2024年9月30日月曜日

ミス・マープルの世界<ジグソーパズル>(The World of Miss Marple )- その20B

ビル・ブラッグ氏Mr. Bill Braggが描く
ミス・マープルシリーズの長編第12作目で、最後の作品である
「スリーピングマーダー」の一場面


ビル・ブラッグ氏によるイラストには、

画面奥から、ヒルサイド荘、グエンダ・ハリディー・リード、

そして、テラスの先にある庭に埋められたヘレン・ハリディーの死体が、

斜めに結ばれるように描かれている。

Harper Collins Publishers 社から出版されている

「スリーピングマーダー」のペーパーバック版の表紙には、

ビル・ブラッグ氏によるイラストが、

毒薬が入った瓶の形に切り取られているものが使用されている。


新婚のグエンダ・ハリデイー・リード(Gwenda Halliday Reed - 21歳)は、夫のジャイルズ(Giles Reed)より一足先に、ニュージーランドを出発して、英国を訪れると、イングランドの南海岸で新居探しを始めた。

まもなく、ディルマス(Dillmouth)においてヴィクトリア朝風のヒルサイド荘(Hillside)を見つけて、一目で気に入った彼女は、早速、その家を購入すると、業者を呼んで、改装工事を進めた。改装工事の間、彼女は、子供部屋だった場所で寝起きをした。

グエンダにとって、ヒルサイド荘は初めての家の筈にもかかわらず、何故か、家の隅々まで全て知り尽くしているような感じがして、次第に不安の思いに囚われていく。更に、業者が古い戸棚を開けると、そこには、彼女が思っていたような模様の壁紙が現れたのである。


その後、夫ジャイルズの従兄弟で、ロンドンに住むレイモンド・ウェスト(Raymond West → 2024年8月12日付ブログで紹介済)夫妻からの招待に応じて、グエンダはロンドンへと出向く。

彼女は、ウェスト夫妻とレイモンドの伯母であるミス・マープルと一緒に、芝居「モルフィ公爵夫人」の観劇に出かけた際、劇中で「女の顔を覆え。目が眩む。彼女は、若くして亡くなった。(Cover her face; mine eyes dzzle; she died young)」と言う台詞を聞いた途端、グエンダは、悲鳴を上げると、劇場から逃げ出してしまう。

自分が狂ったのではないかと思い悩むグエンダは、ミス・マープルに対して、これまでに起きたことを全て、正直に打ち明けた。何故ならば、彼女は、芝居「モルフィ公爵夫人」の台詞を聞いた際、ヒルサイド荘において、ある男が、ヘレン(Helen)と言う名前の金髪の女性の首を締めながら、同じ言葉を漏らしていたことを思い出したのである。


グエンダは、元々、父親が駐在していたインドで生まれたが、母親が亡くなったため、幼い頃から、ニュージーランドに居る母方の伯母に預けられ、育てられた。父親は、母親が無くなった数年後に、他界していた。

グエンダからの話を聞いたミス・マープルは、グエンダが、父親と彼の後妻と一緒に、英国に住んでいたのではないかと示唆して、それが事実であることを突き止める。グエンダの母親の死後、インドから英国へと戻る途中、父親はヘレン・ハリディー(Helen Halliday - 旧姓:ケネディー(Kennedy))と出会い、船上でのロマンスを経て、英国到着後に結婚し、二人は、ヘレンが生まれ育ったディルマスに家(ヒルサイド荘)を借りて住んでいた。グエンダは、18年前のまだ幼い頃、ヒルサイド荘を訪れたことがあったのである。


グエンダは、自分の頭に浮かぶ恐怖のイメージと劇の台詞について、考え込む。果たして、ヘレンを絞殺する男のイメージは、本当の記憶なのだろうか?


