2026年2月1日日曜日

ロンドン ギルトスパーストリート(Giltspur Street)- その4

スミスフィールドマーケット側からギルトスパーストリートを望む –
ここからギルトスパーストリートの北側が始まる。
<筆者撮影>


米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が、カーター・ディクスン(Carter Dickson)という別名義で1944年に発表した推理小説で、ヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)シリーズの長編第14作目に該る「爬虫類館の殺人He Wouldn’t Kill Patience → 2025年11月17日 / 11月19日付ブログで紹介済)」の舞台は、第2次世界大戦(1939年-1945年)下の首都ロンドンである。


京創元社が発行する創元推理文庫「爬虫類館の殺人」の表紙
    カバーイラスト:ヤマモト マサアキ
カバーデザイン:折原 若緒
  カバーフォーマット:本山 木犀


ケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens → 2026年1月31日付ブログで紹介済)内にあるロイヤルアルバート動物園(Royal Albert Zoological Gardens)は、世界の蛇、蜥蜴や毒蜘蛛等を集めた爬虫類館で人気を集めていた。ところが、ドイツ軍の爆撃による空襲の脅威下、国家安全保証省(Department of Home Secuirty)からの要請により、閉園の危機を迎える。

園長のエドワード・ベントン(Edward Benton)は、なんとかして、ロイヤルアルバート動物園閉園の危機を乗り越えようといろいろと手を尽くしたものの、閉園の撤回は非常に難しい状況だった。

ロイヤルアルバート動物園閉園の危機を迎えて、気落ちする父エドワード・ベントンを元気づけるため、娘のルイーズ・ベントンは、曾祖父の代から対立している2つの奇術師一家の若き後継者であるケアリー・クイント(Carey Quint - 奇術師の青年)とマッジ・パリサー(Madge Palliser - 奇術師の女性)の2人に手品を披露してもらうべく、1940年9月6日(金)の夕食会に招待した。また、陸軍省の御意見番で、手品を得意とするヘンリー・メリヴェール卿も、同じく招待されたのである。


ギルトスパーストリートの北端にあるWest Smithfield Rotunda Garden -
画面中央奥に中央刑事裁判所が見える。
<筆者撮影>


空襲警報が鳴り響く中、ケアリー・クイント、マッジ・パリサーとヘンリー・メリヴェール卿の3人は、午後8時半頃、ロイヤルアルバート動物園内にある園長の家に到着。

玄関のドアには、鍵がかかっておらず、廊下の突き当たりにある園長エドワード・ベントンの書斎のドアには、「入室無用」の札が掛かっていた。また、ドアは閉じたままで、その下から光は漏れていなかった。

廊下の突き当たりにある園長の書斎を除くと、右の部屋も左の部屋も、ドアが開けっ放しで、夕食会の用意が為されていたものの、誰もいなかった。

ヘンリー・メリヴェール卿とマッジ・パリサーが、夕食を焦がしている臭いを嗅ぎつけると、3人は食堂へと急いだ。食堂内の閉じたオーブンの中では、ロースト料理が焦げていた。誰かが、全部のガスを全開にしていたのである。

慌ててオーブンのスイッチを切る3人であったが、何故か、食堂から廊下へ通じるドアに、鍵がかかっていた。3人以外に、園長の家内に居る誰かに、彼らは食堂内に閉じ込められてしまったのだ。


ギルトスパーストリートを南下する –
画面中央奥に見える建物が中央刑事裁判所。
<筆者撮影>


ケアリー・クイントが奇術用の小道具を使い、ドアの鍵を解錠して、廊下へ出ると、丁度、飼育員のマイク・パーソンズとセントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の医師で、ルイーズ・ベントンの恋人のジャック・リヴァーズが玄関のドアから入って来た。

ジャック・リヴァーズによると、午後7時に、園長のエドワード・ベントン本人から、「夕食会は中止になった」旨の電話連絡があった、とのこと。園長の声の様子に不自然さを感じたジャック・リヴァーズは、病院から駆け付けたのであった。


ヘンリー・メリヴェール卿を含めた5人は、廊下の突き当たりにある園長の書斎のドアを開けようとしたが、鍵がかかっていた。また、中から鍵穴に何かが貼り付けてあるようだった。


