2016年1月17日日曜日

ロンドン 中央刑事裁判所(Central Criminal Court)

中央刑事裁判所の上部全景

本作品は、アガサ・クリスティーの商業デビュー作であり、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編第1作目、かつ、ポワロの初登場作品に該る。

なお、本作品は、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中の1916年に執筆され、米国の Jane Lane 社から、1920年(10月)に発表されている。英国本国の場合、Jane Lane 社の英国会社である The Bodley Head 社から、1921年(1月)に出版された。



第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings - 30歳)は、英国に帰還する。旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish - 45歳)の招きで、エセックス州(Essex)にあるスタイルズ荘(Styles Court)を訪れたヘイスティングス大尉であったが、到着早々、事件に巻き込まれるのであった。


ジョン・キャヴェンディッシュの義母で、スタイルズ荘の持ち主である老婦人エミリー・イングルソープ(Emily Inglethrop - 70歳を超えている)は、20歳も年下のアルフレッド・イングルソープ(Alfred Inglethrop)と再婚して、屋敷で暮らしていた。屋敷内には、他には、


(1)ジョン・キャヴェンディッシュ → エミリーの義理の息子(兄)

(2)メアリー・キャヴェンディッシュ(Mary Cavendish)→ ジョン・キャヴェンディッシュの妻

(3)ローレンス・キャヴェンディッシュ(Lawrence Cavendish - 40歳)→ エミリー・イングルソープの義理の息子(弟)

(4)シンシア・マードック(Cynthia Murdoch)→ エミリー・イングルソープの友人の孤児で、現在は、彼女の養子

(5)エヴリン・ハワード(Evelyn Howard - 40歳位)→ エミリー・イングルソープの話相手(住み込みの婦人)


が住んでいた。


7月18日(水)の朝、エミリー・イングルソープがストリキニーネで毒殺されているのが発見された。


エミリー・イングルソープの前夫の遺言書によると、スタイルズ荘については、エミリー・イングルソープの死後、ジョン・キャヴェンディッシュが相続することになっていた。

一方、エミリー・イングルソープが保有する現金資産に関しては、彼女が毎年更新する遺言書の内容に従って分配されることになっており、彼女が作成した最新の遺言書によると、現在の夫であるアルフレッド・イングルソープが相続する内容だった。

前日の7月17日(火)、エミリー・イングルソープが、夫のアルフレッド・イングルソープか、義理の息子のジョン・キャヴェンディッシュとの間で、言い争いをしていたようだった。その後、彼女は遺言書を書き替えたが、その新しい遺言書は、どこにも見当らなかった。


エミリー・イングルソープの死により、最も大きな利益を得ることになる夫のアルフレッド・イングルソープが、まず容疑者として疑われる。

ただ、彼女が毒殺された日の夜、彼はスタイルズ荘を不在にしていたが、何故か、居所を明らかにしようとしない上に、村の薬局において、ストリキニーネを購入したしたのは、自分ではないと強く否定する。

エミリー・イングルソープの話相手であるエヴリン・ハワードは、アルフレッド・イングルソープの従妹であるにもかかわらず、以前から彼のことを憎んでいるようで、エミリー・イングルソープを毒殺した人物は、彼で間違いないと言う出張を崩さなかった。


スタイルズ荘の近くのスタイルズセントメアリー村(Styles St. Mary)にベルギーから戦火を避けて亡命していた旧友ポワロと再会したヘイスティングス大尉は、ポワロに対して、この難事件の捜査を依頼する。


スコットランドヤードのジェイムズ・ジャップ警部(Inspector James Japp)が、エミリー・イングルソープの毒殺犯人として、アルフレッド・イングルソープを逮捕しようとするが、ポワロは、ストリキニーネ購入時における薬局の記録上の署名が彼の筆跡ではないことを証明して、アルフレッド・イングルソープの逮捕を思いとどまらせた。


そのため、スコットランドヤードのジェイムズ・ジャップ警部が、アルフレッド・イングルソープの次に疑ったのは、エミリー・イングルソープの死により利益を得る上に、事件当夜のアリバイがないジョン・キャヴェンディッシュであった。

ストリキニーネ購入時における薬局の記録上の署名が彼の筆跡に酷似していること、また、アルフレッド・イングルソープとよく似た付け髭と鼻眼鏡が発見されたことが決め手となり、ジョン・キャヴェンディッシュは逮捕されてしまう。


果たして、スコットランドヤードのジェイムズ・ジャップ警部による捜査通り、ジョン・キャヴェンディッシュが、義母であるエミリー・イングルソープを、ストリキニーネで毒殺したのであろうか?