彼女の夫であるジャイルズが、ニュージーランドから英国に到着したので、グエンダは、彼と一緒に、この謎を更に調べていこうと決心したのであった。


(55)「モルフィ公爵夫人」のプログラム(playbill for The Duchess of Malfi)



(55)「モルフィ公爵夫人」のプログラム(playbill for The Duchess of Malfi)


夫ジャイルズ・リードの従兄弟に該るレイモンド・ウェスト夫妻からの招待に応じて、ロンドンへと出向いたグエンダ・ハリデイー・リードは、ウェスト夫妻とレイモンドの伯母であるミス・マープルと一緒に、芝居「モルフィ公爵夫人」の観劇に出かけた。

劇中、出演者が「女の顔を覆え。目が眩む。彼女は、若くして亡くなった。」と言うのを聞いた途端、グエンダは、悲鳴を上げて、劇場から逃げ出してしまった。

それは、芝居「モルフィ公爵夫人」中の台詞を聞いた際、ヒルサイド荘において、ある男が、ヘレンと言う名前の金髪の女性の首を締めながら、同じ言葉を漏らしていたことを、彼女が思い出したからであった。


「モルフィ公爵夫人」は、英国のテューダー朝(House of Tudor)末期からステュアート朝(House of Stuart)にかけて活動した劇作家であるジョン・ウェブスター(John Webster:1580年ー1634年)が1614年頃に執筆した悲劇で、彼の代表作の一つである。


(56)青いヤグルマギクの壁紙(wallpaper with blue cornflower)



ジャイルズ・リードと結婚し、夫より一足先に、ニュージーランドを出て、イングランドの南海岸で新居探しを始めたグエンダ・ハリデイー・リードは、ディルマスにおいて、ヴィクトリア朝風のヒルサイド荘を見つけて、一目で気に入ってしまう。

グエンダは、早速、その家を購入すると、業者を呼んで、改装工事を始めた。彼女にとって、ヒルサイド荘は初めての家の筈にもかかわらず、何故か、家の隅々まで全て知り尽くしているような感じがしてならない。業者が古い戸棚を開けると、そこには、何故か、彼女が思っていたような青いヤグルマギクの壁紙が現れたのだ。


(57)庭用噴霧器(garden syringe)



ヘレン・ハリディーの死体を発見するために、警察がヒルサイド荘のテラスの先にある庭を掘り起こしている間、グエンダ・ハリデイー・リードが室内に一人で居ると、真犯人が彼女に近づいて来て、彼女を毒殺しようとする。彼女の毒殺に失敗した真犯人は、次の手段として、首を絞めて、殺害しようとした。

そこへ、石鹸駅が入った庭用噴霧器(花や葉に水を霧状にして散布する機器)を持ったミス・マープルが姿を現して、真犯人の目に向け、噴霧器を噴射し、真犯人の企てを阻止したのである。


(58)サンシキヒルガオ(bindweed)



ヘレン・ハリディーの死体が埋められたヒルサイド荘のテラスの先にある庭には、サンシキヒルガオが咲いている。


                                  

2024年9月29日日曜日

ロンドン ホールロード10番地(10 Hall Road)

「シャロット姫」を描いた英国の画家で有るジョン・ウィリアム・ウォーターハウスが住んでいた
ホールロード10番地の建物外観(その1)


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1962年に発表したミス・マープルシリーズ作品の長編第8作目「鏡は横にひび割れて(Mirror Crack’d from Side to Side)」の題名は、ヴィクトリア朝時代に活躍した英国の詩人である初代テニスン男爵アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson, 1st Baron Tennyson:1809年ー1892年)による詩「シャロット姫(The Lady of Shalott → 2024年9月27日付ブログで紹介済)」をベースにしている。


英国の Harper Collins Publishers 社から出版されている
アガサ・クリスティー作ミス・ジェイン・マープルシリーズ
「鏡は横にひび割れて」のペーパーバック版の表紙
<イラスト:ビル・ブラッグ氏(Mr. Bill Bragg)>


Out flew the web and floated wide -

The mirror crack’d from side to side;

“The curse is come upon me,” cried

The Lady of Shalott.


