プリマス海軍記念館(Plymouth Naval Memorial)は、 第一次世界大戦と第二次世界大戦で亡くなった 英国と英国連邦の船員に敬意を表して、捧げられている。 |
アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「死者のあやまち(Dead Man’s Folly → 2023年8月18日 / 8月22日付ブログで紹介済)」(1956年)のストーリーは、次のようにして始まる。
ある日、ロンドン市内にあるエルキュール・ポワロのオフィスにおいて、電話が鳴り、ポワロの秘書であるミス・レモン(Miss Lemon)が、受話器をとる。ポワロに電話をかけてきたのは、人気推理作家で、昔なじみのアリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs. Ariadne Oliver)であった。電話はデヴォン州(Devon)からで、オリヴァー夫人は、ポワロに対して、「直ぐこちらに来てほしい。」と頼み込む。そこで、ポワロは、早速、ロンドン発の列車でデヴォン州へと向かう。
ナスコム駅(Nassecombe Station)からオリヴァー夫人が滞在しているナス屋敷(Nasse House)へ迎えの車で向かう途中、ポワロは、外国人旅行者の女性二人(オランダ人とイタリア人)を車に乗せて、近くのユースホステルまで送ってあげる。この辺り一帯は、外国人ハイカー達に人気の場所であった。
その際、オランダ人の女性旅行者は、ポワロに対して、’I to England come for two week holiday. I come from Holland. I like England very much. I have been Stratford Avon, Shakespeare Theatre and Warwick Castle. Then I have been Closely, now I have seen Exeter Cathedral and Torquay - very nice - I come to famous beauty spot here and tomorrow I cross river, go to Plymouth where discovery of New World was made from Plymouth Hoe.’ と話した。
オランダ人の女性旅行者は、ストラトフォード=アポン=エイヴォン(Stratford-upon-Avon → 2023年8月24日 / 8月26日付ブログで紹介済)にあるロイヤル シェイクスピア劇場(Royal Shakespeare Theatre)、ウォーリック城(Warwick Castle → 2023年8月28日 / 8月30日付ブログで紹介済)やトーキー(Torquay → 2023年9月1日 / 9月4日付ブログで紹介済)等を観光した後、事件の舞台となるナスコム(Nassecombe - 架空の場所)に到着した。
彼女は、「翌日、ダート川(River Dart → 2023年9月6日付ブログで紹介済)を渡り、プリマス(Plymouth)へと向かう予定。」と言っている。
プリマスは、イングランド南西部のデヴォン州内にある港湾都市である。
プリマスが歴史の表舞台に登場するのは、以下の3回。
世界一周航海を成し遂げたガレオン船ゴールデンハインド号の舳先に、 サー・フランシス・ドレイクが立っているのが見える。 |
(1)サー・フランシス・ドレイクによる世界一周航海
イングランドの黄金期と言われている「エリザベス朝(Elizabethan era)」に、海賊(私掠船の船長)、航海者、そして、英国海軍提督(中将)として活躍したサー・フランシス・ドレイク(Sir Francis Drake:1543年頃ー1596年 → 2023年7月9日付ブログで紹介済)が、1577年12月13日に、ガレオン船ゴールデンハインド号(Golden Hind)を旗艦とする5隻の艦隊で、プリマスから世界一周航海へと出航。
マゼラン海峡を経て、大西洋から太平洋へと出ると、チリやペルー沿岸のスペイン植民地や船を襲い、多くの財宝を奪った。
その後、太平洋を横断すると、インド洋、喜望峰を通って、1580年9月に、旗艦ゴールデンハインド号のみが、プリマスに帰港した。
航海の途中、フランシス・ドレイクは、ホーン岬(Cape Horn)とドレイク海峡(Drake Passage)を発見している。
この航海により、フランシス・ドレイクは、ポルトガル出身の航海者であるフェルディナンド・マゼラン(Ferdinand Magellan:1480年ー1521年)に続く史上2番目の世界一周を達成したのである。
厳密に言うと、フェルディナンド・マゼランは、航海の途中、フィリピン諸島において、原住民との戦闘で亡くなっているので、出港から帰港まで生きて世界一周を達成した船長としては、フランシス・ドレイクの方が、史上初と言えるのではないだろうか?勿論、彼は、イングランド人としては、史上初である。
チリやペルー沿岸のスペイン植民地や船を襲い、多くの財宝を奪ったフランシス・ドレイクは、イングランドとアイルランドの女王で、テューダー朝(House of Tudor)の第5代かつ最後の君主であるエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年 → 2023年6月24日 / 7月2日付ブログで紹介済)を含む出資者全員に対して、4700%の配当金を支払ったと言われている。
この功績により、フランシス・ドレイクは、1580年に英国海軍の中将に任命されるとともに、サーの称号を受けた。
テイマー橋(Tamar Bridges)<その1> - テイマー橋は、デヴォン州プリマスとコンウォール州(Cornwall)サルタッシュ(Saltash)の間を流れる テイマー川(River Tamar)に架かる吊橋である。 |
テイマー橋<その2> |
(2)イングランド海軍によるスペイン無敵艦隊撃破
フランシス・ドレイクの最大の功績は、当時、「無敵」と呼ばれたスペイン艦隊(Spanish Armada)を、1588年7月から8月にかけ、英仏海峡で行われた「アルマダの海戦(Battle of Armada)」において、大勝利を収め、スペインによるイングランド侵攻を防いだことである。
その際、イングランドの海軍は、プリマスから出航している。
厳密に言うと、彼は英国艦隊副司令官であったが、実際には、艦隊の指揮を執り、火の付いた船をスペイン艦隊へと突撃させると言う海賊戦法を実践して、相手を壊滅状態へと追い込んだ。
アルマダの海戦により、エリザベス1世は、英国史における最も偉大な勝利者として、認識されるようになった。
また、フランシス・ドレイク自身も、イングランド人にとって、英雄と看做されているが、海賊行為やアルマダの海戦の勝利等から、スペイン人には、悪魔の化身であるドラゴンを意味する「ドラコ(Draco)」と呼ばれたのである。
テイマー橋<その3> |
テイマー橋<その4> |
(3)新大陸へ向かったメイフラワー号
ステュアート朝(House of Stuart)のスコットランド、イングランドとアイルランドの王であるジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年ー1625年)による弾圧を恐れた清教徒(Puritans)を含むピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)の一団102名は、1620年に、メイフラワー号(Mayflower)に乗船して、プリマスから新大陸へと向かった。
メイフラワー号は、現在の米国東部マサチューセッツ州プリマスに到着した。新大陸に上陸したピルグリム・ファーザーズが、出航地であるプリマスと同じ名前を上陸地に名付けたと言われるが、実際には、偶然、同名の場所に到着したのである。
プリマスは、現在、英国有数の港湾都市であるとともに、英国海軍の重要な軍港としても知られている。
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