1865年ー1910年 在位期間:1901年ー1910年)の代からである)。
ジェイベス・ウィルスンが質屋を営む場所名として、コナン・ドイルはこの新しい王室名から「ザクセン-コーブルク」だけを拝借したものと推測される。


エルキュール・ポワロが住む「ホワイトへイヴンマンション」として
撮影に使用された「フローリンコート」-
チャーターハウススクエアに面して建っている。

また、英国のTV会社 ITV1 で製作されたエルキュール・ポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」では、ポワロが住む「ホワイトへイヴンマンション(Whitehaven Mansion)」として、「フローリンコート(Florin Court)」が撮影に使用されている。この「フローリンコート」の住所は「チャーターハウススクエア6−9番地(6 - 9 Charterhouse Square)」で、ザクセン-コーブルクスクエアとして一番適していると思われるチャーターハウススクエアに面して建っており、なかなかの奇遇と言える。


(島田荘司作「新しい十五匹のネズミのフライ―ジョン・H・ワトソンの冒険」
(New 15 Fried Rats - The Adventure of John H. Watson)は、
「赤毛組合」事件に別の視点から切り込んでおり、その後日譚が書かれている)

2015年12月27日日曜日

ロンドン アドミラルティーアーチ(Admiralty Arch)

トラファルガースクエア側から見たアドミラルティーアーチ全景

アガサ・クリスティー作「クリスマスプディングの冒険 / 盗まれたロイヤルルビー(The Adventure of the Christmas Pudding / The Theft of the Royal Ruby)」の冒頭、ある東洋の国の王位継承者である王子がロンドンで知り合った若く魅力的な女性にその国に伝わる由緒あるルビーを持ち逃げされてしまう。間もなく、王子は従姉妹と結婚する予定で、このことが公になった場合、大変なスキャンダルになる可能性が非常に高かった。その国との関係を重要視する英国政府(外務省)の説得を受けたエルキュール・ポワロは、ルビーを持ち逃げした女性が潜んでいるというキングスレイシー(Kings Lacey)の屋敷で開催されるクリスマスパーティーに参加するのであった。

地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)へ向かう
地下道の壁に描かれたアドミラルティーアーチ

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「盗まれたロイヤルルビー」(1991年)の回では、アーサー・ヘイスティングス大尉とミス・フェリシティー・レモンの二人が不在となるクリスマスを一人で楽しもうと、ポワロはロンドン市内のチョコレート店へやって来た。自分用のチョコレートを購入して帰宅しようとしたポワロは、店の前で突然謎の男二人によって車内へ押し込められ、連れ去られてしまう。その車が向かった先は英国外務省で、外務次官のジェスモンド氏(Mr Jesmond)の指示によるものであった。その際、ポワロを乗せた車が通過したのが、アドミラルティーアーチ(Admiralty Arch)である。

夕陽を背にしたアドミラルティーアーチ

アドミラルティーアーチは、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)の南西側に位置しており、英国王エドワード7世(Edward Ⅶ:1841年ー1910年 在位期間:1901年ー1910年)が母親であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年)を讃えて建設した門で、英国の建築家サー・アストン・ウェッブ(Sir Aston Webb:1849年ー1930年)が設計を担当した。アドミラルティーアーチが完成したのは1912年で、残念ながら、自分の存命中にエドワード7世が完成したアーチを観ることは叶わなかったのである。

アドミラルティーアーチ中央上部のアップ

トラファルガースクエア側に面したアドミラルティーアーチの中央上部には、ラテン語で次のように書かれている。
: ANNO : DECIMO : EDWARADI : SEPTIMI : REGIS :
: VICTORIAE : REGINAE : CIVES : GRATISSIMI : MDCCCX
(In the tenth year of King Edward Ⅶ, to Queen Victoria, from most grateful citizens, 1910)
日本語で言うと、「エドワード7世の在位10年目に、親愛なる市民よりヴィクトリア女王へ送るー1910年」という意味になる。

ザ・マルからアドミラルティーアーチ(右側)を望む

トラファルガースクエアとバッキングガム宮殿(Buckingham Palace)を繫ぐ通りであるザ・マル(The Mall)の正面玄関に該るアドミラルティーアーチの中央にある通用門は通常閉じられており、英国王/女王専用ともっている。よって、現在、中央の通用門を使用できるのは、エリザベス2世のみである。一般人は、左右にある通用門を使用することになる。

夕方のラッシュアワーのため、
トラファルガースクエアへと向かう
アドミラルティーアーチの通用門が混雑している

アドミラルティーとは、日本語で「海軍提督」を意味し、門の一部が隣に位置している国防省(Ministry of Defence)の建物と繋がっている。よって、アドミラルティーアーチは一般公開されていないため、内部を見学することはできない。

以前より英国政府が使用しており、2000年からは内閣府が所在していたが、緊縮財政の一環として、2011年に内閣府も退去し、75百万ポンドの価格で買い手を募った。2012年10月にスペイン人の不動産開発業者ラファエル・セラーノ・クウェヴェード(Rafael Serrano Quevedo:1966年ー)が英国政府から25年間の借用権を購入した。2013年8月にシティー・オブ・ウェストミンスター区の議会(City of Westminster Council)が建設許可を出したので、数年後に、アドミラルティーアーチは100室を超えるホテルへと大改装される予定である。

ザ・マル中央(横断歩道の途中)から見たアドミラルティーアーチ