ギルトスパーストリートの中間辺り(西側)に建つオフィスビル
<筆者撮影>


廊下に面したドアは、全て、同じ鍵を使っていることを知っているジャック・リヴァーズは、食堂のドアから鍵を抜くと、ヘンリー・メリヴェール卿に手渡した。

ヘンリー・メリヴェール卿が書斎の鍵を解錠して、ドアを開けると、園長のエドワード・ベントンが、一匹の蛇と一緒に、ガス中毒により死亡しているのを発見する。

書斎のドアと窓の全てが内側から厳重に目張りされた「密室(sealed room)」状態で、状況的には、ロイヤルアルバート動物園の閉園を苦にしての自殺としか思えなかった。


そんな最中、園長の娘であるルイーズ・ベントンが戻って来る。



Bank of America Merrill Lynch が以前に入居していたオフィスビル
<筆者撮影>


「今夜、七時頃」彼女は続けた。「ローズマリーとわたし - ローズマリーはメイドです - は、夕食の支度を始めようとしていました。そこへ電話が鳴ったのです。男性の声で、わたしに話があるということでした。彼がいうには …」

(今では誰もが、張り詰め、研ぎ澄まされた注意力で聞いているのをケアリは感じた)

「ドクター・リヴァースが大怪我をしたというのです。ギルトスパー・ストリートで、車が大型トラックと衝突したと。すぐに来られないかといわれました。もちろん」彼女は口ごもった。「わたしは多少、気が動転していました」

「うむ」H・Mは何気ない口調でいった。「続けてくれ」

「わたしは少しも疑いませんでした。場所がとても離れていたことさえも。バート病院の近くだったので、ジャックはそこへ行く途中だと思ったのです。わたしはローズマリーに夕食の支度を続けるようにいい、父にはお客様に事情を話してくれるように頼んで、駆けつけました。

もちろん、電話で告げられたギルトスパーストリート二三一Bなどという住所はありませんでした。その住所を見つけようとあたりをさまよい、次第に絶望してきたところ、思いがけないことにローズマリーが現れたのです。彼女にも同じ声で電話が来て、わたしがドクター・リヴァースの看護をするのを手伝ってほしいといっているから、来てくれないかといったそうなのです」

(白須 清美訳)



ルイーズ・ベントンは、「ジャック・リヴァーズが乗った車が、大型トラックと衝突して、大怪我をした。」と言う謎の電話連絡を受けたのだが、その衝突現場であるギルトスパーストリート(Giltspur Street → 2018年6月9日 / 6月16日 / 6月23日付ブログで紹介済)は、ロンドンの経済活動の中心地であるシティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内に所在して、南北に延びる通りである。


画面左奥へ延びる通りがニューゲートストリート、
画面右奥へ延びる通りがオールドベイリー通り、
画面手前に延びる通りがホルボーン高架橋通りで、
画面左へと延びる通りがギルトスパーストリートである。
画面奥には、中央刑事裁判所が見える。
<筆者撮影>


ギルトスパーストリートの南側は、ニューゲートストリート(New Gate Street → 2018年5月19日付ブログで紹介済)<東側>、オールドベイリー通り(Old Bailey - 中央刑事裁判所(Central Criminal Court → 2016年1月17日付ブログで紹介済)が建っている通り)<南側>およびホルボーン高架橋通り(Holborn Viaduct)<西側>が交差する四つ角から始まり、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Igantius Conan Doyle:1859年-1930年)作「緋色の研究(A Study in Scarlet → 2016年7月30日付ブログで紹介済)」において、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンが初めて出会ったセントバーソロミュー病院を右手(東側)に見て北上し、その北側は肉市場として有名なスミスフィールドマーケット(Smithfield Market)と呼ばれるロータリーに突き当たって終わっている。


ギルトスパーストリートに関連する歴史上の出来事は、以下の2つ。


1つ目は、「ワット・タイラーの乱(Wat Tyler’s Rebellion)」、または、「農民反乱(Peasant’s Revolt)」と呼ばれている反乱である。


プランタジネット朝最後のイングランド王であるリチャード2世(Richard II:1367年ー1400年 在位期間:1377年ー1399年)は、1378年と1380年の2回、百年戦争(Hundred Year’s War:1337年ー1453年 → フランス王国の王位継承をめぐるヴァロワ朝フランス王国とプランタジネット朝 / ランカスター朝イングランド王国の戦い)でフランスに奪われた元イングランド地域の奪還を目指して、欧州大陸へと遠征したものの、目的を達することができなかった。2回にわたる大陸遠征により、膨大な戦費調達が必要となって、リチャード2世は人頭税の導入を図る。