織物はとびちり、ひろがれり

鏡は横にひび割れぬ

「ああ、呪いがわが身に」と、

シャロット姫は叫べり。

橋本福夫訳


グローヴエンドロードを過ぎて、
サーカスロードから名前が変わったホールロードを南下する(その1)

英国の画家であるジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse:1849年ー1917年)が、初代テニスン男爵アルフレッド・テニスンによる詩「シャロット姫」におけるクライマックスの場面を、1888年に「シャロット姫(The Lady of Shalott → 2024年9月28日付ブログで紹介済)」として描いている。


グローヴエンドロードを過ぎて、
サーカスロードから名前が変わったホールロードを南下する(その2)

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスが住んでいた家が、ロンドンの中心部に所在するシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内にある。


グローヴエンドロードを過ぎて、
サーカスロードから名前が変わったホールロードを南下する(その3)-
前方に見える左右に延びる通りは、メイダヴェール通り。

地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station)からロンドン北西部に所在する高級住宅地区であるセントジョンズウッド地区(St. John’s Wood → 2014年8月17日付ブログで紹介済)へと向かい、リージェンツパーク(Regent’s Park → 2016年11月19日付ブログで紹介済)を右手にしつつ、ベイカーストリート(Baker Street → 2016年10月1日付ブログで紹介済)、パークロード(Park Road)、そして、ウェリントンロード(Wellington Road)を北上する。

進行方向左手に見えるローズクリケット場(Lord’s Cricket Ground)を過ぎ、地下鉄セントジョンズウッド駅(St. John’s Wood Tube Station)を目前にしたところで、ウェリントンロードからサーカスロード(Circus Road)へと左折する。

南西方向へ下るサーカスロードは、交差するグローヴエンドロード(Grove End Road)を過ぎると、ホールロード(Hall Road)へと名前を変える。

更に、ホールロードを南西方向へと下り、交差するメイダヴェール通り(Maide Vale)へ達する前の進行方向右手に、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスが住んでいたホールロード10番地(10 Hall Road, Maida Vale, London NW8 9PD)の建物がある。


ホールロード10番地の建物外観(その2)

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは、1849年4月6日、画家の両親であるウィリアム・ウォーターハウス(William Waterhouse)とイザベラ・ウォーターハウス(Isabella Waterhouse)の子として、ローマ(Rome)に出生。

彼が5歳の時(1854年)、ウォーターハウス一家は、英国へと戻り、当時設立されて間もないヴィクトリア&アルバート美術館(Victoria and Albert Museum)に近い、ロンドンのサウスケンジントン地区(South Kensington)に住む。

少年期、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは、画家である父ウィリアムの元で絵画を学び、1871年に英国王立美術院(Royal Academy)に入学した後、彫刻、その後、絵画を学んだ。


ホールロード10番地の建物外観(その3)

1874年、25歳になったジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは、寓意画「眠りと異母兄弟の死(Sleep and his Half-brother Death)」を英国王立美術院の夏の展示会において発表して、好評を得る。

これにより、彼は、以降、1890年と1915年の2回を除き、1917年に死去するまでの毎年、英国王立美術院の展示会へ招かれた。


ホールロード10番地の建物外観(その4)

1883年、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは、ロンドンのイーリング(Ealing)に住む美術教師の娘であるエステル・ケンワージー(Esther Kenworthy:1857年ー1944年)と結婚。エステル・ケンワージー自身も、絵画を英国王立美術院の展覧会等に出品している。

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスが、初代テニスン男爵アルフレッド・テニスンによる詩「シャロット姫」におけるクライマックスの場面を、「シャロット姫」として描いていたのは、1888年である。


ホールロード10番地の建物外観(その5)

1895年に、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは、英国王立美術院の最高芸術院会員(full Academician)へと選出される。

彼は、セントジョンズウッド美術学校(St. John’s Wood Art School)で教鞭を執り、セントジョンズウッド芸術クラブ(St. John’s Wood Arts Club)にも参加。

その後、彼は、英国王立美術院評議会(Royal Academy Council)にも所属。


ホールロード10番地の建物外壁には、
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスが
1900年から1917年までの間、
ここに住んでいたことを示すブループラークが架けられている。

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは、1915年頃には癌に侵され、それでも絵を描き続けたが、2年後の1917年2月10日に死去、享年67歳だった。

彼の遺体は、ケンサルグリーン墓地(Kensal Green Cemetery → 2023年12月15日付ブログで紹介済)に葬られた。 


2024年9月28日土曜日

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス作「シャロット姫」(The Lady of Shalott by John William Waterhouse)

