英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、2020年に発売されたジグソーパズル「シェイクスピアの世界(The World of Shakespeare)」には、のイラスト内には、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年)や彼が生きた時代の人物、彼の劇が上演されたグローブ座、そして、彼が発表した史劇、悲劇や喜劇に登場するキャラクター等が散りばめられているので、前回に続き、順番に紹介していきたい。
今回紹介するのは、「グローブ座(Globe Theatre → 2023年5月8日付ブログで紹介済)」の関係者である。
<ウィリアム・シェイクスピア>
劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピアが、 グローブ座の屋根の上に立っている。 また、彼は、右手に羽ペンを、そして、左手に原稿を持っている。 |
ウィリアム・シェイクスピアは、ジョン・シェイクスピア(John Shakespeare)とメアリー・アーデン(Mary Arden:1537年ー1608年)の下、ウォーリック州(Warwickshire)のストラトフォード=アポン=エイヴォン(Stratford-upon-Avon)に出生。
ウィリアム・シェイクスピアの正確な誕生日は、不明であるが、1564年4月26日に洗礼式を受けたことが記録されている。当時、出生証明書は発行されなかったので、これが、ウィリアム・シェイクスピアにかかる最古の公的な記録に該る。洗礼式は、生誕後3日以内に行われるが、当時の通例であったことから、ウィリアム・シェイクスピアの誕生日は、これまで、伝統的に、「1564年4月23日」と見做されてきた。
ナショナルポートレートギャラリー (National Portrait Gallery)で販売されている ウィリアム・シェイクスピアの肖像画の葉書 (Associated with John Taylor / 1610年頃 / Oil on canvas 552 mm x 438 mm) |
父親のジョン・シェイクスピアは、成功した皮手袋商人で、町長にも選ばれたことがある市会議員でもあった。また、母親のメアリー・アーデンは、名門一族の出身であったため、ウィリアム・シェイクスピアは、非常に裕福な家庭環境の中で育った。
1582年11月29日、ウィリアム・シェイクスピア(当時:18歳)は、26歳のアン・ハサウェイ(Anne Hathway:1555年 / 1556年ー1623年)と結婚。
地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)の ベーカルーライン(Bakerloo Line)のプラットフォームにあるウィリアム・シェイクスピアの壁画 - 駅の頭上に、ナショナルポートレートギャラリー(Naional Potrait Gallery)が建っている関係上、 肖像画をテーマにした壁画が数多く描かれている。 |
1585年前後にロンドンへ出て来ると、1592年から新進の劇作家としての活動を開始した。
1613年頃に引退するまでの約20年間に、ウィリアム・シェイクスピアは、四大悲劇と呼ばれている
(1)「ハムレット(Hamlet)」(1600年ー1601年)
(2)「オセロー(Othello)」(1603年ー1604年)
(3)「リア王(King Lear)」(1605年−1606年)
(4)「マクベス(Macbeth)」(1606年)
を初めとして、
(5)「ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet)」(1595年ー1596年)
(6)「夏の夜の夢(A Midsummer Night’s Dream)」(1595年ー1596年)
(7)「ヴェニスの商人(The Merchant of Venice)」(1596年ー1598年)
(8)「ジュリアス・シーザー(Julius Caesar)」(1599年)
等、史劇、悲劇や喜劇の傑作を多く残した。
また、詩作品として、「ソネット集(The Sonnets)」もあり、今日でも、最高の詩篇の一つと見做されている。
ウィリアム・シェイクスピアは、1613年頃に、劇作家から引退して、故郷であるストラトフォード=アポン=エイヴォンへと戻ったものと考えられている。
そして、彼は、1616年4月23日に、52歳で亡くなった。なお、死因は、腐ったニシンから伝線した感染症であるとされている。
なお、ウィリアム・シェイクスピアの誕生日が本当に4月23日であるとすると、彼の命日は、誕生日と同じ日であることになる。
<リチャード・バーベッジ(Richard Burbage:1567年ー1619年)>
ウィリアム・シェイクスピアが座付き劇作家として在籍していた 劇団「宮内大臣一座」の俳優だったリチャード・バーベッジは、 同劇団の活動拠点であったグローブ座やブラックフライアーズ座の経営者でもあった。 本ジグソーパズルにおいて、リチャード・バーベッジは、 グローブ座の左側にある庭園内に居て、 グローブ座のスタッフから、売上金が入った袋を受け取っている。 |
リチャード・バーベッジは、1567年1月6日、演劇制作者である父ジェイムズ・バーベッジ(James Burbage:1531年-1597年)と母エレン・ブレインの下、ロンドンに出生。
リチャード・バーベッジは、ウィリアム・シェイクスピアが座付き劇作家として在籍していた劇団「宮内大臣一座」(ステュアート朝初代の君主であるジェイムズ1世(James I:1566年-1625年 在位期間:1603年-1625年)が即位した後、同劇団のパトロンとなったことをキッカケにして、「国王一座(The King’s Men)」と言う名に改称)に所属して、俳優となった。
また、彼は、劇団「宮内大臣一座」の活動拠点であった「グローブ座」や「ブラックフライアーズ座(Blackfriars Theatre)」の経営者でもあった。
なお、リチャード・バーベッジは、1619年3月13日に、ロンドンで亡くなっている。
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