ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、 英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた オリヴァー・クロムウェルの絵葉書 <筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum → 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入> |
2009年にケンブリッジ大学(University of Cambridge)が創立800周年を迎えたことを記念して、英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイク(Quentin Blake:1932年ー)が、ケンブリッジ大学に関係する人物を描いて、寄贈した。
5番目に紹介するのは、オリヴァー・クロムウェル(Oliver Cromwell)である。
(5)オリヴァー・クロムウェル(1599年ー1658年)
オリヴァー・クロムウェルは、清教徒革命(Puritan Revolution:1642年ー1649年)時に、議会派(Parliamentarians)を率いて、王党派(Royalists)を破り、時の英国王チャールズ1世(Charles I:1600年-1649年 在位期間:1625年ー1649年 → 2017年4月29日付ブログで紹介済)を処刑した英国の政治家 / 軍人で、イングランド共和国(Commonwealth of England:1649年ー1660年)の初代護国卿( Lord Protector)である。
オリヴァー・クロムウェルは、1599年4月25日、地主である父ロバート・クロムウェル(Robert Cromwell:1560年ー1617年)と母エリザベス・クロムウェル(Elizabeth Cromwell)の下、ケンブリッジシャー州(Cambridgeshire)のハンティンドン(Huntingdon)に出生。
ハンティンドンにあるオリヴァー・クロムウェル像 - ハンティンドンは、オリヴァー・クロムウェルの出生地である。 <筆者撮影> |
オリヴァー・クロムウェルは、ケンブリッジ(Cambridge)のシドニーサセックスカレッジ(Sidney Sussex College)に入学するものの、1617年に父のロバートが亡くなったため、寡婦となった母エリザベスと7人の姉妹の生活を助けるために、同年6月にカレッジを去り、故郷のハンティンドンへと戻った。
1620年8月22日にエリザベス・バウチャー(Elizabeth Bourchier:1598年ー1665年)と結婚したオリヴァー・クロムウェルは、1628年に庶民院議員となったが、翌年の1629年に議会が解散したことに伴い、故郷に帰り、治安判事となった。
オリヴァー・クロムウェル / エリザベス・バウチャーは、5男4女を設けている。
オリヴァー・クロムウェルは、1640年にケンブリッジ選挙区から議会へと選出され、議会派に所属。
清教徒革命において、議会派と王党派の対立から内戦が不可避となり、第一次イングランド内戦(First English Civil War:1642年ー1646年)が勃発すると、彼は議会派軍の鉄騎隊(Ironside)を指揮して、王党派と戦いを繰り広げた。
1645年6月14日に行われたネイズビーの戦い(Battle of Naseby)において、彼が指揮する議会派軍は、チャールズ1世が率いる王党派軍に対して、壊滅的な損害を与えた。
第一次イングランド内戦は更に1年続いたが、王党派軍は劣勢を挽回することができず、スコットランドへと亡命したチャールズ1世は、スコットランドにも見捨てられ、ハンプトンコート宮殿(Hampton Court Palace)において、議会派の監視下、軟禁状態に置かれた。
ナショナルポートレートギャラリー (National Portrait Gallery)で販売されている チャールズ1世の肖像画の葉書 (Daniel Mytens / 1631年 / Oil on canvas 2159 mm x 1346 mm) |
1648年にチャールズ1世はハンプトンコート宮殿からワイト島(Isle of Wright)へと脱出し、王党派軍を再結成するものの、同年8月17日から8月19日にかけて行われたプレストンの戦い(Battle of Preston)において、オリヴァー・クロムウェルが指揮する議会派軍は、チャールズ1世が率いる王党派軍を鎮圧。
オリヴァー・クロムウェルは、1649年1月30日にチャールズ1世の処刑を執行すると、同年5月19日、イングランド共和国の樹立を宣言する。
これが、第二次イングランド内戦(Second English Civil War:1648年ー1649年)に該る。
チャールズ1世の公開処刑(斬首)が執行された ホワイトホール宮殿(Palace of Whitehall)のバンケティングハウス(Banqueting House)の入口外壁には、 チャールズ1世のレリーフが架けられている。 <筆者撮影> |
0 件のコメント:
コメントを投稿