ポワロの灰色の脳細胞は、どのような結論を導き出すのか?


オールドベイリー通り(南側)から見た
中央刑事裁判所

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「スタイルズ荘の怪事件」(1990年)の回では、エミリー・イングルソープを毒殺した犯人として、スコットランドヤードのジャップ警部に逮捕されたヘイスティングスの旧友ジョン・キャヴェンディッシュの裁判が行われる場所(外観)として、中央刑事裁判所(Central Criminal Court)が撮影に使用されている。

中央刑事裁判所(オリジナル)の入口

入口脇に掲げられた看板

刑事法院(Crown Court)は、イングランドとウェールズにおける刑事事件を扱う裁判所で、現在、
(1)イングランド/ミッドランド
(2)イングランド北東部
(3)イングランド北西部
(4)イングランド南東部
(5)イングランド南西部
(6)イングランド/ロンドン
(7)ウェールズ
の7つの地区に分かれている。
中央刑事裁判所は、当初、国会制定法に基づいて設置されたものの、現在は刑事法院に属して、上記(6)の通り、ロンドンにおける主要な刑事裁判所の一つである。

入口から見上げた中央刑事裁判所の建物外観

中央刑事裁判所は、ロンドンの経済活動の中心地シティー(City)の西端近くに位置しており、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)方面からセントポール大聖堂(St. Paul's Cathedral)へと向かうラドゲートヒル通り(Ludgate Hill)から北へ延びるオールドベイリー通り(Old Bailey)沿いに建っている。
それ故、中央刑事裁判所は、「Central Criminal Court」という正式名称ではなく、通り名にちなんだ「Old Bailey」という通称名で呼ばれることが非常に多い。

画面奥が中央刑事裁判所(オリジナル)で、
手前の建物が増設されたサウスブロック

中央刑事裁判所の起源は、16世紀後半まで遡る。その当時、ニューゲート監獄(Newgate gaol)の隣に、裁判所は建てられた。1666年のロンドン大火(Great Fire of London)により焼失の憂き目に会うが、1674年に再建。1734年に建物の改修が実施され、裁判所を壁で取り囲んだりして、野次馬等を遠ざける措置が行われたが、1750年、逆にこれが裁判所内での発疹チフス流行を招き、シティー市長(Lord Mayor)を含む60名が死亡するという事態が発生し、1774年に再度建て替えられる。1834年には、裁判所の名前が現在の「Central Criminal Court」へと変更された。

建物の上部に設置された「正義の女神」像

現在の建物は、取り壊されたニューゲート監獄の跡地に建っており、1902年に建設工事が開始された。設計者は英国の建築家エドワード・ウィリアム・マウントフォード(Edward William Mountford:1855年ー1908年)で、ザクセン-コーブルク&ゴータ朝(Saxe-Coburg and Gotha)のエドワード7世(Edward Ⅶ:1841年ー1910年 在位期間:1901年ー1910年)の立会の下、1907年2月27日に正式に業務を開始した。
建物の上部には、英国の彫刻家フレデリック・ウィリアム・ポメロイ(Frederick William Pomeroy:1856年ー1924年)が制作した「正義の女神(Lady Justice)」像が設置されている。「正義の女神」像は、右手に剣を、そして、左手に天秤を持っている。元々は、目隠しは剣と天秤が意味する正義とは矛盾するという解釈だったと考えられ、この像は目隠しをしていない。その後、目隠しの意味が「人物の外見等を顧慮しない公正さ」に転換したため、19世紀頃からは目隠しをした像が主流になっていく。

増設されたサウスブロックの建物外観

サウスブロックの入口上部の表示

第二次世界大戦(1939年ー1945年)、ドイツ軍による爆撃により、中央刑事裁判所の建物も甚大な被害を受け、1950年代初めに復旧工事が行われた。
また、1968年から1972年にかけて、英国の建築家ドナルド・マクモラン(Donald McMorran:1904年ー1965年)とジョージ・ウィットビー(George Whitby:1916年ー1973年)が設計した「サウスブロック(South Block)」と呼ばれる建物が建設され、より近代的な法定が増設された。

現在、合計で18の法廷が使用されている。今も、BBC等のニュース映像で、大きな刑事事件の場合、中央刑事裁判所が頻繁に映し出される。

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