テイト・ブリテン美術館(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)で購入した
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス作「シャロット姫」(1888年)の絵葉書
Oil paint on canvas
153 cm x 200 cm
Presented by Sir Henry Tate in 1894

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1962年に発表したミス・マープルシリーズ作品の長編第8作目「鏡は横にひび割れて(Mirror Crack’d from Side to Side)」の題名は、ヴィクトリア朝時代に活躍した英国の詩人である初代テニスン男爵アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson, 1st Baron Tennyson:1809年ー1892年)による詩「シャロット姫(The Lady of Shalott → 2024年9月27日付ブログで紹介済)」をベースにしている。

英国の Harper Collins Publishers 社から出版されている
アガサ・クリスティー作ミス・ジェイン・マープルシリーズ
「鏡は横にひび割れて」のペーパーバック版の表紙
<イラスト:ビル・ブラッグ氏(Mr. Bill Bragg)>

Out flew the web and floated wide -

The mirror crack’d from side to side;

“The curse is come upon me,” cried

The Lady of Shalott.


織物はとびちり、ひろがれり

鏡は横にひび割れぬ

「ああ、呪いがわが身に」と、

シャロット姫は叫べり。

橋本福夫訳


シャロット姫(The Lady of Shalott)は、自身の部屋に幽閉され、外へ出ることができないことに加えて、自分の目で、直接、外の世界を見ることを禁じられた生活を送っていた。彼女には、自分の目で、直接、外の世界を見た場合、生きてはいられないと言う呪いがかかっていたのである。

彼女ができることは、鏡を通じて、外の世界を見るだけで、鏡に映ったものを、ひなが一日中、タペストリーへと織っているのであった。そのため、鏡に映る恋人達の姿を見たシャロット姫は、深く絶望した。

ある日、円卓の騎士の一人であるサー・ランスロット(Sir Lancelot)が愛馬に乗る姿を鏡越しに見たシャロット姫は、思わず、アーサー王(King Arthur)のキャメロット城(Camelot Castle)の方を自分の目で直接見てしまう。すると、すぐさま、恐ろしい呪いがシャロット姫に降りかかった。

嵐が吹き荒ぶ中、シャロット姫は、自身の部屋から脱出すると、舟に乗り、キャメロット城を目指す。死を目前にしたシャロット姫は、哀歌を歌う。

シャロット姫の亡骸は、キャメロット城の騎士達や貴婦人達に発見される。その中には、サー・ランスロットも居た。サー・ランスロットは、シャロット姫の魂を哀れんで、神に祈りを捧げるのであった。


英国の画家であるジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse:1849年ー1917年)は、初代テニスン男爵アルフレッド・テニスンによる詩「シャロット姫」におけるクライマックスの場面を、1888年に「シャロット姫(The Lady of Shalott)」として描いている。

サー・ランスロットの愛を得られぬため、悲しみのあまり、死を選ぶ乙女を描いた同作品は、彼の最も有名な代表作となっている。

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは、1888年の作品に加えて、シャロット姫を題材にした作品を他に2種類描いている。


*「ランスロットを見つめるシャロット姫」(1894年)

*「影の世界はもううんざりと、シャロット姫は言う」(1915年)


ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス作「シャロット姫」(1888年)には、自分の目で、直接、外の世界を見た場合、生きてはいられないと言う定めを破り、外の世界、特に、サー・ランスロットを見てしまったシャロット姫が、サー・ランスロットが居るキャメロット城を目指して、舟で向かうクライマックス場面が描かれており、細部の正確な描写と鮮やかな色彩を特徴としている。


嵐が吹き荒ぶ闇の中を出発したため、舟の舳先には、ランタンが掛けられている。

船首の手前には、イエス・キリスト磔刑像の十字架が置かれている。

また、十字架の近くには、3本の蝋燭が立てられているが、そのうちの2本は、既に火が消えている。蝋燭は「生命」の象徴であり、シャロット姫の死が間近であることを意味している。

シャロット姫が着る純白のドレスと舟にかけられた色鮮やかなタペストリーが、背後に迫る暗がりとの対比を際立たせているのである。


2024年9月27日金曜日

アルフレッド・テニスン作「シャロット姫」(The Lady of Shalott by Alfred Tennyson)

