2024年8月31日土曜日

ミス・マープルの世界<ジグソーパズル>(The World of Miss Marple )- その12A

英国の Orion Publishing Group Ltd. から2024年に発行されている「ミス・マープルの世界(The World of Miss Marple)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているミス・ジェイン・マープル(Miss Jane Marple)シリーズの登場人物や各作品に関連した68個の手掛かりについて、前回に引き続き、順番に紹介していきたい。


今回も、ミス・マープルが登場する作品に関連する手掛かりの紹介となる。


(27)スカーフ(scarf)



ジズソーパズルの左上の石壁の向こう側に、右側から、マーサ・プライス=リドリー(Mrs. Martha Price-Ridley → 2024年8月16日付ブログで紹介済)、アマンダ・ハートネル(Miss Amanda Hartnell → 2024年8月16日付ブログで紹介済)、そして、キャロライン・ウェザビー(Miss Caroline Wetherby → 2024年8月16日付ブログで紹介済)の順に、並んで立っているが、彼女達3人の左側にある樹々の間に、スカーフが乾してあるのが見える。


(28)甘美なる死(Delicious Death)



「甘美なる死」と呼ばれるケーキが載った皿が、ジズソーパズルの左下に立つドリー・バントリー(Mrs. Dolly Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)と夫のアーサー・バントリー大佐(Colonel Arthur Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)の右手前にあるテーブルの上、一番左端に置かれている。


(29)チッピングクレグホーン村の地元紙朝刊「ギャゼット」(Chipping Cleghorn Gazette)」



チッピングクレグホーン村の地元紙朝刊「ギャゼット」が、ジズソーパズルの左下に立つドリー・バントリーと夫のアーサー・バントリー大佐の上側にある花壇の背後の地面の上に落ちている。


(30)アヒル(ducks)





2羽のアヒルが、ジズソーパズルの左下で、また、残りの2羽のアヒルが、ジズソーパズルの右上で、ヨタヨタ歩いている。


(31)真珠の首飾り(pearl choker)



ジズソーパズルの中央上で立ち話をしている3人の女性のうち、一番右側の女性が、真珠の首飾りをしている。


(32)配給手帳(ration books)



配給手帳が、スラック警部(Inspector Slack → 2024年8月20日付ブログで紹介済)と立ち話をしているヘイドック医師(Doctor Haydock → 2024年8月18日付ブログで紹介済)の左横に設置されているテーブルの上、一番左端に置かれている。


(33)アスピリンが入った瓶



アスピリンが入った瓶が、ジズソーパズルの中央のやや右側に座るレナード・クレメント牧師(Reverend Leonard Clement → 2024年8月18日付ブログで紹介済)の左側に設置されたテーブルの上に置かれている。


これらから連想されるのは、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1950年に発表したミス・マープルシリーズ作品の「予告殺人(A Murder is Announced)」である。本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第40作目に該り、ミス・マープルシリーズの長編のうち、第4作目に該っている。


ビル・ブラッグ氏Mr. Bill Braggが描く
ミス・マープルシリーズの長編第4作目である
「予告殺人」の一場面


ビル・ブラッグ氏によるイラストには、

リトルパドックス館内の明かりが突然消えて、部屋の扉が開き、

拳銃を持った謎の男(ルディー・シャーツ)が部屋に侵入して来たシーンが描かれている。

画面中央に描かれた暖炉の上の時計は、午後6時半を指している。

同じく、画面中央の壁には、拳銃を持ったルディー・シャーツの影が映っているが、

リトルパドックス館内の明かりは消えており、

ルディー・シャーツ自身が懐中電灯を持っている

(→ 懐中電灯を間に挟んで、ルディー・シャーツ自身は、壁に相対している)ので、

彼の影が壁に映ることは、現実的にはありえないものの、

これは、当該場面を劇的に表現する上での御愛嬌と言える。

Harper Collins Publishers 社から出版されている

「予告殺人」のペーパーバック版の表紙には、

ビル・ブラッグ氏によるイラストが、

薔薇の花束が活けられた花瓶の形に切り取られているものが使用されている。


                              

2024年8月30日金曜日

ケンブリッジ大学創立800周年記念 / 第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(800th Anniversary of the University of Cambridge / George Gordon Byron, 6th Baron Byron)- その2

