ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、 英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた 第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの絵葉書 <筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum → 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入> |
英国において、第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンは、一般に、「バイロン卿(Lord Byron)」として知られている。
ナショナルポートレートギャラリー (National Portrait Gallery)で販売されている 第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの肖像画の葉書 (Richard Westall / 1813年 / Oil on canvas 914 mm x 711 mm) |
ジョージ・ゴードン・バイロンは、1788年1月22日、ジョン・バイロン大尉(Captain John Byron:1757年ー1791年 → 第5代バイロン男爵ウィリアム・バイロン(William Byron, 5th Baron Byron:1722年ー1798年)の甥)と彼の2番目の妻であるキャサリン・ゴードン(Catherine Gordon)の間に、ロンドンで出生。
父親のジョン・バイロン大尉は、酒癖が悪く、浪費家でもあった。そのため、家庭内では夫婦喧嘩が絶えなかった。ジョージ・ゴードン・バイロンが3歳の時、ジョン・バイロン大尉は、多額の借金を残したまま、放浪先のフランスで死去。その後、ジョージ・ゴードン・バイロンは、精神疾患を抱えた母親と一緒に、アバディーン州(Aberdeenshire)へ移住し、そこで暗い幼少期を過ごした。
1798年に従祖父である第5代バイロン男爵ウィリアム・バイロンが亡くなったが、他に相続人が居なかったため、ジョージ・ゴードン・バイロンは、わずか10歳にして、第6代バイロン男爵となり、ノッティンガム州(Nottinghamshire)にある土地と館を相続し、アバディーン州からノッティンガム州へと移った。
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンは、ロンドンのハーロー校(Harrow College)へ送られた。彼は、1801年から1805年にかけて、そこで学んだ後、1805年にケンブリッジ(Cambridge)のトリニティーカレッジ(Trinity College)に入学するも、学業を顧みない日々を過ごした。
彼は、1808年にケンブリッジを去ると、1809年から1811年にかけて、ポルトガル、スペインやギリシア等を旅した。
彼は、1812年に上記の旅行をベースにした「チャイルド・ハロルドの巡礼(Childe Harold’s Pilgrimage)」を出版すると、生の倦怠と憧憬を伴った詩風と異国情緒が時代の流れに合致し、大きな評判を得て、一躍、社交界の寵児となった。
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