2024年8月6日火曜日

ロンドン ブラックフライアーズ橋(Blackfriars Bridge) - その1

英国のロイヤルメール(Royal Mail)から
2002年9月10日に発行された
記念切手「ロンドンの橋(The Bridges of London)」のうちの
1枚である「ブラックフライアーズ橋」


作家 / 編集者であるニック・カイム(Nick Kyme)作「シャーロック・ホームズ / 遺産」(Sherlock Holmes : The Legacy of Deeds → 2024年7月8日 / 7月14日 / 7月19日 / 7月23日付ブログで紹介済) の場合、物語中で発生した一連の事件は、ブラックフライアーズ橋(Blackfriars Bridge) において決着する。


ブラックフライアーズ橋は、テムズ河(River Thames)北岸にあるシティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)とテムズ河南岸にあるロンドン特別区の一つであるサザーク区(London Borough of Southwark)を結ぶ橋である。


英国のロイヤルメールから2002年9月10日に発行された
記念切手「ロンドンの橋」に付されている地図を抜粋。

ブラックフライアーズ橋の上流には、ウォータールー橋(Waterloo Bridge → 2014年10月24日付ブログで紹介済)が、そして、ブラックフライアーズ橋の下流には、ミレニアム橋(Millennium Bridge)やサザーク橋(Southwark Bridge → 2022年2月26日付ブログで紹介済)が架かっている。


テムズ河北岸のヴィクトリア エンバンクメント通り(Victoria Embankment)の歩道から、
「ウォータールー橋」を見上げたところ
<筆者撮影>


英国のロイヤルメールから2002年9月10日に発行された
記念切手「ロンドンの橋」のうちの
1枚である「ミレニアム橋」


テムズ河南岸のバンクサイド通り(Bank Side)の歩道から、
「サザーク橋」を見上げたところ
<筆者撮影>


最初のブラックフライアーズ橋は、


<デザイン>

スコットランド出身の建築家 / 技師であるロバート・ミルン(Robert Mylne:1733年ー1811年)

<設計>

英国の建築家 / 技師であるジョン・グイン(John Gwynn:1713年ー1786年)

英国の建築家 / 測量技師であるジョージ・ダンス(George Dance:1741年ー1825年)


に基づき、9年間の工事を経て、ポートランド石(Portland stone)でできた9つの半円アーチから成る約300mの橋が、1769年に竣工。

当時、ロンドン中心部において、テムズ河に架かる3番目の橋だった。ちなみに、ブラックフライアーズ橋の前に、ロンドン橋(London Bridge)とウェストミンスター橋(Westminster Bridge)が完成している。


英国のロイヤルメールから2002年9月10日に発行された
記念切手「ロンドンの橋」のうちの
1枚である「ロンドン橋」

英国のロイヤルメールから2002年9月10日に発行された
記念切手「ロンドンの橋」のうちの
1枚である「ウェストミンスター橋」


こうして、有料橋(toll bridge)として開通したブラックフライアーズ橋は、1766年から1768年までの間、首相を務めた英国の政治家 / 貴族である初代チャタム伯爵ウィリアム・ピット(William Pitt, 1st Earl of Chatham:1708年ー1778年)に因んで、当初、「ウィリアム・ピット橋(William Pitt Bridge)」と呼ばれたが、橋の近くにブラックフライアーズ修道院(Blackfriars Monastery)が建っていたため、ブラックフライアーズ橋へと変更された。


後に、ブラックフライアーズ橋は有料から無料へとなったが、ポートランド石による組み立てがうまく為されていなかったことが判明した結果、1830年代に入ると、大規模な補修が必要となり、最終的には、橋は架け替えられることになったのである。


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