ただし、この人頭税が、上層階級に対しては軽く、逆に下層階級に対しては重い税制だったため、1381年6月、増税に反対する下層階級の農民や労働者が反乱を起こす。屋根瓦職人のワット・タイラー(Wat Tyler:?ー1381年)が、神父のジョン・ボール(John Ball:1338年頃ー1381年)と共に、この反乱に指導者として加わると、勢いを得た反乱軍は、カンタベリー(Cantebury)を占拠した後、ロンドン郊外、続いて、ロンドン市内へと侵入し、カンタベリー大司教や政府の幹部だった財務長官のロバート・イルズと尚書部長官のサイモン・サドベリーを殺害したのである。


なお、ワット・タイラーの半生について、判っていることが非常に少なく、出生時の名前は「ウォルター(Walter)」とされているが、姓に関しては不明で、屋根瓦職人(roof tiler)であったことから、「Tyler」の姓が付けられたものと考えられている。


1381年6月15日に行われた2回目の交渉時、
ワット・タイラーに斬りつけたロンドン市長のウィリアム・ウォルワースの像 -
ホルボーン高架橋に設置されている。
<筆者撮影>


リチャード2世率いる国王軍は、今のギルトスパーストリートがある辺りで、ワット・タイラー達が率いる反乱軍を出迎え、同年6月14日、1回目の交渉が行われ、リチャード2世は、ワット・タイラー達に対して、農民や労働者の要求を保証すると回答した。

ところが、翌日の同年6月15日、2回目の交渉が行われている最中、当時のロンドン市長(Lord Mayor of the City of London / Lord Mayor of London)だったウィリアム・ウォルワース(William Walworth:?ー1385年)によって、ワット・タイラーは突然斬りつけられた。ワット・タイラーは近くにあるセントバーソロミュー教会(St. Bartholomew the Great Church)へ難を逃れようとしたものの、そのまま殺害されてしまったのである。

重要な指導者の一人を失った反乱軍自体も、国王軍によって鎮圧されてしまった。


2つ目は、1666年のロンドン大火(The Great Fire of London → 2018年9月8日 / 9月15日 / 9月22日 / 9月29日付ブログで紹介済)である。


ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が発行した記念切手(その1)


ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメールが発行した記念切手(その2)


ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が発行した記念切手(その3)


ロンドン大火の最後の火が完全に鎮火した場所が、ギルトスパーストリートとコックレーン(Cock Lane→2018年6月30日 / 7月7日付ブログで紹介済)が交差する北西の角にあるパイコーナー(Pye Corner)である。


ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメールが発行した記念切手(その4)


ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が発行した記念切手(その5)


ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が発行した記念切手(その6)


1666年9月2日(日)に発生したロンドン大火は、セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral → 2018年8月18日 / 8月25日 / 9月1日付ブログで紹介済)を含むシティー・オブ・ロンドン一帯を焼き払った後、4日目の同年9月5日(水)になって、火の勢いは漸く弱まり、完全に鎮火したのは、9月6日(木)だった。そして、ロンドン大火の最後の火が完全に鎮火したのが、このパイコーナーであった。


ギルトスパーストリートとコックレーンが交差する
北西の角にあるパイコーナー
<筆者撮影>


現在、パイコーナーには、金色の少年の姿をした記念碑がビルの外壁に設置され、「This Boy is in Memory Put up for the late FIRE of LONDON Occasion’d by the Sin of Gluttony 1666. (この少年の像は、大食という大罪によって引き起こされた先のロンドン大火を記念して設置された。)」という言葉が添えられている。


パイコーナーに建つオフィスビルの外壁に設置されている
The Golden Boy of Pye Corner
<筆者撮影>


パイコーナーに建つオフィスビルの外壁に設置されている
The Golden Boy of Pye Corner の説明板
<筆者撮影>

「大食(Gluttony)」とは、キリスト教における「七つの大罪(Seven Deadly Sins)」のうちの一つである。ロンドン大火は、プディングレーン(Pudding Lane)で出火して、パイコーナーで鎮火しており、「プディング」も「パイ」も食べ物に関連しているため、「大食」という大罪に結び付けられたものと、一説には言われている。



プディングレーン沿いに建つオフィスビルの外壁に設置されているロンドン大火の記念プレートで、
ロンドン大火が発生した王室御用達のパン屋であるトマス・ファリナーの店が
近くにあったことを示している。
<筆者撮影>


なお、「The Golden Boy of Pye Corner」と呼ばれるロンドン大火の記念碑は、元々、ここで営業していたパブ「The Fortune of War」の入口に設置されていたが、1910年にパブが取り壊されたため、現在は、その後に建てられたオフィスビルの 1st Floor(日本の2階)に該る外壁に設置されているのである。