横にひび割れた鏡 -
ジグソーパズル「アガサ・クリスティーの世界(The World of Agatha Christie)」の一部


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1962年に発表したミス・マープルシリーズ作品の長編第8作目「鏡は横にひび割れて(Mirror Crack’d from Side to Side)」では、「ゴシントンホール(Gossington Hall - ミス・マープルの親友であるドリー・バントリー(Dolly Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)が所有していた邸宅)」を購入して、最近、セントメアリーミード村(St. Mary Mead)に引っ越して来た米国の映画女優であるマリーナ・グレッグ(Marina Gregg)と彼女の夫で、映画監督であるジェイスン・ラッド(Jason Rudd)が開催したセントジョン野戦病院協会(St. John Ambulance)支援パーティーの席上、マリーナ・グレッグを捕まえて、長い昔話を始めた同協会の幹事を務めるヘザー・バドコック(Mrs. Heather Badcock)が、突然倒れて、死亡してしまう事件が発生する。

スコットランドヤードのダーモット・クラドック主任警部(Chief Inspector Dermot Craddock)が捜査を担当し、検死解剖の結果、ヘザー・バドコックの死因は、推奨量の6倍もの精神安定剤を摂取したことによるもので、その精神安定剤は、マリーナ・グレッグが持っていたダイキリ(daiquiri)のグラス内に混入されており、自分の飲み物をこぼしたヘザー・バドコックに対して、マリーナ・グレッグがそのグラスを手渡したのであった。


ヘザー・バドコックとマリーナ・グレッグの会話を近くで聞いていたドリー・バントリーは、ヘザー・バドコックが長話をしている間、マリーナ・グレッグが非常に奇妙な表情を浮かべていたことに気付いた。

その違和感について、ドリー・バントリーは、セントジョン野戦病院協会支援パーティーに参加できなかったミス・マープルに対して、説明を行う。


「そうではなくて、マリーナ・グレッグの顔をよ。バドコックという女の話なんか、ひとことも聞いていなかったみたいな顔つきをしていたわ。相手の肩ごしに正面の壁を見つめているのよ。その見つめかたがねえ - どうにもわたしには説明できそうにないわ」

「そんなことを言わないで、なんとか努力してみてよ」とミス・マープルは言った。「そこのところが重要な点かもしれないのだから」

「一種の凍りついたような表情だったわ」と彼女は言葉をさがしさがし説明しようとした。「まるで、なにかを見たみたいな - 情景を描写するなんてむずかしいものなのねえ。ああ、そうだわ、『レディ・オブ・シャロット』をおぼえていない?鏡は横にひび割れぬ。”ああ、わが命運もつきたり”と、シャロット姫は叫べり。マリーナもそういった表情をしていたのよ。近頃の人はテニスンなんて古臭いというけれど、わたしは若いときには心をときめかせて『レディ・オブ・シャロット』を読んだものだし、いまだってそうなのよ」

「凍りついたような表情をしていたのね」ミス・マープルは考えこんだ。

(橋本福夫訳)


英国の Harper Collins Publishers 社から出版されている
アガサ・クリスティー作ミス・ジェイン・マープルシリーズ
「鏡は横にひび割れて」のペーパーバック版の表紙
<イラスト:ビル・ブラッグ氏(Mr. Bill Bragg)>


アガサ・クリスティー作「鏡は横にひび割れて」の題名は、初代テニスン男爵アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson, 1st Baron Tennyson:1809年ー1892年)による詩「シャロット姫(The Lady of Shalott)」をベースにしている。


Out flew the web and floated wide -

The mirror crack’d from side to side;

“The curse is come upon me,” cried

The Lady of Shalott.