020年に英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行された
英国の詩人を特集した切手10種類の一人として、
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(=バイロン卿)が選ばれている。


社交界の寵児となった第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年は、乱れた生活を続けたが、1815年にアン・イザベラ・ノエル・ミルバンク(Anne Isabella Noel Millbanke:1792年ー1860年 / 愛称:アナベラ(Annabella))と結婚して、同年に2人の間に娘を設けた。彼女が、後のラブレス伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キング(Augusta Ada King, Countess of Lovelace:1815年ー1852年 → 通称:エイダ・ラブレス(Ada Lovelace))で、「世界初のコンピュータープログラマー」と呼ばれるようになる。

アン・イザベラ・ノエル・バイロンとの間に娘を設けた第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンであったが、恋に憂き身をやつし続けたため、翌年(1816年)に彼女とは別居し、更に、近親相姦や同性愛(→ 当時は、死刑に値する犯罪)といったスキャンダルにより、世間からの糾弾を受けて、英国を去った。


英国のロマン派詩人であるパーシー・ビッシュ・シェリー(Percy Bysshe Shelley:1792年ー1822年 → 2021年5月1日付ブログで紹介済)は、幼い頃に読んだ「政治的正義」を執筆した無政府主義の先駆者でもある英国の政治評論家 / 著述家のウィリアム・ゴドウィン(William Godwin:1756年ー1836年)の邸に足しげく通うようになる。

そして、そこで、彼は、ウィリアム・ゴドウィンの娘であるメアリー(当時の名前は、まだメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン)と出会い、彼女と付き合うようになる。ただ、当時、パーシー・シェリーは、妻帯者だったため、彼との恋愛に父親であるウィリアム・ゴドウィンは大反対をし、その結果、1814年、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンは、パーシー・シェリーと一緒に、欧州大陸へ駆け落ちをするのであった。


一旦、欧州大陸から英国に帰国するものの、スイスのジュネーヴに滞在していたパーシー・シェリーの友人である第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンに誘われて、1816年5月、バイロン卿、彼の愛人であるクレア・クレモント(Claire Clairmont:1798年ー1879年 / メアリー・シェリーの義姉妹)、パーシー・シェリーとメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンの4人は、ジュネーヴ近郊のレマン湖畔にあるディオダディ荘(Villa Diodati)に滞在した。

同年7月、長く降り続く雨のため、屋内に閉じ込められていた折、第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンは、「皆で一つずつ怪奇譚を書こう。(We will write a ghost story.)」と、他の3人に提案した。このディオダディ荘での怪奇談議を切っ掛けに、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンは、「フランケンシュタインの怪物」の着想を得て、小説の執筆に取りかかった。


その後、第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンは、パーシー・シェリー達と一緒に、スイス各地、イタリアのヴェネチア / ラヴェンナ / ピサ / ジェノヴァ等を巡礼して、退廃した生活を続けた。


同年9月、彼ら4人が英国に帰国した後、同年12月10日に、ハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月14日付ブログで紹介済)のサーペンタイン湖(Serpentine → 2015年3月15日付ブログで紹介済)から入水自殺したパーシー・シェリーの妻ハリエット・シェリーの遺体が発見される。検視によると、ハリエット・シェリーは、パーシー・シェリー以外の男の子供を身籠っていた、とのこと。

その20日後の同年12月30日、パーシー・シェリーは、ロンドンの教会でメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンと正式に結婚して、彼女は、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリーとなった。


メアリー・シェリーは、スイス / ジュネーヴ近郊のレマン湖畔にあるディオダディ荘での怪奇談議を切っ掛けに着想を得たフランケンシュタインの怪物の話を1817年5月に脱稿し、翌年の1818年1月に匿名で出版した。このゴシック小説の正式なタイトルが、「フランケンシュタイン、或いは、現代のプロメテウス」である。当作品の出版により、後に、彼女は SF の先駆者と見做されるようになる。

1818年3月に、彼女は、夫であるパーシー・シェリーの序文を付けて、再度、匿名で同作品を出版した。

現在、一般に流布している版は、1831年に出版された第3版(改訂版)がベースとなっている。


地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)内の
ベーカールーライン(Bakerloo Line)用ホームの壁に描かれている
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの肖像画 -
彼は、アルバニア風の衣装を身に着けている。


