2026年2月10日火曜日

ロンドン メイダヴェール地区(Maida Vale)- その2

エルギンアベニュー(Elgin Avenue)と
ランドルフアベニュー(Randolph Avenue)が交差する南東の角にある
地下鉄メイダヴェール駅
<筆者撮影>

米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が、カーター・ディクスン(Carter Dickson)という別名義で1944年に発表した推理小説で、ヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)シリーズの長編第14作目に該る「爬虫類館の殺人He Wouldn’t Kill Patience → 2025年11月17日 / 11月19日付ブログで紹介済)」の舞台は、第2次世界大戦(1939年-1945年)下の首都ロンドンである。


京創元社が発行する創元推理文庫「爬虫類館の殺人」の表紙
    カバーイラスト:ヤマモト マサアキ
カバーデザイン:折原 若緒
  カバーフォーマット:本山 木犀


ケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens → 2026年1月31日付ブログで紹介済)内にあるロイヤルアルバート動物園(Royal Albert Zoological Gardens)は、世界の蛇、蜥蜴や毒蜘蛛等を集めた爬虫類館で人気を集めていた。ところが、ドイツ軍の爆撃による空襲の脅威下、国家安全保証省(Department of Home Secuirty)からの要請により、閉園の危機を迎える。

園長のエドワード・ベントン(Edward Benton)は、なんとかして、ロイヤルアルバート動物園閉園の危機を乗り越えようといろいろと手を尽くしたものの、閉園の撤回は非常に難しい状況だった。



ロイヤルアルバート動物園閉園の危機を迎えて、気落ちする父エドワード・ベントンを元気づけるため、娘のルイーズ・ベントンは、曾祖父の代から対立している2つの奇術師一家の若き後継者であるケアリー・クイント(Carey Quint - 奇術師の青年)とマッジ・パリサー(Madge Palliser - 奇術師の女性)の2人に手品を披露してもらうべく、1940年9月6日(金)の夕食会に招待した。また、陸軍省の御意見番で、手品を得意とするヘンリー・メリヴェール卿も、同じく招待されたのである。


メイダヴェール通り(Maida Vale)からエルギンアベニューを西側へ向かうところ -
画面奥の建物は、エルギンアベニューとラナークロード(Lanark Road)が交差する
南西の角に建つフラット群
<筆者撮影>


空襲警報が鳴り響く中、ケアリー・クイント、マッジ・パリサーとヘンリー・メリヴェール卿の3人は、午後8時半頃、ロイヤルアルバート動物園内にある園長の家に到着。

玄関のドアには、鍵がかかっておらず、廊下の突き当たりにある園長エドワード・ベントンの書斎のドアには、「入室無用」の札が掛かっていた。また、ドアは閉じたままで、その下から光は漏れていなかった。

ヘンリー・メリヴェール卿達は、廊下の突き当たりにある園長の書斎のドアを開けようとしたが、鍵がかかっていた。また、中から鍵穴に何かが貼り付けてあるようだった。


メイダヴェール通りからエルギンアベニューを西側へ向かうところ -
画面奥の建物は、エルギンアベニューとラナークロードが交差する
北西の角に建つパブ「エルギン(Elgin)」
<筆者撮影>


廊下に面したドアは、全て、同じ鍵を使っていることを知っているジャック・リヴァーズ(セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の医師で、ルイーズ・ベントンの恋人)は、食堂のドアから鍵を抜くと、ヘンリー・メリヴェール卿に手渡した。

ヘンリー・メリヴェール卿が書斎の鍵を解錠して、ドアを開けると、園長のエドワード・ベントンが、一匹の蛇と一緒に、ガス中毒により死亡しているのを発見する。

書斎のドアと窓の全てが内側から厳重に目張りされた「密室(sealed room)」状態で、状況的には、ロイヤルアルバート動物園の閉園を苦にしての自殺としか思えなかった。


地下鉄メイダヴェール駅の反対側のエルギンアベニュー(北側)から東側を見たところ
<筆者撮影>

ロイヤルアルバート動物園内にある家において、「密室」状態で亡くなったエドワード・ベントン園長の弟であるホーレス・ベントン(Horace Benton)が住んでいるメイダヴェール地区(Maida Vale)は、ロンドンの中心部であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内に所在する地区の一つである。


地下鉄メイダヴェール駅前の環状交差点(roundabout)から
ランドルフアベニュー(南側)を見たところ
<筆者撮影>


ナポレオン戦争(Napoleonic Wars:1803年ー1815年 / フランスの第一執政期と第一帝政期における一連の戦争の総称)のうち、1806年に南イタリアで行われたメイダの戦い(Battle of Maida)に勝利を収めた英国陸軍の中将(Lieutenant-General)だったサー・ジョン・ステュアート(Sir John Stuart:1759年ー1815年)は、メイダ伯爵(Count of Maida)に叙せられた。


地下鉄メイダヴェール駅前の環状交差点から
西進するエルギンアベニューを見たところ(その1)
<筆者撮影>


メイダの戦いに勝利したサー・ジョン・ステュアートを讃えるパブ「The Hero of Maida」が、現在のメイダヴェール地区の東南の角に位置するリージェンツ運河(Rengent’s Canal)近くのエッジウェアロード(Edgware Road → 2016年1月30日付ブログで紹介済)沿いで営業しており、このことから、この辺りは「メイダヴェール」と呼ばれるようになった。そして、1860年代後半には、正式に、「メイダヴェール地区」と命名された。

なお、このパブは、1992年に閉店している。


地下鉄メイダヴェール駅前の環状交差点から
西進するエルギンアベニューを見たところ(その2)
<筆者撮影>


メイダヴェール地区内には、ヴィクトリア朝時代やエドワード朝時代に建てられた邸宅が並び、現在は、フラット群と化している。

メイダヴェール地区の東側が、高級住宅街の一つであるセントジョンズウッド地区(St. John’s Wood → 2014年8月17日付ブログで紹介済)と接していることもあって、特に、同地区の東側と南側(リージェンツ運河沿い近辺)は高級住宅街となっている。


画面奥の建物は、エルギンアベニューとランドルフアベニューが交差する
北東の角に建つベイカリー&カフェ「ゲイルズ( Gail's)」
<筆者撮影>


メイダヴェール地区内には、地下鉄のベイカールーライン(Bakerloo Line)が延伸しており、同地区の東側には、地下鉄メイダヴェール(Maida Vale Tube Station)が、また、同地区の南西側には、地下鉄ウォーリックアベニュー駅(Warwick Avenue Tube Station)があり、あまり広くない地区内に、2つの地下鉄の駅が設けられている。


0 件のコメント:

コメントを投稿