織物はとびちり、ひろがれり

鏡は横にひび割れぬ

「ああ、呪いがわが身に」と、

シャロット姫は叫べり。

橋本福夫訳


アルフレッド・テニスンは、ヴィクトリア朝時代に活躍した英国の詩人で、1809年8月6日、英国リンカンシャー州(Lincolnshire)サマズビー(Somersby)に、牧師の子として出生。

彼は、1827年にケンブリッジ大学(University of Cambridge)のトリニティーカレッジ(Trinity College)へ入学して、1831年まで学んだ。


アルフレッド・テニスンは、1830年に単独の詩集となる「Poems Chiefly Lyrical」を発表した後、1832年に詩「シャロット姫」を発表するも、酷評の憂き目に遭い、以降、約10年間沈黙してしまう。


1842年に発表した詩集「Poems by Alfred Tennyson」で復活したアルフレッド・テニスンは、1847年に叙事詩「The Princess」を発表すると、1850年には、英国の代表的なロマン派詩人であるウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth:1770年ー1850年)の後継者として、「桂冠詩人(宮廷職で、優れた詩人に与えられる称号)」となる。

その後も各種の詩の発表を行った彼は、1884年にテニスン男爵(Baron Tennyson)に叙せられた。


初代テニスン男爵アルフレッド・テニスンは、1892年10月6日に死去し、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)に埋葬された。


2024年9月26日木曜日

ミス・マープルの世界<ジグソーパズル>(The World of Miss Marple )- その20A

英国の Orion Publishing Group Ltd. から2024年に発行されている「ミス・マープルの世界(The World of Miss Marple)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているミス・ジェイン・マープル(Miss Jane Marple)シリーズの登場人物や各作品に関連した68個の手掛かりについて、前回に引き続き、順番に紹介していきたい。


今回も、ミス・マープルが登場する作品に関連する手掛かりの紹介となる。


(55)「モルフィ公爵夫人」のプログラム(playbill for The Duchess of Malfi)



「モルフィ公爵夫人」のプログラムが、ジズソーパズルの右下に立つスラック警部(Inspector Slack → 2024年8月20日付ブログで紹介済)の背後の地面の上に落ちている。

なお、「モルフィ公爵夫人」は、英国のテューダー朝(House of Tudor)末期からステュアート朝(House of Stuart)にかけて活動した劇作家であるジョン・ウェブスター(John Webster:1580年ー1634年)が1614年頃に執筆した悲劇で、彼の代表作の一つである。


(56)青いヤグルマギクの壁紙(wallpaper with blue cornflower)



青いヤグルマギクの壁紙が、ジズソーパズルの右上に建つ家の扉口のところに立っているホテルのドア係の後ろの壁に貼られている。


(57)庭用噴霧器(garden syringe)



庭用噴霧器(花や葉に水を霧状にして散布する機器)が、ジズソーパズルの左下に立つドリー・バントリー(Mrs. Dolly Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)と夫のアーサー・バントリー大佐(Colonel Arthur Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)の右側にあるテーブルの下の段に置かれている。


(58)サンシキヒルガオ(bindweed)



サンシキヒルガオが、ジズソーパズルの右下に立つルーシー・アイルズバロウ(Lucy Eyelesbarrow → 2024年8月10日付ブログで紹介済)の左後ろの花壇内に生えている。


これらから連想されるのは、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1976年に発表したミス・マープルシリーズ作品の「スリーピングマーダー(Sleeping Murder)」である。本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第66作目に該り、ミス・マープルシリーズの長編のうち、第12作目で、かつ、最後の作品である。


ビル・ブラッグ氏Mr. Bill Braggが描く
ミス・マープルシリーズの長編第12作目で、最後の作品である
「スリーピングマーダー」の一場面


ビル・ブラッグ氏によるイラストには、

画面奥から、ヒルサイド荘、グエンダ・ハリディー・リード、

そして、テラスの先にある庭に埋められたヘレン・ハリディーの死体が、

斜めに結ばれるように描かれている。

Harper Collins Publishers 社から出版されている

「スリーピングマーダー」のペーパーバック版の表紙には、

ビル・ブラッグ氏によるイラストが、

毒薬が入った瓶の形に切り取られているものが使用されている。


                               

2024年9月25日水曜日

アガサ・クリスティー作「鏡は横にひび割れて」に出てくるロンドンの地名

スコットランドヤードのダーモット・クラドック主任警部は、事件捜査のため、
ハムステッドヒース近くに建つキーツハウスの前で、
モデルの写真撮影をしていた女流写真家の
マーゴット・ベンスの元を訪れる。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1962年に発表したミス・マープルシリーズ作品の「鏡は横にひび割れて(Mirror Crack’d from Side to Side)」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第53作目に該り、ミス・マープルシリーズの長編のうち、第8作目に該っている。