ギリシア暫定政府の代表からの訪問を受けた第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンは、1823年、2年前に始まったギリシア独立戦争へ身を投じることを決め、1824年1月、ギリシアへと向かった。

彼は、相手方の要塞等を攻撃する計画を立案していたが、現地において熱病に罹患して、1824年4月19日、瀉血が原因で、同地で死去したのである。まだ36歳の若さであった。


                                       

2024年8月29日木曜日

ミス・マープルの世界<ジグソーパズル>(The World of Miss Marple )- その11B

ビル・ブラッグ氏(Mr. Bill Bragg)が描く
ミス・マープルシリーズの長編第3作目「動く指」の一場面


ビル・ブラッグ氏によるイラストには、
何者かが、誹謗中傷の怪文書を、
リムストックの住民の家に投函する場面が描かれている。
Harper Collins Publishers 社から出版されている

「動く指」のペーパーバック版の表紙には、

ビル・ブラッグ氏によるイラストが、

家の玄関の鍵穴の形に切り取られているものが使用されている。


戦時中の飛行機事故によって重傷を負ったジェリー・バートン(Jerry Burton)は、医者の勧めを受けて、妹のジョアナ(Joanna Burton)の介護の下、ロンドンからリムストック(Lymstock)へ静養にやって来て、丘の上の家を借りた。

それは、丘の上の家の静かな佇まいが二人の気に入ったこともあるが、二人とも、リムストックに来たのが初めてで、近所に知り合いが居ないことも、プラス要因だった。


ジェリーとジョアナの二人が丘の上の家に落ち着いて、まもなく、


(1)大家である老齢のエミリー・バートン(Miss Emily Barton)

(2)弁護士であるリチャード・シミントン(Mr. Richard Symmington)の妻のモナ・シミントン(Mrs. Mona Symmington)

(3)医師であるオーウェン・グリフィス(Dr. Owen Griffith)の妹のエメ・グリフィス(Aimee Griffith)

(4)牧師であるケイレブ・デイン・カルスロップ(Reverend Caleb Dane Calthrop)の妻のモード・デイン・カルスロップ(Mrs. Maud Dane Calthrop)

(5)修道院長の末裔であるパイ氏(Mr. Pye)


といった面々が、ジェリーとジョアナの二人の元を次々と訪れる。


彼らの訪問から1週間程が経った頃、ジェリーとジョアナの2人は、差出人不明の手紙を受け取った。

その手紙には、「ジェリーとジョアナは、本当の兄妹ではない。」と言う内容が、下品な表現で書かれていた。所謂、誹謗中傷の手紙だった。

手紙の内容を読んだジョアナは、一旦は憤慨するものの、結局は面白がった。一方、ジェリーは、馬鹿馬鹿しいと思い、手紙を暖炉に焼べた。ジェリーは、表面上は平然とした風を装っていたが、内心は穏やかではなかった。

そこで、ジェリーは、オーウェン・グリフィス医師が往診に来た際、彼に匿名の手紙のことを打ち明ける。ジェリーから話を聞いたグリフィス医師によると、リムストック内では、以前から住民を誹謗中傷する怪文書が出回っている、とのことだった。

グリフィス医師も、その怪文書の被害者だったし、シミントン弁護士も、その中に含まれていた。


そして、匿名の怪文書は、新たなる悲劇を引き起こす。

リムストックの住民達が恐れていたことが、遂に、手紙の受取人の自殺と言う形で、現実のものとなったのである。

シミントン弁護士の妻であるモナが、服毒死を遂げたのだ。


(24)匿名の誹謗中傷の手紙(anonymous letters)


本作品において、何者かが、リムストック中に匿名で誹謗中傷の手紙を送り付け、悲劇を引き起こすのである。


(25)タイプライター(typewriter)



何者かが、リムストック中に匿名で誹謗中傷の手紙を送り付ける際に、このタイプライターが使用されている。


(26)「もう無理」と言う破れたメモ(a note saying ‘I can’t go on’)



