2026年2月20日金曜日

ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)- その1

ベンジャミン・フランクリンの渡英300周年を記念して、
セントバーソロミュー・ザ・グレイト教会が印刷した冊子
(Painting of from Boston Public Library /
Artist : Joseph-Siffrede Duplessis)


ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin:1706年ー1790年)は、米国の政治家 / 外交官 / 著述家 / 物理学者 / 気象学者である。

印刷業で成功を収めた後、政界へと進出した彼は、1776年に米国独立宣言の起草委員となり、トマス・ジェファースン(Thomas Jefferson:1743年ー1826年 / 後の第3代米国大統領(1801年-1809年))と一緒に、米国独立宣言に最初に署名した5人の政治家のうちの1人だったことから、「アメリカ合衆国建国の父」として称えられている。


1657年に英国ノーザンプトンシャー州(Northamptonshire)のエクトン(Ecton)に生まれたジョサイア・フランクリン(Josiah Franklin:1657年ー1745年)は、当初、1677年に同地でアン・チャイルド(Anne Child)と結婚。

ジョサイアとアンのフランクリン夫妻は、1683年に英国領北米植民地のマサチューセッツ湾植民地(Massachusetts Bay Colony)であるボストン(Boston)へ移民したが、妻のアンが同年7月9日に死去したため、ジョサイア・フランクリンは、同年11月25日にマサチューセッツ湾植民地のナンタケット(Nantucket)出身のアビア・フォルジャー(Abiah Folger:1667年ー1752年)と再婚。

そして、ベンジャミン・フランクリンは、獣脂蝋燭製造業者である父ジョサイア・フランクリンと母アビア・フォルジャーの下、グレゴリオ暦1706年1月17日(ユリウス暦1705年1月6日)、ボストンに出生。ジョサイア・フランクリンは、二度の結婚で17人の子供をもうけているが、ベンジャミン・フランクリンは、15番目の子供だった。


1718年(12歳)に、ベンジャミン・フランクリンは、印刷業を営んでいた兄ジェイムズ(James)の徒弟となる。

1721年(15歳)に、兄ジェイムズがボストンで「ニューイングランドクーラント(The New-England Courant)」紙を発行したことに伴い、ベンジャミン・フランクリンは、次第に記者や編集者として頭角を現したが、1723年(17歳)に、兄ジェイムズとの喧嘩の末に、彼との縁を切り、ボストンを後にして、当初はニューヨークへ赴いたものの、印刷工の職はなかったため、直ぐにフィラデルフィア(Philadelphia)へ移り、職を得た。


その後、ベンジャミン・フランクリンは、フィラデルフィア知事(Philadelphia governor)であるサー・ウィリアム・キース(Sir William Keith:1669年ー1749年)の勧めにより、ロンドン 行きを決意。

お金も、友人も、そして、何の伝手もないまま、ベンジャミン・フランクリンは、1724年(18歳)12月24日にロンドンに到着。


ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)で販売されている
エリザベス1世の肖像画の葉書
(Unknown English artist / 1600年頃 / Oil on panel
1273 mm x 997 mm) -
エリザベス1世は、王族しか着れない
イタチ科オコジョの毛皮をその身に纏っている。
オコジョの白い冬毛は、「純血」を意味しており、
実際、エリザベス1世は、英国の安定のために、
生涯、誰とも結婚しなかったので、「処女女王」と呼ばれた。
エリザベス1世の」赤毛」と「白塗りの化粧」は、
当時流行したものである。


テューダー朝の第5代かつ最後の君主であるエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年 → 2023年6月24日 / 7月2日付ブログで紹介済)による統治時、セントバーソロミュー修道院(Priory of St. Bartholomew)から英国国教会(Church of England)の教会へと変わったセントバーソロミュー・ザ・グレイト教会(The Priory Church of St. Bartholomew the Great → 2026年2月17日 / 2月19日付ブログで紹介済)は、教会の一部を印刷所に貸し出していた。


セントバーソロミュー・ザ・グレイト教会の
建物正面(西側)を見たところ
<筆者撮影>


セントバーソロミュー・ザ・グレイト教会の入口を示す看板
<筆者撮影>


ベンジャミン・フランクリンは、この印刷所の店主であるサミュエル・パルマー(Samuel Palmer)に植字工(compositor / typesetter)として雇われて、1725年から働き始めた。この植字工が、ベンジャミン・フランクリンにとって、ロンドンにおける最初の仕事だった。


ベンジャミン・フランクリンの渡英300周年を記念して、
セントバーソロミュー・ザ・グレイト教会が印刷した冊子から抜粋
(Photo by samleven on free images.com /
Statue by Joseph Brown)


ベンジャミン・フランクリンがサミュエル・パルマーの下で植字工として働いたのは、1年に満たず、1726年(20歳)に、彼は英国からフィラデルフィアへ戻り、印刷業を再開したのである。


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