ビル・ブラッグ氏Mr. Bill Braggが描く
ミス・マープルシリーズの長編第8作目である
「鏡は横にひび割れて」の一場面


ビル・ブラッグ氏によるイラストには、

野戦病院協会支援のパーティーの席上、

米国の映画女優であるマリーナ・グレッグと

同協会の幹事であるヘザー・バドコックが会話をしているシーンが描かれている。

Harper Collins Publishers 社から出版されている

「鏡は横にひび割れて」のペーパーバック版の表紙には、

ビル・ブラッグ氏によるイラストが、

バドコック夫人が飲んで死亡する原因となった

推奨量の6倍もの精神安定剤が混入されたダイキリのグラスの形に

切り取られているものが使用されている。


同作品の場合、気管支炎に罹患して、身体がひどく衰弱したミス・マープルのことを心配したヘイドック医師(Dr. Haydock → 2024年8月18日付ブログで紹介済)の進言もあり、甥のレイモンド・ウェスト(Raymond West → 2024年8月12日付ブログで紹介済)が手配したミス・ナイト(Miss Knight)が、ミス・マープルに対して、付き添いの介護をしているところから、物語が始まる。

ミス・ナイトに加えて、セントメアリーミード村(St. Mary Mead)の新住宅地へ、夫のジム・ベイカー(Jim Baker)と一緒に引っ越して来たのが、チェリー・ベイカー(Cherry Baker → 2024年8月10日付ブログで紹介済)が、通いのメイドとして働いている。チェリー・ベイカーが、ミス・マープルのコテージ内の清掃を、また、彼女の夫のジム・ベイカーが、その他諸々の雑事を担当する。


そんな彼らの監視下をなんとか逃れたミス・マープルは、セントメアリーミード村内を散歩中に転んでしまうが、新住宅地の住民で、セントジョン野戦病院協会(St. John Ambulance)の幹事を務めるヘザー・バドコック(Mrs. Heather Badcock)に助けてもらった。

二人で紅茶を飲んでいる最中、ミス・マープルは、バドコック夫人から、「ゴシントンホール(Gossington Hall - ミス・マープルの親友であるドリー・バントリー(Dolly Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)が所有していた邸宅)」を購入して、最近、セントメアリーミード村に引っ越して来た米国の映画女優であるマリーナ・グレッグ(Marina Gregg)に、以前、会ったことがある。」という話を聞かされた。


セントメアリーミード村に引っ越して来たマリーナ・グレッグと彼女の夫で、映画監督であるジェイスン・ラッド(Jason Rudd)は、セントジョン野戦病院協会支援のためのパーティーを開催する。

そのパーティーには、以下の人物が招待されていた。


(1)バントリー夫人

(2)ローラ・ブルースター(Lola Brewster - 米国の映画女優で、マリーナの元夫と結婚)

(3)アードウィック・フェン(Ardwyck Fenn - マリーナの友人で、以前、マリーナと交際していた過去がある)

(4)ヘザー・バドコック

(5)アーサー・バドコック(Arthur Badcock - ヘザーの夫)


パーティーの席上、バドコック夫人は、マリーナを捕まえると、長い昔話を始めた。

バドコック夫人によると、数年前にマリーナがバミューダ(Bermuda)を訪れた際、当時そこで働いていた自分と会ったことがある、とのことだった。その時、バドコック夫人は病気だったが、マリーナの大ファンだったため、病床を推して、マリーナに会いに行き、彼女からサインをもらったと言う。

バドコック夫人とマリーナの二人の会話を近くで聞いていたバントリー夫人は、バドコック夫人が話している間、マリーナが非常に奇妙な表情を浮かべていたことに気付いた。

そうこうしていると、バドコック夫人が突然倒れて、死亡してしまったのである。


スコットランドヤードのダーモット・クラドック主任警部(Chief Inspector Dermot Craddock)/ ウィリアム・ティドラー部長刑事(Sergeant William Tiddler)、そして、地元警察のフランク・コーニッシュ警部(Inspector Frank Cornish)が捜査を担当する。