弁護士であるリチャード・シミントンの妻のモナ・シミントンが、匿名の誹謗中傷の手紙を受け取り、「もう無理」と言う破れたメモを残して、自殺を遂げるのである。


2024年8月28日水曜日

ミス・マープルの世界<ジグソーパズル>(The World of Miss Marple )- その11A

英国の Orion Publishing Group Ltd. から2024年に発行されている「ミス・マープルの世界(The World of Miss Marple)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているミス・ジェイン・マープル(Miss Jane Marple)シリーズの登場人物や各作品に関連した68個の手掛かりについて、前回に引き続き、順番に紹介していきたい。


今回も、ミス・マープルが登場する作品に関連する手掛かりの紹介となる。


(24)匿名の誹謗中傷の手紙(anonymous letters)


匿名の誹謗中傷の手紙が、ジズソーパズルの中央のやや上にある花壇の中に置かれている。


(25)タイプライター(typewriter)



ジズソーパズルの左下に立つドリー・バントリー(Mrs. Dolly Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)と夫のアーサー・バントリー大佐(Colonel Arthur Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)の右側にあるテーブルの下の段に置かれている。


(26)「もう無理」と言う破れたメモ(a note saying ‘I can’t go on’)



「もう無理」と言う破れたメモが、ジズソーパズルの左下に立つドリー・バントリーと夫のアーサー・バントリー大佐の上側にある花壇の中に置かれている。


これらから連想されるのは、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1942年に発表したミス・マープルシリーズ作品の「動く指(The Moving Finger)」である。本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第33作目に該り、ミス・マープルシリーズの長編のうち、第3作目に該っている。


ビル・ブラッグ氏(Mr. Bill Bragg)が描く
ミス・マープルシリーズの長編第3作目「動く指」の一場面


ビル・ブラッグ氏によるイラストには、
何者かが、誹謗中傷の怪文書を、
リムストックの住民の家に投函する場面が描かれている。
Harper Collins Publishers 社から出版されている

「動く指」のペーパーバック版の表紙には、

ビル・ブラッグ氏によるイラストが、

家の玄関の鍵穴の形に切り取られているものが使用されている。


          

2024年8月27日火曜日

ロンドン カドガンプレイス44番地

ウィリアム・ウィルバーフォースが住んでいた
カドガンスクエア44番地の建物全体を見上げたところ

英国の政治家 / 博愛主義者(philanthropist) / 奴隷廃止主義者(leader of the movement to abolish the slave trade)であるウィリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce:1759年ー1833年 → 2024年8月21日付ブログで紹介済)が住んでいた家が、ロンドンの中心部に所在するロンドン特別区の一つのケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)内にある。


ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた
ウィリアム・ウィルバーフォースの絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>


サークルライン(Circle Line)、ハマースミス&シティーライン(Hammersmith and City Line)とディストリクトライン(District Line)が通る地下鉄スローンスクエア駅(Sloane Square Tube Station)から、ピカデリーライン(Piccadilly Line)が通る地下鉄ナイツブリッジ駅(Knightsbridge)へと向かって、スローンストリート(Sloane Street)を北上し、進行方向右手に広大な庭園が見えたところで、スローンストリートを右折。



広大な庭園の東側に、スローンストリートのに並行して南北に伸びるカドガンプレイス(Cadogan Place)と言う通り沿いに、ウィリアム・ウィルバーフォースが住んでいたカドガンプレイス44番地(44 Cadogan Place, London SW1X 9RU)が建っている。


カドガンスクエア44番地の建物正面から
北方面を望む

24歳の若さでヨークシャー州(Yorkshire)選出の国会議員となるウィリアム・ウィルバーフォースは、1787年に、奴隷貿易に反対するグループを紹介され、英国議会における奴隷貿易反対運動のリーダーとなるよう、説得を受け、同年、奴隷貿易廃止促進協会(1786年に設立)に参加し、それ以降、奴隷貿易反対運動を進めてきた。

残念ながら、英国議会内の理解を得ることは非常に難しい上に、ケンブリッジ大学の同窓かつ親友で、トーリー党(Tory Party - 現在の「保守党」の前身となる政党)のウィリアム・ピット(William Pitt the Younger:1759年ー1806年 首相在任期間:1783年ー1801年 / 1804年ー1806年)やホイッグ党(Whig Party - 後の「自由党」と「自由民主党」の前身に該る政党)の奴隷貿易廃止主義者であるチャールズ・ジェイムズ・フォックス(Charles James Fox:1749年ー1806年)等の協力者が早逝したため、前途は多難であった。


