2023年9月4日月曜日

デヴォン州(Devon) トーキー(Torquay)- その2

Torquay Harbour (Inner Dock) の向うに、夕陽が沈む <その1>
<筆者撮影>

イングランド南西部のデヴォン州(Devon)内に所在する町であるトーキー(Torquay)の地域には、旧石器時代から、人が定住していたと言われている。

また、英国諸島が古代ローマ帝国の一部であった頃、ローマ人兵士がトーキーの辺りを訪れていたことも知られている。


Torquay Harbour (Inner Dock) の向うに、夕陽が沈む <その2>
<筆者撮影>

1196年には、プレモントレ修道会(Premonstratensiabn cannons)の修道院として、トーキーの地に、トーア寺院(Torre Abbey → 2022年12月14日付ブログで紹介済)が設立された。


トーキーは、ナポレオン戦争(Napoleonic Wars:1803年ー1815年)の前までは、漁村であったが、上記の戦争中、トーキー内のトーベイ(Torbay)湾が、英国の海峡艦隊(Channel Fleet)の避難用基地として使用されたため、海軍士官の親族がトーキーを頻繁に訪れた。

トーキーの穏やかな気候が、訪問者達に気に入られて、トーキーは、次第に、上流階級の保養地として発展していく。


昼間の Torquay Harbour (Inner Dock) <その1>
<筆者撮影>

1848年12月18日に、トーア駅(Torre Railway Station)が、1859年8月2日に、トーキー駅(Torquay Railway Station)が開業したことが、トーキーの発展を更に加速させていく。


1872年には、トーキーは、「行政単位としての市(borough)」の地位を与えられた。

20世紀に入ると、トーキーは、保養地に加えて、観光客の誘致にも力を入れていく。


昼間の Torquay Harbour (Inner Dock) <その2>
<筆者撮影>

第一次世界大戦中(1914年ー1918年)、トーキーには、軍病院が置かれ、また、戦地へと向かう集結基地ともなった。

また、第二次世界大戦中(1939年ー1945年)、トーキーは、南東イングランドよりも安全だと考えられて、ロンドンを含む首都地域からの疎開受入先となった。そうは言っても、ナチス・ドイツ軍による英国本土空襲(The Blitz)は、プリマス(Plymouth)やトーキー等にも及び、被害を受けている。トーキーがナチス・ドイツ軍による空襲を最後に受けたのは、1944年5月29日である。


昼間の Torquay Harbour (Inner Dock) <その3>
<筆者撮影>

第二次世界大戦後、トーキーは、約35㎞にわたって続く海岸線を「英国のリヴィエラ( English Riviera)」と呼んで、現在は、英国庶民のリゾート地として、人気がある。近年、外国人の観光客も増えており、外国からの交換留学生を多く受け入れる場所ともなっている。


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