![]() |
| ベンジャミン・フランクリンの渡英300周年を記念して、 セントバーソロミュー・ザ・グレイト教会が印刷した冊子 (Painting of from Boston Public Library / Artist : Joseph-Siffrede Duplessis) |
ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin:1706年ー1790年)は、米国の政治家 / 外交官 / 著述家 / 物理学者 / 気象学者である。
印刷業で成功を収めた後、政界へと進出した彼は、1776年に米国独立宣言の起草委員となり、トマス・ジェファースン(Thomas Jefferson:1743年ー1826年 / 後の第3代米国大統領(1801年-1809年))と一緒に、米国独立宣言に最初に署名した5人の政治家のうちの1人だったことから、「アメリカ合衆国建国の父」として称えられている。
1657年に英国ノーザンプトンシャー州(Northamptonshire)のエクトン(Ecton)に生まれたジョサイア・フランクリン(Josiah Franklin:1657年ー1745年)は、当初、1677年に同地でアン・チャイルド(Anne Child)と結婚。
ジョサイアとアンのフランクリン夫妻は、1683年に英国領北米植民地のマサチューセッツ湾植民地(Massachusetts Bay Colony)であるボストン(Boston)へ移民したが、妻のアンが同年7月9日に死去したため、ジョサイア・フランクリンは、同年11月25日にマサチューセッツ湾植民地のナンタケット(Nantucket)出身のアビア・フォルジャー(Abiah Folger:1667年ー1752年)と再婚。
そして、ベンジャミン・フランクリンは、獣脂蝋燭製造業者である父ジョサイア・フランクリンと母アビア・フォルジャーの下、グレゴリオ暦1706年1月17日(ユリウス暦1705年1月6日)、ボストンに出生。ジョサイア・フランクリンは、二度の結婚で17人の子供をもうけているが、ベンジャミン・フランクリンは、15番目の子供だった。
1718年(12歳)に、ベンジャミン・フランクリンは、印刷業を営んでいた兄ジェイムズ(James)の徒弟となる。
1721年(15歳)に、兄ジェイムズがボストンで「ニューイングランドクーラント(The New-England Courant)」紙を発行したことに伴い、ベンジャミン・フランクリンは、次第に記者や編集者として頭角を現したが、1723年(17歳)に、兄ジェイムズとの喧嘩の末に、彼との縁を切り、ボストンを後にして、当初はニューヨークへ赴いたものの、印刷工の職はなかったため、直ぐにフィラデルフィア(Philadelphia)へ移り、職を得た。
その後、ベンジャミン・フランクリンは、フィラデルフィア知事(Philadelphia governor)であるサー・ウィリアム・キース(Sir William Keith:1669年ー1749年)の勧めにより、ロンドン 行きを決意。
お金も、友人も、そして、何の伝手もないまま、ベンジャミン・フランクリンは、1724年(18歳)12月24日にロンドンに到着。
テューダー朝の第5代かつ最後の君主であるエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年 → 2023年6月24日 / 7月2日付ブログで紹介済)による統治時、セントバーソロミュー修道院(Priory of St. Bartholomew)から英国国教会(Church of England)の教会へと変わったセントバーソロミュー・ザ・グレイト教会(The Priory Church of St. Bartholomew the Great → 2026年2月17日 / 2月19日付ブログで紹介済)は、教会の一部を印刷所に貸し出していた。
![]() |
| セントバーソロミュー・ザ・グレイト教会の 建物正面(西側)を見たところ <筆者撮影> |
![]() |
| セントバーソロミュー・ザ・グレイト教会の入口を示す看板 <筆者撮影> |
ベンジャミン・フランクリンは、この印刷所の店主であるサミュエル・パルマー(Samuel Palmer)に植字工(compositor / typesetter)として雇われて、1725年から働き始めた。この植字工が、ベンジャミン・フランクリンにとって、ロンドンにおける最初の仕事だった。
![]() |
| ベンジャミン・フランクリンの渡英300周年を記念して、 セントバーソロミュー・ザ・グレイト教会が印刷した冊子から抜粋 (Photo by samleven on free images.com / Statue by Joseph Brown) |
ベンジャミン・フランクリンがサミュエル・パルマーの下で植字工として働いたのは、1年に満たず、1726年(20歳)に、彼は英国からフィラデルフィアへ戻り、印刷業を再開したのである。






0 件のコメント:
コメントを投稿