丘の麓から、トトネス城のキープ(keep)を見上げたところ(その1) <筆者撮影> |
1625年にステュアート朝(House of Stuart)の初代国王である父ジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年ー1625年)の死去に伴い、第2代国王(イングランド、スコットランドとアイルランドの王)となったチャールズ1世( Charles I:1600年ー1649年 在位期間:1625年-1649年 → 2017年4月29日付ブログで紹介済)は、父王と同様に「王権神授説」を信奉して、議会と対立。1628年に議会は「権利の請願(Petition of Right)」を提出し、課税には議会の承認を得ることを求めたが、チャールズ1世は1629年に議会を解散して、議会の指導者を投獄する等、専制政治を実行した。更に、彼は国教統一にも乗り出し、ピューリタン(Puritan)を弾圧したため、各地での反乱を引き起こす引き金となった。
1642年、チャールズ1世が反国王派の議員を逮捕しようとしたことに伴い、議会派と王党派の内戦が勃発。これが、ピューリタン革命(Puritan Revolution:1642年ー1649年)である。
1645年に、トトネス城は、王党派軍によって占拠された。その後、王党派軍は、議会派を支持したダートマスへと進軍して、1646年1月、ダートマス城(Dartmouth Castle → 2023年9月10日 / 9月12日付ブログで紹介済)を含むダートマスを攻撃し、1日で陥落させている。
丘の麓から、トトネス城のキープ(keep)を見上げたところ(その2) <筆者撮影> |
廃墟となったトトネス城を、近隣のベリーポメロイ城(Berry Pomeroy Castle)を所有する第9代サマセット公爵エドワード・シーモア(Edward Seymour, 9th Duke of Somerset:1718年ー1792年)が1974年に購入して、城内の敷地にテニスコートやティールーム等を設置した。
第二次世界大戦中(1939年ー1945年)、ロンドンを含む首都地域からの疎開者達が、城内の敷地にキャンプを張った。
トトネス城の内側から、キープの上部を見上げたところ <筆者撮影> |
1947年に、サマセット公爵家は、英国の建設省(Ministry of Works - 1971年以降は、環境省(Department of the Environment)の一部として編入)に対して、トトネス城の管理を委ねた。
1984年以降、トトネス城は、イングリッシュヘリテージ(English Heritage)により管理され、一般に開放されている。
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