カドガンスクエア44番地の建物正面から
方面を望む

その後、ウィリアム・ウィルバーフォースに協力する初代グレンヴィル男爵ウィリアム・ウィンダム・グレンヴィル首相(William Wyndham Grenville, 1st Baron Grenville:1759年ー1834年 首相在任期間:1806年ー1807年)が、1807年1月2日に「奴隷貿易廃止法案(Slave Trade Act 1807)」を貴族院に提出して、熱のこもった演説で法案への支持を訴えた結果、「賛成41対反対20」と言う大差で、貴族院を通過させた同年2月23日、庶民院に提出された同法案は、「賛成283対反対16」で可決され、同年3月25日、国王の裁可を経て、「奴隷貿易廃止法」は成立した。

ここに、約20年間にわたり、奴隷解放を目指してきたウィリアム・ウィルバーフォースの尽力は、遂に実を結んだのである。


カドガンスクエア44番地の建物G階の外壁には、
ブループラークが架けられている。


その後も、ウィリアム・ウィルバーフォースは、全ての奴隷の最終的な解放を目指して活動を続けたが、1824年、重篤な病気に罹患したため、翌年の1825年に国会議員を辞職。

議員辞職後も、ウィリアム・ウィルバーフォースは、多くの協力者達との活発なやりとりを続けたものの、彼の健康状態は悪化の一途を辿る。

1833年7月26日、ウィリアム・ウィルバーフォースは、奴隷制廃止法案が庶民院の第3読会を通過したことを非常に喜んだのも束の間で、同年7月29日の早朝に亡くなった。

なお、ウィリアム・ウィルバーフォースが亡くなった1ヶ月後、第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイ(Charles Grey, 2nd Earl Grey:1764年ー1845年 首相在任期間:1830年ー1834年)の政権下、英国議会は、英国内に居る全ての奴隷に自由を与える「奴隷制廃止法」を成立させたのである。


カドガンスクエア44番地の建物G階の外壁に架けられているブループラークには、
ウィリアム・ウィルバーフォースがここで亡くなったことが記されている。


カドガンプレイス44番地の外壁に架けられたブループラーク(Blue Plaque - イングリッシュヘリテージ(English Heritage)が管理)には、ウィリアム・ウィルバーフォースが、(1833年7月29日、)この建物内で亡くなったことが表示されている。


カドガンスクエア44番地の建物入口の両側にある円柱には、
「44番地」と言う表示ではなく、
「43B番地」と言う表示が為されている。

厳密に言うと、「カドガンプレイス44番地」の建物の住所表記は、現在、「カドガンプレイス43B番地(43B Cadogan Place)」となっている。


          

2024年8月26日月曜日

ミス・マープルの世界<ジグソーパズル>(The World of Miss Marple )- その10B

ビル・ブラッグ氏(Mr. Bill Bragg)が描く
ミス・マープルシリーズの長編第2作目「書斎の死体」の一場面


ビル・ブラッグ氏によるイラストには、

邸宅ゴシントンホールに住むアーサー・バントリー大佐が、

書斎の暖炉の前の敷物の上に、

若い女性の絞殺死体が横たわっているのを発見する場面が描かれている。

あるいは、ある人物が、酔っ払って真夜中に帰宅した際、

自宅の部屋の敷物の上で発見した女性の死体を、

以前から気に入らないバントリー大佐の邸宅へと運び、

書斎の暖炉の前の敷物の上に放置した場面だろうか?

Harper Collins Publishers 社から出版されている

「書斎の死体」のペーパーバック版の表紙には、

ビル・ブラッグ氏によるイラストが

卓上ランプの形に切り取られているものが使用されている。


「奥様、奥様!書斎に死体があります!」

メイドのメアリーが発するヒステリックな第一声で、ドリー・バントリーは目を覚ますと、退役軍人である夫のアーサー・バントリー大佐を起こす。こうして、邸宅ゴシントンホール(Gossington Hall)における平和で穏やかな秋の朝は、メイドの叫び声で打ち破られるのであった。


バントリー大佐が書斎に駆け付けてみると、暖炉の前の敷物の上に、銀色のスパンコールを散りばめたイヴニングドレス姿の、背の高いプラチナブロンドの若い女性の絞殺死体が横たわっていた。ところが、大佐には、殺されている女性の身元に心当たりがなかった。

バントリー大佐は、直ぐに警察に連絡を行い、メルチェット大佐(Colonel Melchett)とスラック警部(Inspector Slack)が派遣されてくる。

一方、妻のバントリー夫人は、人間の本質を鋭く見抜く眼力を持つ旧友のミス・マープルに、助けを求める。


何故、閑静な屋敷に、それも、書斎に、若い女性の死体が突然現れたのか?彼女の身元は?何故、彼女は絞殺されることになったのか?そして、彼女は、どこからここまでやって来たのか?