検死解剖の結果、バドコック夫人の死因は、推奨量の6倍もの精神安定剤を摂取したことによるもので、その精神安定剤は、マリーナが持っていたダイキリ(daiquiri)のグラス内に混入されており、自分の飲み物をこぼしたバドコック夫人に対して、マリーナがそのグラスを手渡したのであった。

ということは、実際には、マリーナ・グレッグの命が狙われていて、バドコック夫人は、その巻き添えに会ったということなのか?


スコットランドヤードのダーモット・クラドック主任警部は、セントジョン野戦病院協会支援パーティーに出席していた人物を訪ねるため、セントメアリーミード村からロンドンへと出かけている。

今回、ダーモット・クラドック主任警部による捜査の過程で出てきたロンドンの地名について、紹介したい。


ダーモット・クラドック主任警部は、新聞記者であるドナルド・マックニールに会った後、


(1)ローラ・ブルースター

(2)アードウィック・フェン

(3)マーゴット・ベンス(Margot Bence:女流写真家)


の元を順に訪れている。


(1)

ローラ・ブルースターは、サヴォイホテル(Savoy Hotel)の800号室に宿泊していた。


サヴォイホテルの正面玄関(その1)

サヴォイホテルの正面玄関(その2)


サヴォイホテルは実在のホテルで、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にあり、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からロンドンの経済活動の中心地であるシティー(City → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)に向かって東に延びるストランド通り(Strand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)沿いに建っている。



(2)

アードウィック・フェンは、ドーチェスターホテル(Dorchester Hotel)2階の190号室に宿泊していた。

ドーチェスターホテルについては、別途、個別に紹介する予定。


パークレーンの反対側から、ドーチェスターホテルを望む


ドーチェスターホテルは、シティー・オブ・ウェストミンスター区のメイフェア地区(Mayfair)内にあり、パークレーン(Park Lane)沿いに建っている。



(3)

マーゴット・ベンスは、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road → 2014年12月27日 / 2015年8月15日付ブログで紹介済)から横に入った袋小路(具体的な場所は不明)に、写真スタジオを持っていた。


トッテナムコートロードの南側を望む


トッテナムコートロードの北側を望む


トッテナムコートロードは、ロンドンのブルームズベリー地区(Bloomsbury)内にある。南側は、東西に走るオックスフォードストリート(Oxford Street → 2016年5月28日付ブログで紹介済)と南北に延びるチャリングクロスロード(Charing Cross Road)が交差するところから始まり、北側は東西に走るユーストンロード(Euston Road)で終わる通りで、シティー・オブ・ウェストミンスター区とロンドン・カムデン特別区(London Borough of Camden)の境界付近にある。現状、南側から北側へ向かう一方通行の通りとなっている。



ダーモット・クラドック主任警部がマーゴット・ベンスのスタジオを訪ねた際、写真撮影のため、彼女は不在だった。

スタジオに居た彼女のマネージャーであるジョニー・ジョスローが、ダーモット・クラドック主任警部を車に乗せて、トッテナムコートロードを出発すると、カムデンタウン(Camden Town)経由、ハムステッドヒース(Hampstead Heath → 2015年4月25日付ブログで紹介済)の近くにあるキーツハウス(Keats House → 2018年10月7日 / 10月14日付ブログで紹介済)の前にモデルを立たせ、写真撮影をしていたマーゴット・ベンスの元へと案内してくれたのである。


キーツハウス内の庭園から見たキーツハウスの全景


キーツハウスは、英国のロマン主義の詩人であるジョン・キーツ(John Keats:1795年ー1821年)が住んでいた家で、現在、博物館として一般に公開されている


英国の出版社である Faber & Faber Ltd. から
2016年に出版されている
「ジョン・キーツ詩集」の表紙
(Series design by Faber /
Illustration by Angela Harding)


なお、キーツハウスは、ロンドン・カムデン特別区の高級住宅街ハムステッド地区(Hampstead→2018年8月26日付ブログで紹介済)内に所在している。