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1547年に、テューダー朝の第3代イングランド王として、エドワード6世(Edward VI:1537年ー1553年 在位期間:1547年ー1553年)が即位すると、エドワード・シーモア(Edward Seymour:1506年頃ー1552年)摂政・護国卿に就任するとともに、サマセット公爵(Duke of Somerset)に叙せられた。
しかしながら、1549年にウォーリック伯爵ジョン・ダドリー(John Dudley, Earl of Warwick:1502年ー1553年)との権力闘争に敗れた結果、失脚に追いやられて、1552年に大逆罪で処刑された。その結果、ウォーリック伯爵ジョン・ダドリーは、国政を主導する立場となり、初代ノーサンバランド公爵(1st Duke of Northumberland)に叙せられた。
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初代サマセット公爵エドワード・シーモアの処刑後、短期間ではあるものの、ベリーポメロイ城は、イングランド政府による所有に帰していたが、基本的には、ポメロイ家により所有され続けた。
ただし、ポメロイ家が居住地をデヴォン州からウィルトシャー州(Wiltshire)へと変えたため、ベリーポメロイ城は、1688年から1701年の間に打ち捨てられた。
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その後、ベリーポメロイ城は、廃虚のままとなっていたが、19世紀に入ると、絵画のように美しいとの評判により、人気の観光名所となる。
ベリーポメロイ城内の敷地から gatehouse を望む <筆者撮影> |
ベリーポメロイ城は、現在、第19代サマセット公爵ジョン・マイケル・エドワード・シーモア(John Michael Edward Seymour, 19th Duke of Somerset:1952年ー)が所有しているが、イングリッシュヘリテージ(English Heritage)により管理され、一般に開放されている。
また、ベリーポメロイ城は、「Grade I listed building」に指定されている。
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