様々な噂や憶測が、セントメアリーミード村(St. Mary Mead)の中を駆け巡るのであった。 


(22)ガールスカウトの服のボタン(Girl Guide button)



物語の中盤、デーンマス(Danemouth)のマジェスティックホテル(Majestic Hotel)に滞在しているジョージ・バートレット(George Bartlett)の車が盗まれる。そして、翌朝、燃えた車が発見され、その中から黒焦げの死体が見つかる。車内に残された片方の靴とボタンから、その死体は、前夜に両親から捜索願が出されていたガールスカウトのパメラ・リーヴス(Pamela Reeves)と判明。

ジズソーパズルの中央に座るミス・マープル(→ 2024年8月8日付ブログで紹介済)とレナード・クレメント牧師(Reverend Leonard Clement → 2024年8月18日付ブログで紹介済)の間のテラスに落ちているボタンは、被害者であるパメラ・リーヴスが着ていたガールスカウトの服から落ちたものである


(23)ホテルのルームキー(hotel room key)



本作品の場合、セントメアリーミード村以外に、ゴシントンホール以外に、デーンマスのマジェスティックホテルが、主な舞台となる。

ジズソーパズルの左下に立つドリー・バントリー(Mrs. Dolly Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)と夫のアーサー・バントリー大佐(Colonel Arthur Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)の右側にあるテーブルの下のテラスに落ちているホテルのルームキーは、マジェスティックホテルのものである。


2024年8月25日日曜日

ミス・マープルの世界<ジグソーパズル>(The World of Miss Marple )- その10A

英国の Orion Publishing Group Ltd. から2024年に発行されている「ミス・マープルの世界(The World of Miss Marple)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているミス・ジェイン・マープル(Miss Jane Marple)シリーズの登場人物や各作品に関連した68個の手掛かりについて、前回に引き続き、順番に紹介していきたい。


今回も、ミス・マープルが登場する作品に関連する手掛かりの紹介となる。


(22)ガールスカウトの服のボタン(Girl Guide button)



ガールスカウトの服のボタンは、ジズソーパズルの中央に座るミス・マープル(→ 2024年8月8日付ブログで紹介済)とレナード・クレメント牧師(Reverend Leonard Clement → 2024年8月18日付ブログで紹介済)の間のテラスに落ちている。


(23)ホテルのルームキー(hotel room key)



ホテルのルームキーが、ジズソーパズルの左下に立つドリー・バントリー(Mrs. Dolly Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)と夫のアーサー・バントリー大佐(Colonel Arthur Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)の右側にあるテーブルの下のテラスに落ちている。


これらから連想されるのは、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1942年に発表したミス・マープルシリーズ作品の「書斎の死体(The Body in the Library)」である。本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第31作目に該り、ミス・マープルシリーズの長編のうち、第2作目に該っている。


ビル・ブラッグ氏(Mr. Bill Bragg)が描く
ミス・マープルシリーズの長編第2作目「書斎の死体」の一場面


ビル・ブラッグ氏によるイラストには、

邸宅ゴシントンホールに住むアーサー・バントリー大佐が、

書斎の暖炉の前の敷物の上に、

若い女性の絞殺死体が横たわっているのを発見する場面が描かれている。

あるいは、ある人物が、酔っ払って真夜中に帰宅した際、

自宅の部屋の敷物の上で発見した女性の死体を、

以前から気に入らないバントリー大佐の邸宅へと運び、

書斎の暖炉の前の敷物の上に放置した場面だろうか?

Harper Collins Publishers 社から出版されている

「書斎の死体」のペーパーバック版の表紙には、

ビル・ブラッグ氏によるイラストが

卓上ランプの形に切り取られているものが使用されている。