2016年1月10日日曜日

ロンドン ジョン・アダム ストリート1−10番地/ニューアデルフィビル(1 - 10 John Adam Street / New Adelphi Building)

ニューアデルフィビルの玄関口前からビルを見上げたところ

アガサ・クリスティー作「クリスマスプディングの冒険 / 盗まれたロイヤルルビー(The Adventure of the Christmas Pudding / The Theft of the Royal Ruby)」の冒頭、ある東洋の国の王位継承者である王子がロンドンで知り合った若く魅力的な女性にその国に伝わる由緒あるルビーを持ち逃げされてしまう。間もなく、王子は従姉妹と結婚する予定で、このことが公になった場合、大変なスキャンダルになる可能性が非常に高かった。その国との関係を重要視する英国政府(外務省)の説得を受けたエルキュール・ポワロは、ルビーを持ち逃げした女性が潜んでいるというキングスレイシー(Kings Lacey)の屋敷で開催されるクリスマスパーティーに参加するのであった。


英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「盗まれたロイヤルルビー」(1991年)の回では、アーサー・ヘイスティングス大尉とミス・フェリシティー・レモンの二人が不在となるクリスマスを一人で楽しもうと、ポワロはロンドン市内のチョコレート店へやって来た。自分用のチョコレートを購入して帰宅しようとしたポワロは、店の前で突然謎の男二人によって車内へ押し込められ、連れ去られてしまう。美しい曲線が印象的なアドミラルティーアーチ(Admiralty Arch)の下をくぐり、その車が向かった先は英国外務省で、ポワロはそこで外務次官のジェスモンド氏(Mr Jesmond)に出迎えられるであった。ジョスモンド氏に連れられて、ポワロはファールーク王子(Price Farouk)が宿泊しているホテルを訪れる。

ニューアデルフィビルの玄関口―
住所は「ジョン・アダム ストリート1−10番地」となっている
玄関口横の表示では、何故か、
住所が「ジョン・アダム ストリート1−11番地」になっている

原作では、ある東洋の国の王子であったが、TV版では、エジプトの王子という設定に変更されている。更に、TV版では、ファールーク王子は、かなり愚かで、かつ、随分と身勝手な人物として、誇張がされている。このファールーク王子が宿泊していたホテルとして、ニューアデルフィビル(New Adelphi Building)の玄関口が撮影に使用されている。

ジョン・アダム ストリート(西側)から
ニューアデルフィビルを見たところ
ジョン・アダム ストリート(東側)から
ニューアデルフィビルを望む

ニューアデルフィビルが建っているのは、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からシティー(City)へ向かって東に延びるストランド通り(Strand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)とテムズ河(River Thames)沿いに設けられたヴィクトリアエンバンクメントガーデンズ(Victoria Embankment Gardens)に挟まれたアデルフィ(Adelphi)という一画である。この一画は、北側のジョン・アダム ストリート(John Adam Street)、東側のアダム ストリート(Adam Street)、南側のアデルフィテラス(Adelphi Terrace)、そして、西側のロバート ストリート(Robert Street)に囲まれている。

ニューアデルフィビルの外壁装飾(その1)―
水瓶座/魚座(左側)+牡羊座/牡牛座(中央)+双子座/蟹座(右側)
ニューアデルフィビルの外壁装飾(その2)―
装飾の上には、鳥除けが設置されている

1768年から1772年にかけて、スコットランド出身の建築家ウィリアム・アダム(William Adam:1689年ー1748年)の息子達、所謂、アダム兄弟(Adam brothers)と言われる
・長男ージョン・アダム(John Adam:1721年ー1792年)
・次男ーロバート・アダム(Robert Adam:1728年ー1792年)
・三男ージェイムズ・アダム(James Adam:1732年ー1794年)
によって、この一画に新古典主義の集合住宅(テラスハウス)が24棟建設された。英語の「brothers(兄弟)」を意味するギリシア語「adelphi」をベースにして、この一画は「アデルフィ(Adelphi)」と呼ばれるようになり、また、この一画を囲む通りは、アダム兄弟の名前にちなんで名付けられている。

ストランド通りの北側に建つアデルフィ劇場

更に、ストランド通りの反対側に建つ劇場も「アデルフィ劇場(Adelphi Theatre)」と命名された。ちなみに、1909年12月、サー・アーサー・コナン・ドイルは自作の「ロドニー・ストーン(Rodney Stone)」を戯曲化した「テンパリーの館(The House of Temperley)」をアデルフィ劇場で上演したが、全く当たらず、起死回生の策として、シャーロック・ホームズの「まだらの紐(The Speckled Band)」の戯曲版を1910年6月から興行して、破産を免れたという経緯がある(詳細については、2015年8月1日付「アデルフィ劇場ーその1)を御参照願います)。

ジョン・アダム ストリート(東側)から
ニューアデルフィビルを見上げる

1930年代初め頃、アダム兄弟が建てた集合住宅のほとんどが取り壊されて、その跡地にはコルカット&ハンプ(Collcutte & Hamp)という会社が設計したアールデコ(Art Deco)風の建物「ニューアデルフィビル」が建設され、現在に至っている。今も、アダム兄弟が建てた集合住宅の一部は残っているが、アデルフィテラス側のわずかである。ニューアデルフィビルには、現在、アセット管理会社等が入居している。

ファールーク王子が宿泊するホテルとして撮影に使用された
ニューアデルフィビルの玄関口

TV版のポワロシリーズは、原作と異なり、シリーズ全編を通して、時代設定が第一次世界大戦(1914年ー1918年)と第二次世界大戦(1939年ー1945年)の間となっており、そのため、その頃流行したアールデコをデザインのベースに取り入れたニューアデルフィビルが、ファールーク王子が宿泊したホテルの撮影場所として選ばれたものと考えられる。

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